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ここではないどこかへ

 「反省はしてるけど、後悔はしていない」よく耳にする言葉だが、初めて聞いたときはゾクゾクした。当時の環境や境遇やいろいろなことが作用してのことだったのだろう。高校2年の冬、沖縄への修学旅行、曇天の2泊3日、すでに親友であった彼の存在が、ただ面白いだけではなくなったのはこの時からだった。目立ちたがり屋だけど恥ずかしがり屋で、鋭角だけど傷つきやすく、意識せずとも喜劇と悲劇を同時に演じてしまう。そんな彼のせいというか、おかげというか…、僕の修学旅行の記憶は2日目しか残っていない。

 

 沖縄のどの辺りの海だったか覚えていないが、クラスメイトたちと大きなボートに乗っていた。床には窓があって、透明なガラスの向こうの海中を見ることができた。魚が泳いでいるのが見えると、周りからため息が漏れ聞こえた。都内の高校に通う僕らはみんな、透き通るような青い海を見慣れていないのだ。


今思えば、いくらか間があったから止めようと思えば止めることはできた。でもどこかで、「沖縄はいいけどなんで冬なんだ」、「海に入りたかった」、「せめて晴れてればもっと沖縄っぽかったんだろうな」と、これからの高校生活で待っている受験生としての日々に向け、修学旅行という最後の大きな思い出作りの場を以て気持ちを切り替えたかっただろうみんなと同じように、僕も中途半端に最終日を迎えそうな修学旅行にモヤモヤを感じていた。そして期待をしていた。

「あいつが何かをするんじゃないか」、いや「あいつなら何かをしてくれるんじゃないか」そう期待していた。だから、止めることはできたが、止めなかった。

曇り空の沖縄でのイマイチな思い出作りに、彼が派手に色をつけてくれるだろうと。

僕のみならずクラス全員にとって彼はそう期待される存在だった。そして彼は期待に対して敏感で、応えたいという気持ちも大きかった。


突然彼は立ち上がる。みんなの視線が集まったことを確認すると、ためらいなど一切なく一気に制服を脱いだ。いつ仕込んだのか、水着を着ていた。その瞬間あがったのは悲鳴ではなく歓声だった。男子の太い声と女子の高い声が混ざって響く。その声を浴びてテンションが高まっている彼が何をするか…、水着を着ているし考えなくても分かる。でもその時の僕は、ただ彼に期待している一人にすぎなかった。


彼が海に飛び込むと、"マジでいったよ!"というような驚きの声もあがったが、それはすぐに歓声となった。船底に潜り込み、ガラス窓の向こうから変顔を向けてくる彼にみんなは手を振った。

冬の沖縄、曇り空の下、水温はどれほどだったのか、あの時のドキドキを今もよく覚えている。



 バスがホテルに着くとすぐ、彼は豪腕の体育教師に腕をガッシリ掴まれてどこかに連れていかれた。当時はポケットベルが主流で、PHSはいわゆる一軍で上位の一部しか持っていなかったが、各クラスへの情報伝達は速かった。僕らがバスを降りると、他のクラスの人たちがまるで芸能リポーターみたいに集まってきて質問攻めにしてきた。(若い人はポケベルもピッチも知らないでしょうね笑)



 一般の客室に隔離され、反省文を書かされていたという彼が戻ったのは夕食のときだった。

学年全員が集まった大宴会場に登場させるとは、鳩胸体育教師も粋な演出をしやがると思ったが、もしかしたら見せしめだったのかもしれない。もちろん噂は広まりきっていて、観音開きの分厚いドアを開けてジャージ姿の彼が入ってきたときは、まるで漫画かというようなザワザワというざわめきが起きた。

彼が席に着くとみんな話を聞きたくて聞きたくて仕方ないのだが、元気があればなんでもできるな昔ながらの体育教師に制され、やむを得ず黙々と夕飯を食べた。

部屋に戻る際も質問は禁じられ、かといってそんな時に他の話題なんてあるはずがないから僕らは黙って部屋に向かった。こういうときのクラスの団結力というか、意識の高さというのは本当に笑えてしまう。



 本人から話しが始まるのか、誰かが訊くのか、訊くのであれば誰が中心になって質問を始めるのか…。気づいたらみんな車座になっていたが、何も始まらない。でもみんなニヤニヤしている。この時僕は、"Yと同じクラスで同じ部屋でよかった〜"と心から思っていた。クラスの、いや学年の注目を一身に浴びている男の話を最速で聞けるなんてついている、と。

もしかしたら、こっぴどく説教されたかもしれない彼の気持ちなんて考えもせず、普段目立つことのない自分が、何かいつもと違うものになったかのような勘違いをしていた。

この時も、これ以降も、彼はよく僕にそんな勘違いをさせてくれた。


みんなが互いの顔を見合わせ、様子をうかがう時間が少し続いた。誰が話を切り出すのか。すると、シャイだけどお調子者で仕切るのが上手いTがもう我慢できんとばかりに早口で彼に訊いた。

どこにいたの?何やらされてたの?〇〇(体育教師)には何かやられた?

