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4歳になった孫

1年前に今年4月からの子供園への入園が決まり、私立の療育施設を辞め、月2回の医療機関での療育のみにして、4月から子供園に通うようになった。言葉は遅ればせながら発するようになった。また、昨年9月に弟が生まれ、従姉妹との繋がりもあり、子供園での同年代との刺激もあり、言葉が広がったのか、よく話すようになり、家族以外との接触拒否も薄れてきたようだ。こうして成長を続けてくれればと思う現在である。

    • 発達障害P3

      孫の母親が出産間際で孫の療育や医療機関のリハビリ、妊娠定期検診で孫に接する時間が増え、孫の様子がより分かるようになり、思うところが増えた。2種類の機関にお世話になっているが一方は医療機関で、そこでの言語聴覚士によるものはリハビリで、もう1方の療育事業所による言語聴覚士によるものは医療を伴わない療育であり、発語に対するSTの意識が違うように思える。そのどちらも大切で本人の気持ちを大切にするか、その中で発語にこだわるか、家族としては1日も早く話して欲しい、会話がしたいという気持ち

      • 発達障害P2

        月2回の療育を受けること4回。まだ言語療法士の目立った発語療育はないようである。ただ両親や私たち祖父母の努力か少しずつ発語が見られてきたような感じである。離乳食の段階で噛むことをしなかったことが口腔内の発達に影響したようにも思え、父親は吹き戻しを与えて吹く練習をたりしていた。今月末から週2回の発達支援機関での療育も受けることになっている。一度見学に行って、孫もすぐに慣れ、良い感触を持った。これからの発達を見守りたい。

        • 発達障害

          2歳9ヶ月の孫。まだ言葉が出てこない。やっと療育に踏み出した。言語聴覚士のYouTubeで知識を吸収したが現時点では言語聴覚士は孫の状態の把握の為の様子見段階でプロの技は発揮されていないようだ。これからを期待する。

        4歳になった孫

          春だったんだね!

          春だったんだね!

          春だったんだね

          春だったんだね

          コロナがやって来た!

          息子の勤めている会社でコロナ陽性者が出て、PCR検査の結果、息子も陽性となり、リモートワークになった。同居している70代の私、60代の妻は無症状のまま、まるで陸の孤島に居るかのような生活になった。妻はワクチンの2回接種を済ませているが息子も私もワクチン接種をしていない。そこに問題はないが無症状の私が陽性ならば、他の人に移す可能性がある。謹慎生活をする必要性があるということになるのだろうか。難しい問題だ。

          コロナがやって来た!

          妄想(もし貴女と私が一緒に暮らしたら…)

          「ご飯まだかい?」「もう出来たわよ。」貴女はテーブルの上を片付け、食事の用意をした。私はそれぞれの品を味わった。「どう?」「うん、美味しいよ。」「そう、良かった。」貴女は満足そうに食事を始めた。「もういいの?」「うん、満腹だ。」「私、もう少し食べるわ。」貴女は黙って食事を続けた。私はそれを心地良く眺めながらテレビのスイッチを入れた。「テレビ、面白い?」「もういいのかい?」「うん、後片付けするわ。」「手伝おうか?」「いいわよ。テレビでも観てて。」私はタバコに火をつけ、何気なくテ

          妄想(もし貴女と私が一緒に暮らしたら…)

          Weapon

          若さは武器 年を重ねて武器は朽ちる 朽ちた武器に代わる武器は? 経験、地位、名誉、金? その武器は永遠か? 否、それとて限りはある 人の一生とはいったい何なのか?

          大丈夫?

          大阪市には3つの人工島がある。南港と呼ばれる咲洲、そこから海底トンネルで結ばれている夢洲、そこから橋で繋がっている舞洲。舞洲は2つの橋でUSJ方面と北港ヨットハーバー方面に繋がっている。夢洲には物流拠点である通称DICTと呼ばれる夢洲コンテナターミナルがあり、コンテナを輸送する大型トレーラーが行き来している。そしてここ夢洲は2025年に大阪万博の開催地でもある。夢洲へのアクセスは咲洲からか舞洲から車またはバスを利用する方法と乗り入れ予定の地下鉄しかないと思われる。咲洲、夢洲、

          大丈夫?

          一雨ごとに蕾はふくらみ やがて春の宴はたけなわとなる 日ごとに愛はふくらみ やがてウェディングベルは鳴り響く 薄ら寒さの続く中 今は春 試練の続く中 今は愛 うららかな春は間近に 穏やかな愛は間近に

          暖かな陽射しの中で

          何日か続いた寒波の後のこの暖かさは冬のものとは思えない程である。この身に感ずる温もりは心の中をも穏やかにするように思われる。いつまた極寒の日々が来るかも知れぬが今日のこの暖かさを存分に味わいたい。時に自然は私を心の中まで凍らせ、時に今日のような気持ちを与える。自然の力は大きく、また気まぐれである。そして私もまた気まぐれな自然の一創造物なのかも知れない。

          暖かな陽射しの中で

          無題

          もう冬はそこまで来ている 雨はみぞれに変わり、風は私の肌を刺す 何故か心の中は暖かく、セーター姿で街を歩く もう冬はそこまで来ているのに

          感覚的関係

          ステレオから流れる静かな音楽。私は製図を描く。康子は康子でコタツに入って本を読んでいる。時々私の製図の出来具合を見て、また本人目を移す。私は疲れて鉛筆を置く。康子も読みかけの本を置き、「お茶を入れようか」と尋ねる。私は静かにうなづき、タバコをくわえる。二人は顔を見合わせ、お茶を飲む。タバコを吸い終わった私は再び鉛筆をとる。康子もまた本を読み始める。もう午前2時である。康子は眠たくなったようだ。本を置いてあくびをする。そして私の顔をちらっと見る。私がまだ寝そうにないので仕方なく

          感覚的関係

          勇者

          老朽の世界からたった1人反乱の旗を掲げて若き日々に立ち向かう。息も絶え絶えな老兵は汗を流して剣を振りかざす。「私はドン・キホーテではないぞ。」と自分自身に言い聞かせながら「笑う者は笑え。そこからは何一つ生まれないのだ。不断の努力がいつかは実を結ぶ。」白髪の皺だらけの老兵は若き勇者の如く戦った。そして…。

          回想 壱岐を想う

          壱岐の海は雄々しい。寄せ来る波は荒く、砂浜は少なく半島は断崖絶壁で、風は強く、縁に立つと一瞬心臓の高鳴りを覚え、海に吸い込まれそうな感じがする。そこでの自分は世間を離れ、つまらない事を忘れ、何を考えることもなく、ただ自分が今そこにいるということだけをわずかに感じながら時は流れる。家はそこにある。しかし今自分のいる所からは到底辿り着けない所にあり、全く次元を異にしている。旅とはそういうものなのだろうか。

          回想 壱岐を想う