中村サトル

欧州でのサッカー監督を目指し、海外生活を続けています。 2022.8- Spain A…

中村サトル

欧州でのサッカー監督を目指し、海外生活を続けています。 2022.8- Spain Australia→Canada→England→Italy→Singapore→Spain→Hungary→Spain

マガジン

  • THE PROFESSIONAL FC INTERVIEW

    What is exactly "Professional" in Football? フットボールでの"プロフェッショナル"とは一体何なのか? をテーマにインタビューで紐解いていく記事をまとめたマガジンです。

最近の記事

新しい場所に行くとき

前回から1ヶ月半空いてしまいました。 空いている時に書かないと時間が経ってしまうので、ふと思い立った時に書こう!と思っているのですが、どうしても他にやらないといけないことが押し寄せて結局今になってしまいました。 僕の指導しているU9のチームはリーグ戦が始まり、3戦3勝で良いスタートを切っています。 本当は第5節まで行われているはずなのですが、1節目は相手のチームの都合で延期。そして先週4節目は会場の不手際があり、プレーするピッチがなく、延期。 とリーグが始まる中でも、

    • 出会いの運

      今日も今日とてU9。少しずつ話が聞けるようになったかな?という感触は全くなく、絶望感を感じてもおかしくない状況です。 その中で、時間がかかるものだから辛抱強く伝え続けいくしかないと言い聞かせて、希望を持とうとしているのはこれまでの経験から出てきたある程度の余裕とも言えるのかもしれません。 ただ側から見れば「実直にやろうとするアジア人」が「スペインの元気一杯ワンパクキッズ」に手を焼いている、そんな感じです。 詳しくはこちらを読んでみてください。 今日は初めて大会に参加し

      • 必要に応じる

        U9のチームの一つの監督を任されてもう2週間が経つのですが、チーム全体としての課題に取り組みながらも個人の良いところを発見している段階です。 彼らは2013年生まれ。9歳の選手がほとんどで、もちろん、まだまだ子供としての無邪気さがトレーニング中でも消えません。 例えば、コーチが話をしている時に人工芝のゴムチップいじっちゃったり、他の選手と話すことに夢中だったり、ボールが蹴りたいからずっと足でこねてたり。 僕はそんな様子を黙って観察するのですが、僕がみんなを集めて話そうと

        • まずはやってみること

          こんにちは! マドリードに来て、約1ヶ月。少しずつ空いてる時に、ここで感じたことなどを書いていきたいと思います。 それは突然の出来事でした。 こっちに来てからというもの、自分がコーチをするチーム探しに動いていたのですが、先週の月曜日、突然声をかけてもらい、9歳以下のチームを見学することになりました。 元々は中学生やそれ以上の年代でアシスタントで入りながら、指導を学んでいこうと考えていました。 実際に以前バルセロナにいた時はそのような形でチームに入り、徐々にメニューな

        新しい場所に行くとき

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        • THE PROFESSIONAL FC INTERVIEW
          16本

        記事

          #1 人生観

          約29年ほど人生を過ごしてきましたが、30代を前に将来の在り方について具体的に考えることが増えてきました。年齢、時代、周りの環境、これまでの経験など色んな要素が混ざりあって、結果「生きていくって何?」が僕の頭の中を大半を占めています。 中学校までは日本の教育を受けて育ってきたわけですが、“良い学校に行って、良い大学を卒業して、良い会社に行って、良い生活を送る” というテンプレートには全く興味を示せませんでした。飽き性な性格が魅力も何も感じなかったんだと思います。 高校生に

          監督と選手との隙間

          2020/21シーズンも残り2試合となりました。 と言ってもシーズンスタート予定の時期はロックダウンしたりしなかったりで、結局は3月にシーズンが始まり、今季は半分のみの14試合で終わることになっています。 そして、僕が帯同しているチームの監督はスペインで1番上の指導者ライセンスコースに参加することになり、今月は先週まで僕だけでトレーニングを行うという貴重な期間でした。 シーズン中なのに信頼して任せてくれた監督には感謝ですし、この期間のトレーニングは特に助けてくれた選手た

          監督と選手との隙間

          勝者と敗者

          ゲームには勝敗が付き物。得点を競うものには『引き分け』という結果もあるけど、リーグ戦やカップ戦など長期的に見れば最終的には1人の勝者とその他の敗者がいる。 そして勝負をするからには、勝つことが最優先なのは間違いありません。 勝ち方にはこれが正解!と言う一つの答えはないのは皆さんもご存知だと思いますが、だからこそ様々な哲学や手段があって、それが通用するかを信じ、試されるべきでありますし、それはリスペクトをされるべきだと思います。 だからお互いの一生懸命がぶつかり合い、一方

          勝者と敗者

          環境が全て

          自分の能力が最も発揮できるようになるには、環境が1番大事ですね。 「水を得た魚」は言い得て妙ですが、そもそもその人の適した環境や分野にいることが簡単じゃ無い気がします。 それは自分が好きなことかもしれないし、もしかしたらまだ出会ってないジャンルかもしれないし、自分になんて...て思ってる分野かもしれない。 そしていいかな?って思って取り組んだところで、障害物が多いのも事実です。 例えば、その場にいる人との価値観が合わなかったり。 例えば、金銭面が厳しくて、なかなか前

