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視聴者なめすぎ 「STAND BY ME ドラえもん2」感想 第9回

こんばんは、雪だるまです。第9回は「STAND BY ME ドラえもん2」です。ドラ泣きという単語で炎上したりとある意味話題の本作。さっそく感想を述べていきたいと思います。ちなみに前作未視聴、原作は昔読んだことがあるっていうレベルです。(ネタバレあり)

薄っぺらいストーリー

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いきなり1番悪いところから言っていきますが、やはり前評判通りストーリーが悪い。ストーリーの概要は、原作でも人気エピソードである「おばあちゃんのおもいで」、「ぼくの生まれた日」、「45年後…」、「タマシイム・マシン」を1本のストーリーにした感じだ。悪い言い方をすれば原作で人気なエピソードをパッチワークにしたようなイメージである。この作品で問題なのはまとめ方が悪すぎることだ。
まず4作品を無理やりまとめてしまったため、全体のテンポが早い。泣かせる作品のはずなのにテンポが早いせいでおばあちゃんの時代の若いママや小さいジャイアンたちなど懐かしさを感じさせるような描写に余韻に浸れる暇もなくおばあちゃんに会うシーンにいってしまう。このエピソードに限らず、ドラえもんで過去や未来が舞台の話ではバックボーンがかなり重要である。おばあちゃんのおもいでを例にすると、原作でもアニメ版でもおばあちゃんに会う前の小さいジャイアンたちや若いママに会うエピソードがしっかりと描かれている。そういったバックボーンを描いて、のび太が当時がどうだったかを再認識することでおばあちゃんとの再開のシーンが際立つのである。なのに本作ではそういったバックボーンを丁寧に描かず、トントン拍子で話を進ませてしまっている。原作を知らない人が見たら、死んだ人間に会えるなんてタイムマシン超便利!程度の感想しか浮かばないだろう。他のエピソードについても同様で、起承転結の転だけ見せて泣いてもらおうみたいな魂胆が丸見えである。はっきり言って視聴者をなめてるとしかいえない。
最後のスピーチも薄っぺらい。あのスピーチを感動ポイントにするならおばあちゃんのエピソードを序盤でサラッとやったり、生まれた日のエピソードをあんな蛇足的に表現してはいけないだろう。中盤ずーっと大人のび太と子供のび太の追いかけっこを見せられて、あのスピーチのどこに感動すればいいのか。原稿用紙よりも薄いペラペラのストーリーだ。

とっつきにくい3DCG

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CGに関しては、例えば人物だと原作っぽいデフォルメ感は意識しつつ、泣かせる作品ということで表情筋の動き方や肌の表現などは本物の人間に寄せているような感じに仕上がっている。全体のコンセプトとしては悪くないが、パッと見、無駄に生々しく気持ち悪い印象を受けるのも事実だ。だが、最初は気持ち悪いかもしれないが慣れれば受け入れられると思う。泣く前の表情筋がぶるっと震える表現など、細かいところまで作り込まれており人物のCGはかなり良かったと思う。
また、人物以外のCGだが、例えばタイムマシンのシーンといえば青いトンネルのような空間に無数の時計が漂っているようなイメージだが、今作では白い空間に薄緑のエフェクトという表現になっている。個人的な感想になるが、あそこは原作のような雰囲気でCGに落とし込んでほしかった。原作のような雰囲気が再現されてこそCGになったときの感動が生まれると思う。タイムマシンに限らず全体的に作り手のやりたい表現、やりやすい表現が前面にでている気がしてあまり感動がなかった。

ほらここ感動するとこですよ〜!

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前項でバックボーン描写の少なさを指摘したが、単にそれだけならまだいい。本作は見てて鼻につく部分が多い。というのも本作の構成、安っぽいバラエティ番組のやり方によく似ているのだ。ボケに至るまでのフリなどを無視して、ボケになったところでデカテガとテロップを出し、効果音をつける。本作の泣きの誘い方はそんな感じだ。入れかえロープでもとに戻るシーンなんか特にそうだ。意識が消えるという設定を追加して、道具が馴れ馴れしく喋りだす。「ほらね?いれかわらないでしょ?」という機械の声と同時に「思い出消えちゃうよ〜、大変だよ〜」という監督のささやきが聞こえるようである。はっきり言えば視聴者をバカにしていると思う。原作を知らない人からしたらあからさまな安い感動描写はただいらつくだけだし、原作を知っている人からしたら、原作の名エピソードの感動シーンだけつまみ出してきてそんな安っぽいやり方で表現したら怒りを覚えて当然である。

しらける広告

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ちょっと個人的な感想になるが、22世紀の街のあちこちにある実在する企業の広告も残念なポイントだと思う。広告が全面的にでた作品にタイバニがあるが、あれはヒーローという非実在性のあるものに企業の看板を背負わせることで、現実感をもたせ結果作品のアクセントにしている。だが、本作は未来の世界という非実在性の高いものに広告がついている。これではせっかくの未来感が薄れてしまうし、作品にとってプラスになるとも思えない。ときどき画面の端にでてくる程度ならまだ許せるが、あそこまで乱発されるとしらけてしまう。

驕り、慢心のかたまり

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本作の監督は自己肯定感の強い監督なのだと思う。序盤の雑な伏線のはり方も、感動シーンの安っぽい演出も、「こんな複雑な話に伏線はれる俺すごい!感動シーンできっちり感動的にできる俺天才!」程度にしか思っていないだろう。そんなあるいみ慢心とも言えるものが垣間見える作品だった。
正直井の中の蛙といった感じだ。君の名はの大ヒットを皮切りにアニメ映画界は今、歴史上見ても大きな躍進をしている。千と千尋の神隠しレベルの大ヒット作が定期的にでてくる異常事態だ。そんな中で各監督が自分の経験を武器に表現というものに真剣に向き合い作品を作っている。そこで原作の名エピソードを雑に繋げただけのパッチワーク作品が受け入れられるはずがない。監督は感動というものにもっと真剣に向き合う必要があるだろう。
ドラ泣きかどうかは置いといて、泣きを期待して本作を見るくらいなら、僕は玉ねぎを切ることをおすすめする。そのほうがよほど感動的だと私は思う。

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