【蟻の心、蜂知らず】

■はじめに

 この文章は、アルパカコネクト運営のプレイ・バイ・ウェブゲーム、「ホワイトレター」の世界観に準じた二次創作作品となります。
 スチームパンク風世界を舞台としたゲーム作品の自主製作スピンオフとして、同世界を舞台としたショートストーリーを創作したものです。

 アルパカコネクト、及びホワイトレターについては、以下のリンクをご参照下さい。

アルパカコネクト

ホワイトレター


《1》今日

 遠く西方の国々から、楽園にも準えられる熱帯の街アルフライラ。
 わけてもここ、海に囲まれた南東区は、彼らの抱くその願望に、もっとも近い姿を見せる。
 列強貴顕の別荘が建ち並び、白浜の海はどんな季節でも、避暑行楽の客を迎え入れる。
 南東区の象徴たる、瀟洒な白遼館。華々しくも濃い影を保つ、外交劇の舞台となる迎賓館を窓から望みながら。
 国際郵便機構・南東区支局、その廊下を、彼はやや早足で歩いていた。

「あ、ファミーユさん! おはようございます」
「ファミーユさん、今日は支局の方に?」
「丁度良かった、ファミーユさん。あとでちょっとご相談が」

「おはようございます。ええ、約束がありましてね。すいません、先約がありますので後ほど」

 つぎつぎと声をかけてくる局員達に対して。穏やかに、しかしてきぱきと、笑顔とともに返事を返しながら、ソル=アンリ・ファミーユは、廊下の角を曲がった。
 向こうからやってきた職員が、ああ、ようやく、と安堵の表情を浮かべた。

「ああ良かった、ファミーユさん。お客様、まだ応接でお待ちです」
「ありがとうございます。随分お待たせしてしまいましたね」
「急な対応が入っちゃいましたからね……。仕方ないですよ。あの」
「どうしました?」

 興味津々、と云う様子で。横を歩きながら、局員が訪ねた。

「今日のお客様…… 先週、ファミーユさん宛にいらっしゃったお客様と、関係があるんですか?」

 足を止めず、顔色も変えず。ただ、人差し指を立てて、ソル=アンリが答えた。

「内緒です。少なくとも、今はまだ。どうしてそう思われたのです?」
「いやその、なんていうか。とても似ていらっしゃったので。お顔とかではなく、その、雰囲気が」
「ほう」

 興味を引かれて、立ち止まる。目の前にあるのは応接室の扉。
 ノックに答える、小さな返事。ソル=アンリ・ファミーユは、一週間ぶりにその部屋を訪れた。

《2》先週

 一週間前のこと。

 その男性が差し出したのは、ずいぶんと大きな名刺。
 赤い紙に、墨跡も黒々と、東方の簡字が書かれていた。

「初めまして、夷壺蟻(イー・フーイー)と申します」

 そう名乗り、顔を上げた男。一言で言えば、目立たない風貌をしていた。
 背は高くも低くもなく。ややふくよかな体つきは、40過ぎの東方人としてはよくある体型。手や肌、着物の仕立てから受ける印象は、肉体ではなく頭脳を使う、裕福な人物。
 にこやかに名刺を受け取りながら、ソル=アンリの頭脳と観察眼は回り始めていた。
 礼儀正しいが、目的が判らない、不可思議な来客。下調べした情報を、頭の中で再確認する。

「夷家商会のご評判は、私もかねがね聞き及んでおります。その会頭にわざわざお運び頂けるとは、栄誉なことです」
「いえ、いえいえ。とんでもない。ファミーユ様には貴重なお時間を割いて頂き、大変感謝しております」

 戦乱の景気の波に乗り、一代で財を築いた実業家。世が平和になった今も、精力的に新規事業を開拓する、エネルギッシュなアイデアマン。
 世間で夷壺蟻は、そういう評判だ。そのはずなのだが。

