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ヒッチハイクを乞食と呼んだ人へ。【前編】

「あんなの乞食じゃん、赤の他人にお願いして助けてもらってさ。媚び諂ってしか前に進めないんだから」


少し思い出話をしよう、まずはそれから。


大学は楽しかった。

高校生までのような決められた時間割もなければ社会人のような責任感もない。新入生歓迎会で仲良くなった友達といかにも大学生っぽいことができそうなサークルに入りまだ出会って数日しか経ってない一人暮らしの子の家で朝を迎えたり


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毎日ドンチャン騒ぎの宴会、二次会にカラオケオール、朝飯に松屋。

時には深夜、電話で先輩に急遽呼び出されドライブに連れていってもらいもちろん寝不足オールでそのまま授業に出てみたり

まあ所謂、世間が言う「人生の夏休み」と言われる大学生の日々を過ごした。

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少し大人になった気分だった。今まで知らなかった世界を知れる喜びが自分の心を満たしていった。


入学を祝福してくれてたかのように咲いていた桜が散っていき徐々に新生活に慣れてきた頃だった。


消費するだけの楽しみ方に飽きが来たんだろう。「このままで大学生活を終えていいんだろうか?」急な焦燥感に駆られ全く興味のなかった海外ボランティアサークルに顔出したり、新歓期間が過ぎたにも関わらず無理言って部活の見学までさせてもらった。でも「何か違う」と思って結局何も入らなかった。

そうしてただ漠然と、将来への不安を感じながらも何もできずモヤモヤした気持ちだけが自分の脳内を埋め尽くし時間だけが過ぎ去った。何か掴みたいが手を伸ばしても空をきるだけの日々が続いた。

かれこれ季節は巡り、再び桜の開花のシーズンに突入していた。あっという間の時の流れを感じながらもあの日から足は止まっていた。

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『ヒッチハイク』を知ったのはそんな時だった。

最初は興味本位だった。どうやら犯罪ではなさそうだしいろんな人と会えて何より見知らぬ人に車に乗せてもらって旅ができる。そんな未知な世界にどうして入ってみたかったんだろう。それにこのまま周りの学生とだけで終える学生生活を生きるには自分の世界は狭いなと感じていた。

すぐさま友達を誘った、昔から瞬発力と巻き込む力だけは売りだった。右も左も分からないままペンとスケッチブックを持って東京ヒッチハイクの聖地といわれる「用賀マック前」に意気揚々と向かった。


この日から僕は旅人になった。風に流れて行く白い雲のように自由気ままに旅をして日本だけじゃ飽き足らず海外にまで飛び出した。生きているということをこれほど実感したことはなかった。もし「旅人ビンゴ」なるものがあったら破竹の勢いでどんどん埋めていっただろう。


気づいたらもう僕は大学3年生になっていてお陰様で全国に友達もできた。ただ刺激的な旅をするだけじゃなくて「テーマ」を持って行ったりどのように旅の経験を今後に活かしていくか自分の中で試行錯誤していた。

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そんなことを考えていた、ある日だった。

その日は名古屋にいた。友達が古民家をDIYしてシェアハウスにしたらしく一度行ってから居心地の良さに何度も通うようになっていった。

そこは雰囲気もそうだが夜にちょっとしたイベントだったり集まる人が面白くて、何かまたヒッチハイクなどで出会ったのとは違う、新しい出会いがあるのではないかと密かに思っていた。

いつも通りの夜、機会は突然現れた。それはヒッチハイクで東京から来た女子大生二人組との出会いだった。正直この家にいるとヒッチハイク経験者ばかりでわざわざその話をすることなんてないのだが、この日は違った。

『なんか結構マイナス意見らしいんだけどちょっと喋ってみたら?ほら、日本一周とかヒッチで2回もやる人もあんまいないし説得力あると思うよ』


どうやらその二人組が初めてヒッチハイクを経験してみて批判的な意見を言っていたらしい。


知ってる中でも基本経験者は肯定的でプラス意見が多い。ありきたりだが、アクティブに動くことの大切さや勇気、人とのコミュニケーションの仕方、何と言っても「こんな俺を拾ってくれるなんて日本国民捨てたもんじゃないな」なんて思ったりする。