          環境が全て

          普通の人が必要なもの

          「自信」だと思う。 これに尽きる、というかこれに勝るものはないんじゃないかなと。 RPGのゲームとかもレベルアップ↑とか能力値が見えたりするから、これならボス倒せるかも!って思えるわけで。 制覇したエリアなのか仲間になったキャラクターのレベルなのか、それはゲームでそれぞれ設計が違いますが、何よりも最初に始めた頃とは歴然の差がつきます。 方や、普段の生活となると誰がボスで何を倒して、何が成長した証になるのかが分かりにくい。 だから多くの人が資格や年収とか、数字や証明書

          普通の人が必要なもの

          余計なお世話?

          情報が多過ぎることも重なって、『事前情報』って本当に余計なお世話をしてくれてるなって感じているこの頃です。 もちろん知ってて助かったなーっていう経験もあると思うんですけど、知ってたせいで変に構えてたとか色眼鏡で見てたとかありませんか? ちょっと前にバイアスっていう言葉をよく耳にしたかと思うんですけど、人間は良くも悪くも持っている情報を元に判断しますよね。 例えば、20代後半フリーター男性、就職歴なし。 40代女性独身。 50代男性、同会社勤務30年。 30代女性、

          余計なお世話?

          負けの機会

          スポーツをしていれば、必ず結果はついてきます。 勝ち、負け、引き分け。 ずっと勝ち続けることがないように、ずっと負け続けることもないです。 特にこの "負け" は特別な結果だと思います。 一生懸命取り組んだのにも関わらず、それは違ってたと正面から言われているような屈辱。 明日がもう来ないかのような失望感。 自分という存在が無意味に感じてしまうが故に、マイナスに捉えてしまうのも仕方ありません。 ただこれだけ現実を突きつけられることもないのです。 正しいことしてる

          負けの機会

          正解は疑うために

          この1年ちょっとで大きく世界が変化してしまいました。 遅かれ早かれ、ではあったと思うんですが、人間危機感を感じたり、実際に危機にあうと、大きく前に進む力が発揮されるんだなと感じます。 パンデミック関係無しに、技術の発達がとてつもないスピードで進み、変化の激しい時代と言われています。 VUCA (=ヴーカ) とも呼ばれているみたいですが、皆さんご存知でしたか? Volatility = 変化性 Uncertainty = 不確実性 Complexity = 複雑性 Am

          正解は疑うために

          あなたがそう言うのなら

          どうしても僕のクソ真面目な性格上、そしてコーチという職業上、人に対して何か伝えるにしてもアドバイスするにしても、自分がやっていないことであれば絶対に言わないようにしています。 めちゃめちゃ部屋が汚い人間に掃除しろよ、何て言われたらどう思います? 毎日遊んでばっかりで飲み歩いてる人に、ちゃんと仕事した方がいいよーとか? もしかしたら悪い自分を反面教師に、何ていう意図が込められているかもしれません。 他人から学ぶなら良いんでしょうけど、自分ならやらない。 完璧にはもちろ

          あなたがそう言うのなら

          自分のことくらいは

          語学学校で新しい言語を学ぶ中で、様々な先生から”教える” "教わる"ということを学びました。 色んな言語レベルの段階で、先生それぞれのアプローチも違いますし、獲得させたい要素やクラス内でのダイナミクスの作り方、言語に対する向き合い方を見てきました。 僕はスポーツのコーチとして、教育の分野を無視できないからこそ、生徒という立場でそういうところに注目していたんだと思います。 その中で、今でも常に頭の中を渦巻いているのは、まだ基礎の文法を学んでいるクラスの時にふと先生が言った

          自分のことくらいは

          コーチとして出来ること

          思い出せば、誰にも教わったことの無い局面で答えを求められた時に自分の基準が出来た気がします。 自分のこれまでの経験から何を大切にしてきたのか、学び返す。 そういう観点から言えば、何もかも独学と言えるのでは無いかなと思うんです。 というか独学ってどういう意味なのか? 書きながら困ったのですぐにGoogle検索してみました。 1番上に出てきたのは、 先生につかず、ひとりで勉強すること。 - Oxford languageの定義 だそう。 世の中ってそういうもんじゃ

          コーチとして出来ること

          自分の手で

          自分が見たい世界は、誰かに委ねる訳でもなく、ただ待つだけでもなく、無駄に諦める必要もなく、自分の手で作っていけばいいのではないでしょうか。 そんな簡単に出来たら、と言う人もいるでしょうけど、小さなことからでいい、むしろ大抵の物事は小さなことからしか始まらない気がします。 何かの言葉を話せるようになるにしても、例えば「英語をペラペラ話している自分」という理想があって、その自分が「各国のあらゆる人間と友達になって楽しく過ごしてる世界」を目指すのであれば、少しづつ英語を声に出す

          自分の手で