「変わった名、とお思いでしょうね。夷家には昔から、縁起のいい虫の名前を、子供につける習わしがありまして」
「壺蟻、とは、確か、商売繁盛の象徴でしたか。東方に住む、巣に蜜を蓄える蟻に由来するとか」
「なんと。東方の習俗にもお詳しいとは」
「ああ、いえいえ。若い頃、東方に興味があった時期がありまして」

 雑談をかわしつつ観察する。目の当たりにした当の本人からからは、とてもではないが、いわゆる圧を感じない。
 他人を身代わりに送り込んで、本人はどこかで見物しているのではないか?
 自分で考えて、少し可笑しくなった。子供達が、最近よく読む類の小説になら、そういう話もあるだろう。
 見たままを信じ、見たままから外れない。眼前の相手に集中すべく、ソル=アンリが促した。

「それで…… 夷会頭。本日は、どのようなご用件で?」

 それまで調子良く、世間話に応じていた夷壺蟻が、一瞬、押し黙る。
 ごそごそと、視線を逸らすように、持参していた鞄を漁ると。名刺の横に、一枚の大きな写真を取り出した。

 家族写真。
 並んで立つふたりのうち、男性は、目の前の夷壺蟻。替え玉ではなさそうですね、とソル=アンリが納得する。横に立つ女性は、恐らく夫人であろう。
 そして二人の真ん中に、幼い印象の少女の姿。
 その額に、髪の間から覗いているのは…… 《イーリスの翼》だ。

「私の、娘のことなのです」

 夷壺蟻が、俯いたままで呟いた。

《3》令嬢

 今。

 ソル=アンリの目に最初に入ったのは、頭だった。
 片足を引き、膝を緩めて。深々と頭を下げた東方風のお辞儀の姿勢で。来客が名乗った。

「お初にお目にかかります、夷壺蟻の娘、夷熊蜂(イー・シォンファン)と申します。
 本日は私共親子のため、お時間を割いて頂き、大変感謝しております」

 事前に聞いていた印象よりも、ずいぶんと声に張りがある。
 そして、来客はそのままの姿勢で動かない。

 少し考えたあと、ソル=アンリが優しく声をかけた。

「初めまして、ソル=アンリ・ファミーユと申します。
 どうぞ、お顔を上げて。楽になさってください」

 その言葉に、ようやく来客が顔を上げた、と云うか、上げはじめた。無理のある姿勢だったのだろう、少し動きがぎこちない。
 ようやく顔を上げた少女が。ソル=アンリと正対して。呼吸ごと止まった。

 年のころは十五六。家の二女と、同じくらいの年頃だろうか。東方の血筋とはっきり判る面差しは、少女のようでもあり、少年のようでもある。
 父親にうり二つな、困惑げに下がった眉の下で。
 黒い大きな目を見開いて、彼女はまじまじとソル=アンリの顔に見入っていた。

 無理からぬことであった。
 ソル=アンリ・ファミーユは、美丈夫である。美丈夫なのだ。

 血筋は聖王国アモーリアの貴族であり、本人も彼の国の生まれ。
 洗練と血統、西方の優美を、金色の髪に漂わせ。若さと深みを、共に備えた様は。絵物語に現れる流浪する王族のようでもあり、古代の寓話の美女のようでさえある。
 つまるところソル=アンリにとって、夷熊蜂が見せた反応は。よくあること、いつものこと、なのだが。
 ソル=アンリの方にも、些か驚き、彼女の顔を覗き込む理由があった。

《4》父親

 一週間前。

 ふわふわとした黒髪を、背中まで伸ばした写真の少女。いつかアモーリアの街角で見かけた、毛の長い黒猫を思わせた。
 目にまでかかるような黒髪の隙間から、これも黒い《イーリスの翼》が、わずかに覗いている。

「……エージェントになりたい、と。仰有っておられるのですね。御令嬢が」
「そうなのです」

 ただでさえ下がり気味の眉に、さらに角度をつけながら。夷壺蟻が、俯いて呟いた。

「娘…… 熊蜂に《イーリスの翼》が現れたのは、しばらく前のことで。
 すぐ判りました。なにぶん、その。場所が場所ですから」
「そうですね」

 《イーリスの翼》は、特殊な才能、即ち、運命変容への耐性を持つ者に現れる、不思議な紋章だ。
 大きさも、色も、現れる時期さえも様々だが、必ず翼の形を備え、体の表面のどこかに現れる。
 顔に紋章がある、と言う話はないでもないが。額はさすがに、あまり聞かない。