ではマイナス意見って何だろう、どんな意見なんだろうか。

そんなことを考えながら今宵もたくさんの来客で賑わう中、人混みを掻き分けて彼女らの元に向かった。

さて、長々と話したがここからが本題である。


「ヒッチハイク」とは何か。

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行き着いた答えは「コミュニケーション手段」だった。

他の旅と違いヒッチハイクは唯一「コミュニケーションを取らなければ前に進めない移動手段」なのだ。

旅の移動手段は他にもある。根気よくひたすら徒歩でも、自分の限界を信じてチャリでも、青春18切符でゆっくり電車でも、バイク、車でもいいわけだ。

ヒッチハイクをする。それはつまり「人からの恩」を受けることは前提で話は進んでく。当たり前だ、乗せてくれる人は理由は人それぞれだが相手の労力、お金でこの旅は進んでいく。乗せてもらった車のガソリンは相手の善意だと言ってもいいだろう。

ヒッチハイクは、相手の善意を引き出して「恩」を受けることから始まる。


ここまでくれば察してる人もいると思うが冒頭のセリフは、彼女らが僕に発した言葉である。

「あんなの乞食じゃん、赤の他人にお願いして助けてもらってさ。媚び諂ってしか前に進めないんだから」

ある意味この発言は、正しいと思っている。何故か。

乗せてもらうことは大きく言うと、1つ目のステップなのだ。

経験者ならわかると思うがヒッチハイクにおいて表情や身なり、低姿勢でいくことは基本。「スマイルください」ではなくて「スマイルいかがですか??」の状態で道端やSA、パーキングでどんどん話しかけていく。


それがダメなら手法を変えて少しでも目立つ動きをしてみたり全身全霊でアピールをする。僕が知ってる中には「肩車」していたり大道芸のような芸で注目させたり本当に多種多様だ。

しかし、共通してるのはいたってシンプルで

「乗せてあげよう」と思われるだけ。お願いを聞いてもらう、わがままを受け入れてもらうためにしてるのだ。

そう思うと赤の他人にお願いして助けてもらうし、見方を変えれば乞食のように媚びへつらっているようにも見えるだろう。

では何故、批判的な意見に捉えられる言い方になってしまうか。


これは「ヒッチハイク」に対する観点が大きく相違しているからである。

おそらく「無料で行けるちょっぴりドキドキする移動手段」であり乗せてもらうことが目的になってしまうのではないだろうか。

無理もない、好奇心に任せて始めた自分も当時は同じように思っていた。そこを否定する気は無い。ただ経験してみて一つの観点しか見れず批判するのは危険である。

行き着いた答えは「コミュニケーション手段」だった。他の旅と違いヒッチハイクは唯一「コミュニケーションを取らなければ前に進めない移動手段」なのだ。

そもそも上記で述べたように「コミュニケーション手段である」と思えば会話のきっかけは重要視するべきでは無い。たまたま声をかけられてもいいし体をはってアピールして乗せてもらってもさほど関係はない。

乗せてもらうことはゴールではなく、新たなスタートなのだ。

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乗せてもらってからどんな話をしたか、どんな人だったか、どこまで信頼関係を構築できたか、どこまで自分を知ってもらえたか。これこそがヒッチハイクをする意味にもなれば批判的な意見だけを持つことにはならないと思う。

最近の多くの学生がヒッチハイクをする姿をSNS等で見かける。自分を未知の世界に預けるにはとてもいい方法だと思うが、時にはやり方や自身の旅の意味を見つめてみるといいかもしれない。

おごってもらった金額や目的地に着くまでのスピードだけを競うのはもう辞める頃だろう。

この記事は特にこれから始める人、経験者にも届いて欲しいと切に願う。

後編に続く。



























おそらく今宵の晩酌が、発泡酒ではなくビールになります。