言いたいことも言えないこともいろいろあり過ぎるのか…彼は口籠っていたが、少し間を置いてから反省文の最後に書いた一文を教えてくれた。

「部屋で反省文書かされてた。反省文とかどうかと思ってさ、部屋中にションベンぶちまけてやろうかと思ったけど…、ホテルの人に悪いし…。あと、船底についてるプロペラにもし絡まっていたら大怪我だったろうって…。船頭さんやみんなには心配かけたよな。でも、"反省はしてるけど、後悔はしていない"って書いたのは本当の気持ち…」

反省と後悔について、一瞬考えて僕は彼の言いたいことや心情がなんとなく分かった。そして、もしかしたら彼が大怪我をしていたかもしれないことを想像するとゾッとして、煽るだけ煽って何の責任も負っていない自分が急に情けなくなった。さっきまでの何かになれたかのような高揚感はどこへいったか、僕はただ下を向くしかなかった。

高校2年生だった彼はみんなの期待に応えるため、一人でやって一人で怒られ、誰もいない部屋で反省し傷つき、それでも少しはみんなの憂さを晴らせただろうと後悔をすることはなかった。

この日この時から、彼を見る目が向ける視線が僕の中で変わった。そんな修学旅行2日目だった。


 

 一緒にいて楽しいこと刺激的なことは数え切れないほどあったが、もしかしたら劣等感を感じることのほうが多かったかもしれない。いろいろな国を一緒に周ったが、彼はどこの国でも人気者で、アジアでもヨーロッパでも周りを笑わせていたし、女性にもよくモテた。

旅先で出合い長期間同じ宿で過ごし、後に有名女優と結婚した写真家とも感覚で話をしていたようだが、僕には二人が何を言っているのかよく分からなかった。

彼らが夜中女性に呼び出されて出掛けてしまうと、僕は広いトリプルルームの部屋に一人取り残された。


 

 人生半分生きてみて、今もなお我が人生最大のファインプレーは彼と他の親友二人に出会えたあの高校に行ったことと迷いなく言える。でも、たまに、夜中一人で飲んでいると思わないこともない。"もう一つの高校に行ってたら俺は今頃何をしていたのかな…"と。彼はそれくらい自分にとって、計り知れない存在なのだ。


 

 刺激的な友との出会いは、別れも刺激的というか唐突だったりするから、出会えただけで油断してはいけない。

いつでも、どこでも人気者だった彼。僕にとってはただただ眩しい存在で、歳をとっても肩を並べて歩くどころか、いつだって後ろをついて歩いていた。そんな光であるはずの彼も、思えばよく言っていた。「行きたいよな、ここではないどこかに」と。


今ではないどこか。ここではないどこか。

そう言っていた彼は、共通して好きだった…というか彼が教えてくれて好きになった作家の記念館に行った日を最後に連絡がとれなくなった。夏真っ盛り、ものすごく熱い日だった。

昔からちょくちょく、連絡がとれなくなるときがあった。期間はその時による。半年だったり、一年だったり二年だったり。それでも何となく会わないことに慣れ始めた頃に突然連絡がきたりした。

しかし、今回はもう六年になる。


また、次があるのかもうないのか、それは彼にしか分からない。宇多田ヒカルさんの歌詞を借りれば

"最近調子どうだい 元気にしてるなら別にいいけど"

僕はそういう心境だ。もし次に彼と話すことがあったとき、恥ずかしいことがないよう日々できることを重ねていくのみ。

まったく、男が男に惚れてしまうというのは厄介なことだ。女性との別れは時間が経てば忘れられるが…。


猛暑日のあの日、彼は昼食に生姜焼き定食を食べていた。食事には一切金をかけない彼が、ラーメンやチャーハンなどの単品ではなく定食を食べていたのは印象に残っている。僕たちが好きな作家が晩年を過ごした家、書斎、使用していた筆記具やメモなどを見て興奮していたからだろうか。

「あの時なんで定食食べてたの?」

どこにいるのか分からない彼には、そんなくだらなくて、どうでもいい質問すらすることができない。

いつもの場所でも違う場所でも、生姜焼き定食を食べると彼を思い出さずにいられない。




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