「ようやく事情が飲み込めてきたところ、娘が、特務局員になりたい、と言い出しまして。
 《イーリスの翼》が現れたから、と言って。なにも必ず、特務にならなくてはいけないわけではない。《翼》があっても、機構に行っていない人もいる、と、妻ともども、口を酸っぱくして言ったのですが」
「決意は固いのですね」

 悲しげに、ぼそぼそと呟く壺蟻の姿。世間の言う、成功者の大富豪など、どこを探しても見当たらない。
 子煩悩、ゆえに苦しむ父親。ソル=アンリも、些かの同情を自覚していた。

「こんなことは、初めてでして……。
 ……ふだんは本当に、大人しい、聞き分けのいい子なのです…… それなのに、あれこれと理屈を言いだしては、頑として」
「理屈を? ほう」
「やれ、アルフライラに対する義務を果たさなければ、夷家の名を貶める事になる、とか。身内に特務職員がいれば、これからの家の商いにも利するに違いない、とか。
 挙げ句には、どうしても反対するなら、……するなら、家を出て、身一つで行きます、とまで」
「なるほど…… それは穏やかではありませんね」

 なるほど。そういうことか。
 相槌を打ちつつ、同情を自覚しつつも。ソル=アンリの思考は。この悩める父親に、これからどう応対すべきか、そこへ軸足を移しつつあった。
 なんのために、自分のところに来たのか。もうここまで来ればはっきりしている。
 次の問題は、出て来るであろう提案を、どう取り扱うべきなのか、と言うことだ。

《5》誤解

 今。

 写真では、少女の額。髪の間からわずかに覗いていた《イーリスの翼》が、はっきりとその姿を晒していた。
 刈り込まれた、と言っていいほど、髪を短く切りそろえた少女が。ようやく自分の動転に気付いて、慌てて再度、頭を下げた。

「し、失礼致しました。ファミーユ様。その…… ええと。つまりその。お忙しいのに、このようなことでお手を煩わせてしまい、大変申し訳ありません」
「ああ、いえ。お気になさらず。御父上と知己を得られたのは名誉なことです」

 名誉なこと、と言う言葉に。来客が小さく、くすんだ笑みを浮かべた。
 ソル=アンリの方も、若干の驚きを覚えはしたものの。顔にも仕草にも出すことなく、にこやかに応じる。
 東方と言っても、だいぶ広い。九輔幇と言うくらいで、多くの国々もある。だが総じて、彼らは髪を伸ばし、大事にする。
 もちろん、ここはアルフライラだし、東方系のアルフライラ人に、こういう髪型は珍しくはない。
 とはいえこれは、彼女なりの、決意の表れなのだろう。
 《翼》を隠しはしない、後戻りはしないのだと。

 熊蜂に座るよう促し、お茶のお代わりを頼もうとして、カップに目をやり、心中で眉を寄せた。
 お茶には、口をつけていない。椅子はと見れば、皺一つない。つまり座っていた様子がない。別件に時間を取られた、ソル=アンリを待っているあいだ。ずっと、立ったままでいたのだろう。
 ようやく椅子に座り、額に《翼》を持つ少女が、冷めたお茶に口をつける。
 彼女の印象を、心中で細かく書き換えながら。ソル=アンリが訪ねた。

