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教職志望の方へ(16)ー転勤について

 時期的に今日は転勤の話をしたいと思います。教職志望者には関係ないと思われるかもしれませんが、転出が出るということは、その学校で人事に動きがあるわけですから、代わりに教諭が来るのか、期限付き講師を取るのか、非常勤講師を取るのか、それは講師にとっても運命の分かれ道です。

【歴史】
 大阪府立高校は、平成元年から生徒減で、次第にクラスを減らして行きました。
 クラスが減るということは教職員も減るわけで、教員数を減らすために強制転勤がまず行われました。春休みのスキー場で知らされた三年学年主任もいたと聞きました。いろいろ問題になり、かなり丁寧に本人に意思確認が行われるようになりましたが、転勤の有無がわかるのは2月中旬、転勤先を本人に通達するのは3月末でした。通達や校内公開の日は毎年決められていて、1日2日のフライングが問題になったこともあります。
 転勤する場合、教員の不満を避けるために、学校設立年でA校B校を分け、新任四年転任七年で転勤させるという制度になりました。これは他の方の記事からも年数は違えど同様の制度が他府県でもあることがわかります。

【転勤希望の書類】
 平成四年に初任者の時に転勤希望の書類の書式は記憶が曖昧ですが、二、三年少しずつ変わりました。その後、平成八年から退職の年まで書式はほとんど変わらなかったと思います。
 現在の通勤経路、転居予定、転勤についての要望(意志の有無や事情を書く)……裏表に記入し、私は控えにコピーを取っていました。退職して2、3年で細断してしまいましたが……。
 最初の年、通勤がしんどくて仕方がなかったので、要望の所に本音を書いたら、校長から書き直しを命じられました。「教育委員会にはこのまま出せないでしょ?」と言われました。つまりは府に提出し、取りまとめられるわけです。

【人事面談】
 転勤対象者は、秋10月頃、校長と話す機会があります。というより校長室に呼び出されます。
 これは新規採用者の必要数と配置を考えるためのものでしょう。校長からすれば、この時に話したことを基に、人事配置を考え、転出者や転入者を他の校長と相談し始めるようです。因みに新人二人で加配定数1でした。

【人事の仕組み】
 教科人数が少ない芸術科の先生や各校一人か二人の養護教諭は、情報交換が盛んで、次に自分の科目や養護教諭で転勤の出そうな学校を知っています。仕組みもよくご存じでした。
 三角人事とか3点人事とか呼び、二校で交換ということはせずに、3校でずらして人事を行います。
 三角人事は一つ動かないとダメになるか、あるいは抜けた所に新人を嵌めます。
 ある先生は転勤先に別れた元夫がいるということで三月末に決まってから転勤先の変更を争ったとおっしゃいました。転勤は一年後になった?ような。
 また、私も母校に帰る要望を出した後、体調を崩して、転勤の要望を取り下げたので、「3点人事って知ってる?一つだめになると、全部キャンセルになるんだよ?」と叱られました。同窓会報によれば、母校には翌年、新人が入っていました。

【人事の募集】
 教員の通える地域が狭い、例えば旧4学区北河内地区では、三点人事では皆、旧知の人々で、全く変わり映えがしない上に、必要な人材が得られないという問題があります。
 それである時期から、校長が特にクラブ指導ができる人とか進学指導のできる人とかで募集をかけて、面談するという制度ができました。
 それで、自分の適性に合った高校にうまく渡り歩く人も見ました。かなり特化した方に限られたやり方でした。

【人事こぼれ話】
 聞いた話ですが、ある先生がどうしても転勤したい学校があって、直接校長に直談判に行きました。その話をしてくれた人(校長の知人)によれば、ほとんど決まっていた話でしたが、名前が伏せられていたので、校長は押し掛けた転勤希望者に会ってみたら、自分の大嫌いな教員であったために、この転勤は無しになってしまった、ということでした。
 まあ、さもありなん、とは思うぐらい、デモシカ先生の年代の方の中でも特記すべきくらいフリーダムな先生でしたが、まあ気のいい先生で得意不得意のはっきりした方だったと言っておきましょう。迷惑はかけられましたがフォローもかなりしてもらいました。
 因みにこの件は本人は知らんから、と教えてもらいました(^^;) 教えてくれた先生も当の先生も、もうとっくにご退職です。

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