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世界人権デーに、精神障害者の人権について考えざるを得なくなった話。

12月10日は『世界人権デー』なんだそうです。
こんなテーマで書いていて何ですが、私はどこかで「人権」と言うものを信用出来ずにいます。

日本国憲法の三本柱のひとつだと教わった、基本的人権の尊重。基本的人権は誰もが生まれながらに持つものであり、守られなければならないものです。

それなら、どうして差別は起こるのか。
家族からも排除される、人間扱いされない、そんな人がどうして存在するのか。
彼ら彼女らの人権とは、何なのか。
そのような『精神障害者』が、私の身近にいました。

実弟に存在を隠されて来た伯母

父の姉である伯母は、8日に亡くなりました。私が生まれる前から精神科病院に入院させられていたため、物心ついてからは顔を合わせた事すらありませんでした。

実弟である父は、姉の存在を徹底的に隠し続けていました。そんな父の子供である私達きょうだいは、父を2人きょうだい(妹である叔母との)だと思い込まされて育ちました。

今でも忘れられない光景があります。
家のポストに入っていた、父への手紙。病院の名前が書かれた封筒。小学校低学年の私は、それを父へと渡しました。
「こんな汚いものを触るな!」
手を叩かんばかりに奪われた手紙の差出人は、伯母の入院していた精神科病院だったのです。

父が全く話をしない代わりに、母が父や祖母から教えて貰った事を伝えてくれました。
伯母は「精神分裂病(現在の呼び名は統合失調症)」と診断された事。発症の原因は仕事の忙しさや人間関係のトラブルだろうと推測された事。父や伯母の知り合いである精神科医が病名を決め、入院させた事。

精神科病院に入院したら、伯母のように二度と帰って来れない。私はそう刷り込まれました。

その後、私も精神科専門病院に転院したのですが、入院病棟があるため「いつか私も」と恐怖に苛まれるようになりました。主治医には本心を明かさないように、逆らわないように、元気な振りをして。

「棺桶退院」と言う言葉を知った時、伯母がそうなるのではないかと漠然と感じました。そして、その通りになったのです。

認知症は誰でもなる、では精神科の病は?

病院の掲示板に貼り付けられたポスターにも、新聞のコラムにも、認知症への理解を訴える内容が増えて来ました。
「認知症は誰にでも起こります」
「認知症になっても地域で暮らすために」
「認知症の方への接し方とは」

……では、精神科で扱っている他の病は?
鬱病は?双極性障害は?
パニック障害は?不安障害は?
発達障害は?
統合失調症は?

どれも「誰にでも起こる病、障害」です。
それなのに家族にすら理解が得られないのは、どうしてでしょうか。私の父のように患者の存在すら消してしまう家族は、精神医学が発達したはずの現代にもいるのです。

そんな伯母の生涯を知り、私もそうなるのだろうと怯えてしまう。絶望をいだかされるロールモデルしか、私にはいません。

伯母のような、私のような、精神科の病を患う人間の人権と言うものが、尊重され守られる日は来るのでしょうか。


#世界人権デーによせて

※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

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