「さて、熊蜂様。御父上からは、今日のこと、どうお聞きになっているのですか?」
「……父から、聞かれているのではないのですか?」

 怪訝そうに、熊蜂が問い返す。頷いて、ソル=アンリが優しく促した。

「もちろん。御父上から、事のあらましは伺っております。
 それゆえ、今日はまず。あなたから、あなたの言葉を伺いたいのです。熊蜂様」

 忙しく、羽ばたくように目を瞬かせたあと。どこかしら得心がいった様子で、熊蜂が頷いた。

「ディレッタントだから、ですか」
「ディレッタントだから。です」

 小さく頷く。やや視線を逸らし、暗誦するように答え始めた。

「……現役の特務職員の方、つまり、ファミーユさんに。お時間を頂く約束を取り付けた。
 国際郵便機構の業務がどのようなものか、特務職員が、実際にはどういう仕事をしているのか。きちんと教えてもらって、その上で、本当にどうしたいのか考えなさい、と。そう、言われてきました」

 不安げに、かすかに表情を強ばらせて、視線を改めてソル=アンリに向ける。
 萎縮と、緊張。取り繕おうと、隠そうとしている。ほのかな、しかし強固な不信。

 熊蜂の考えている事、心配していること。
 ソル=アンリには、手に取るように把握できた。

 彼女は恐れている。
 『特務局員になることを諦める』ように。
 ソル=アンリに。現役のディレッタントに、『説得』されることを。

 手に取るように、把握したソル=アンリが。心中で、構えを整えた。
 伝えなくてはいけない。

 それは、誤解なのだと。

《6》依頼

 一週間前。

「一点。明確にしておかなくてはならないことがあります」

 ぼそぼそと言いつのる、壺蟻の言葉が途切れるのを待って。ソル=アンリが、踏み込んだ。

「なんでしょうか」
「夷会頭の、お望みです」

 椅子の背もたれに、身を沈める。交渉事を行うにあたり、姿勢はとても大切だ。
 姿勢、表情、ともすれば視線。適切な仕草は、発する言葉に劣らず。相手を探り、相手を刺す。

「御令嬢は、エージェントとなることを望んでいる。しかし、夷会頭は、それに反対なさっている。
 会頭のお望みは…… 御令嬢が諦めるよう、私から説得する事。そうなのですか?」
「違います。そういうことではないのです」

 裏返った声は、その早さと内容は、予想と些か異なっていた。思わず目を瞬かせるソル=アンリの内心を知る由もなく。悩める父親は、やや早口に続けた。

「娘の決意が固いことは…… よく、よくよく、判っております。おるのです。できるなら、あれの思う通りにしてやりたい。
 しかし、しかしですね。私は心配なのです」

 落ち着こうとしている。感情を宥めている。
 ソル=アンリに、視線で先を促されると。話は、とりとめがなくなりはじめた。

「なんと言えばいいのか…… 心配なのです。
 あの子が生まれた時、我が家は貧しかった。
 お腹を空かせて、寒さを堪えて。なのに、泣くことさえ我慢させてしまった。辛くないはずがないのに、なにもしてやれなかった私達に、あの子は笑ってくれて。
 だから、熊蜂には、もう二度と。ひもじい思いをさせたくない。惨めな思いをさせたくない。私達のために、我慢などさせたくない。
 ただそれだけを願って、妻と一緒に。ただ、ただ。ひたすらに働いて。
 気がついたら、世間様からは。富豪よ、成功者よ、と言われるようになりましたが……

 私達は、忙しさに囚われすぎました。娘が笑わなくなっていたのか、いつからか。気がつくことができなかった。あの子のことが。わからなくなってしまった」

 言葉の回転は徐々に落ちていき、とつとつした語りへ変わっていき。
 そして、再び熱を帯びた。

「私は心配なのです。あの子は、なにかに苦しんでいる。ファミーユ様でしたら、きっとお分かりになられるはずです。
 私にも、それくらいは判ります。でも、どうすればいいのか。どうしてあげられるのか。私には、判らないのです。
 もし。でも。特務局員になる、と言う望みが。あの子が笑うことができない答えに、どこかで繋がっているのなら。
 本当なら、私は。黙ってその望みを叶えてやりたい。送り出してやるべきなのでしょう。なのに、心配で。口を開けば、辞めなさい、と言ってしまう」

