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妄想する二大巨匠対談

日常あるある系エッセイ漫画、という表現が正しいのかどうかは分からないが、その最高峰と言える2大漫画を日曜日の18時台に2本続けて観られるのはすごく贅沢なことだ。

特に今は、「春のさくらももこ祭り」と題しさくら先生原作エピソードの再放送がやっているからファンとしてはたまらない。 


子供の頃、姉と一緒にコミックスで読んだ「ちびまる子ちゃん」は今も色褪せず、忘れることはない。

家族旅行に行ったときも、年末に父の実家に行ったときも、単行本をリュックに入れて出掛け、ホテルの部屋や移動中の新幹線で読んでいた。

1学期最後の登校日に、溜め込んだ大量の荷物を汗かき運ぶまる子と自分を重ねたり、厄介事に自ら首を突っ込んで、特大のオチにハマるまる子を見て僕と一緒だと苦笑いしたり、おじいちゃんと仲良く遊ぶまる子を見てじぃちゃんに会いたいと思ったり、どれも良い思い出だ。

プサディーとのエピソードを新幹線の車内で読んでいると涙が出て、恥ずかしくて姉に顔を見せられなかったことも、アニメを観ていると懐かしく蘇ってくる。


「サザエさん」の原作本にはほぼ触れたことはないのだが、小学校低学年の頃、祖母の姉の家に遊びに行ったとき、本棚にマンガが並べられていた。

記憶が定かではないが、当時アニメ「サザエさん」は今と変わらず日曜日の他に、確か火曜日の夜も放送していて週に2回観ていた。子供の僕にその意味や面白さがわかっていたかと言えば、たぶん半分も理解していなかったように思うが、「サザエさん」のマンガが家にあるのは凄いと感動し、大きいバァバとはろくに話もせず、あったマンガ全てを駆け足で読んだ。

父は会社員だったから「サザエさんを観ると憂鬱になるんだよ」と、いわゆる『サザエさん症候群』についてよくボヤきながら聞かせてくれた。日曜夜の物悲しさや、月曜日が来てしまう圧迫感など当時微々とも感じたことがなかったので、僕は黙って父の話を聞いていた。

グルーミーサンデーに放送され、色々な形で国民の記憶に残る「サザエさん」は昨年めでたく、放送50周年を迎えた。本当にスゴいことだ…。


これもまた記憶が曖昧で、どんな話だったかよく憶えていないのだが、「ちびまる子ちゃん」の作中に磯野カツオの名前が出てくるシーンがあった。

当時、すでに日曜夜は両アニメを観て過ごしていた僕には、まる子の中にカツオの名前が出てくるのは何だか凄いことのような気がして、強く印象に残っている。


長谷川町子先生と、さくらももこ先生が天国で出会い、漫画や日常のあるあるについて話をしていたらと想像するだけでワクワクしてしまう。


そして、何でも無料なこの時代にそれなりの金額を出してでも、両者の会話を聴かせて欲しいと願うのは、僕だけではないはず…。




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