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あなたを食べて生きてきた


zine『あなたを食べて生きてきた』
お手に取ってくださったみなさま、
改めてありがとうございます。

はじめて一人でつくったzineです。
さらけだすzineピクニック vol.3にて
お披露目しました。

さらけだすzineピクニック主催のなかむらみさきさん、
目の前で読みながら大号泣してくれた成実(ナルミニウム)さん
二人に手を引かれて、zineのいろはも分からず(後にそんなものは無いと知る)参加した第一回zineピク、
推察シリーズの先に、こんな景色があるなんて、
一年と半年前には思いもよりませんでした。


たくさんの感想をいただきました。
目を見て、手を握って言葉を尽くしてくれた方。
びっくりする程の長文でメッセージを送ってくれた方。
熱を込めてレビューを書いてくれた方。
自分もzineを作りたい、と言ってくださった方もいました。
心身を整えて読みたいのでまだ読了できていません、
と、真っ直ぐに伝えてくださった方も。

書いてみて、
書き続けてきて、わかったことがたくさんあります。

己の思う以上に深い傷を負っていたこと
幸せは、笑顔でいる時間だけに宿るものではないこと
なにかを生み出す力が自分の中にあったこと
たくさんの方から愛をもらって、生きてきたこと

zine『あなたを食べて生きてきた』、
岐阜は庭文庫さんに置いていただくことになりました。
まだ行ったことはないけれど、すごく大切な場所です。
店主の百瀬さんから頂戴した紹介文を、
ここに引用させていただきます。
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「命をそのままに投げつけたかのような、そんな情動。喰らい尽くすかのような。なにかを殺しそして生かすかのような祝祭の痕跡そのもののような血の臭いと太陽の匂いのする絵」

「全部があると感じた。全部。全部ってなに。もちろんここに書かれたのは彼女の生のごくごく一部である。しかし、全部。まっさらにぜんぶがある」

「ぜんぶ。それは、彼女がおのれのすべてを賭して書いているからこそ現われるものだ。これはどう足掻いたとしても、何十年何百年これを僕が書こうとしたとしても僕には書くことはできない、ものすごくはっきりとした生の横溢。それは僕と彼女が別の生の個体なのだから当たり前なのだけれども、⁡その当たり前を言葉においてこんなにもまざまざと知覚させてくれるところに、彼女の文章の、ほんとうに素晴らしい資質…そんな当たり前な言葉すらも超越してゆく、いわく言いようもない、〈生〉が在る」
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数年前の私がこれを読んだら、率直に申し上げると、
ものすごくねたましく思ったのではないかと思います。

なにかを本気で生み出し、それが誰かに届くこと。
喉から手が出るほど欲しかった、
しかし叶うはずもないと決め込んでいた夢でした。
書きつづけてよかった、
このからだを生きてきてよかった、と思います。

ひとつの夢がかなった今、大きな虚脱感があります。
祝祭の後には、もう何も書けない、
描けないのではないか、という鬱の波がやってきて。

思えば、ずっとそんな鬱を喰い尽くしたくて、かいてきました。

こうして夢が叶っても、どれだけ有難い言葉をいただいても、
結局私はお腹が空くのだなと驚き、業の深さに呆れてしまいます。
ですがずっと自信のない私なりに、なにか自分自身を信じられることが一つあるとするならば、
その欲深さなのだろうとも思うのです。

このzineを読んで、
遺書のようだ、と言ってくれた友人がいました。
一度死んで、血反吐を吐いて転げ回った先で、
生まれ直したんだね、と。

今はまだ書けないし、描けなくても、
きっとまた、いつかなにかが生まれていく。
幾度これが最期と思っても、
生まれ直して、つづいてきたから。

つづく、の先を、よかったら、
共に目撃していただけたらうれしいです。

いつかの祭りへ
また、そのときに

世菜


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