 答えを待たず、息を吸って続ける。

「決して、皆様のお仕事に詳しいわけではありません。それでも、特務局員の仕事が、危険であり、過酷でもあり、ときに理不尽でさえあることくらいは、存じ上げてております。
 私が、妻が、どれだけ反対したとしても。熊蜂は特務局員になろうとするでしょう。でも、それがどれだけ大変なことか。きっとあの子は、自分の頭でしか判っていません。判っていないのです。ですが……」

 息をついて。気を取り直して視線を上げ、ソル=アンリの緑の瞳を、まっすぐに見据える。
 平凡な小さな瞳の中に、意志が覗き見える。一代の商人の圧を、この日、初めて。確かに感じた。

「ソル=アンリ・ファミーユ様。
 どうか、娘の、夷熊蜂の、教師になってはいただけませんでしょうか。
 私達の力の及ばぬ世界に行こうとしている、あの子を。教え、導いてほしいのです」

 力尽きたように、大きく息を吐く。伏し拝むように、手を合わせて。卓に伏した夷壺蟻。
 まるで変わらぬかのような、穏やかな声で。ソル=アンリが、告げた。

「どうか、お顔を上げて下さい。……よくお話し下さいました」
「それでは」
「ええ、夷会頭のご心痛、ごもっともなことと思います。ですが、もう今暫くご猶予を」

 私も、子を持つ父親の身なのですから。言葉に出さず、付け加えて。

「御令嬢のお力になることについて、私に異存はありません。
 ですが、ご本人が、それをお望みになるかどうか。まずは、それを確かめなくてはなりません。
 ともかくも、まず。熊蜂様ご本人から、直接お話を伺いたいのです」
「それでは」

 ぱっ、と。現金なくらい表情が明るくなる。
 先程の圧は最早どこへやら、子煩悩な父親の声色で、壺蟻が答えた。

「次にお伺いする時に、娘も一緒に連れて参ります」
「ああ、いえ」

 ソル=アンリが、少しばかり性急に。壺蟻を制止して、そして告げた。

「これは大事なことなのです。御令嬢おひとりと、お話をさせてください」

《7》師弟

 今。

「あなたは今、こう考えておいでですね」

 一週間前。目の前の、同じ席に座っていた、彼女の父親との話を思い起こしながら。
 ソル=アンリが、優しく切り出した。

「私が御父上に頼まれて、エージェントになる事を諦めるよう、あなたを説得しようとしていると」
「いえっ、決してそのような…… ことは……」

 びくり、と体を震わせ、熊蜂が慌てて答え始めるけれど。最後は、俯いて呟いた。

「……はい」
「御父上からの依頼は、そういった内容ではありませんでした」
「……え?」
「しかしながら。結果として。熊蜂様に、夢を諦めさせる事になるのかも知れません」

 卓に肘をつき、指を組み合わせて。ソル=アンリが、穏やかに続けた。怪訝な顔つきの熊蜂を見やり、言葉を継ぐ。

「どういう意味なのだろう、とお考えですね。
 熊蜂様。私がこれからお話ししようとしていることは、貴方が御父上からお聞きになっていた、その通りのことです。
 国際郵便機構が、どのようなものなのか。特務局員が、どういった仕事をしているのか。どのような資質が求められ、どのような危険があるのか。
 《翼》とはなんなのか。《霊障》とはなんなのか。そのようなことです」

 そこで思いついたように、卓上のベルを鳴らす。
 席から立ちあがると。卓を回る。こつこつ、とリズミカルな足音と共に。熊蜂の椅子の脇を通り、室内を横切る。

「お話しするべきことは多い。恐らく、熊蜂様が思っている以上に。もしかしたら、聞きたくない、と思うような事もあるでしょう。
 私の言う事を、よく聞き、よく考え、よく噛み締めて下さい。
 そしてそのあとで、熊蜂様ご自身の心と、もう一度よく話し合って下さい。
 本当に、特務局員になりたいのか。ならなければならないのか。

 お望みなら。熊蜂様が答えを出す、お手伝いをいたしましょう。
 一緒に、よく考えて。本当に望んでいる答えを引き出すために」

 扉の隙間から、ちょうど顔を出した職員に、お茶のお代わりを頼む。
 背中ごしに、ふと思いを馳せる。あの年頃の子供を見ると、どうしても、我が子たちのことを考える。
 年は、二女と同じくらいだけれど。気性は、そう、三女が一番似ている。幼い頃は、彼女もきっと。人懐っこく、良く笑う子供だったのだろう。
 我が家で一番小さなあの子も。今日訪れた、この少女のように。いつか親離れを果たし、巣立ちを思う日が来るのだろうか。
 その日を私達は、笑い合って迎えるのだろうか。
 それとも、この親子のように。互いを思いやりながら、背を向け合うのだろうか。

「なんにせよ、長い話になりそうです。始める前に、いろいろと必要なものがありますね」

 物思いを払い、振り返ると。熊蜂は、椅子から立ちあがっていた。
 裾を翻し、ソル=アンリの方を振り返ると。片膝をついて座り込んだ。跪いて頭を垂れ、指先を地面に揃えて並べる。
 挨拶のときに聞いた、あの張りのある声が、朗々と、唐突に響いた。

「ソル=アンリ・ファミーユ様を、師として敬い、師として従う事。
 ただいまこの時。神明天地、八霊十賢。西方天父に誓約致します。

 弟子熊蜂、教えを請い願います」

 さしものソル=アンリが。この唐突を受けきれず、言葉に詰まった。

「……熊蜂様、一体何を?」
「……いえ、その……あれ?」

 言った熊蜂は熊蜂で、何か間違えてしまったのでしょうか、とでも言いたげに。
 むしろ不思議そうな顔で、ソル=アンリを見上げていた。

「必要なものがある、と仰有られましたので……」
「確かに…… そう言いましたが」
「教えを授けていただくのですから。略式と言えども、師拝の誓いが必要かと……」
「……それは、東方の儀式かなにかなのですか?」
「……いえ、その。……いま考えた言葉です」
「うん…… まあ……。困りましたね」

 なんという大仰。頑固。ともちょっと違う。なんと言うべきなのか。
 戸惑うソル=アンリに。もっと戸惑った様子で、熊蜂の眉が下がった。

「とりあえず、顔を上げて下さい。熊蜂様」
「あの…… 師父。弟子に、様はおかしくないですか……?」
「困りました。……あのですね」

 二度目。思わず、素の言葉が続きそうになる。
 息を吸い、溜め、吐き出して。ソル=アンリが、言葉を整えた。

「椅子に座りなさい、熊蜂。
 お茶を頂いたら、講義を始めましょう」
「はい」

 なぜか嬉しそうに。とても嬉しそうに、熊蜂は答えた。

「それと、もうひとつ。私が、貴方の師匠になるかどうか。それはまた、改めて話し合いましょう。
 貴方がもし、エージェントになることを選んだのなら。教えてあげられることも、きっとあるでしょう。でも今日は、それを決めるため、来て頂いたのですからね」
「はい」

 返事の声に、張りを、弾む心を感じ取り。声音に僅かな、明るさが響く。
 もうきっと。彼女の中で、答えは定まっているのだろう。
 だからこそ、師と呼んだのだろう。

 手の掛かる子は可愛いけれど、手の掛かる弟子は、さて、どうでしょう。
 長い付き合いになりそうです。声に出さず。ソル=アンリは思った。

《8》追記

 正式にディレッタントとして採用された夷熊蜂が、南東区の分局で、ソル=アンリ・ファミーユのもとに配属となるのは、もう少しのちの話となる。

 その後、別支局へ異動となるにあたり。正式に師拝の礼を取ろうとして、夷熊蜂は一騒動起こすことになるのだが。それももう少しのちの話である。

(了)

■登場人物紹介(リンク)

夷熊蜂(イー・シォンファン)

ソル=アンリ・ファミーユ

■終わりに

 以上は私snの作成したものであり、内容について、アルパカコネクト様は一切の責任を追わないものとします。

【参考】アルパカコネクト ヘルプセンター:二次創作ガイドライン

https://support.alpaca-connect.com/hc/ja/articles/360052304232-%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%89%B5%E4%BD%9C%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?