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腱鞘炎と生きた14年

14歳から現在まで14年、人生の半分を腱鞘炎と生きてきた。

腱鞘炎という問題に振り回され続けたこれまでの人生がどのようなものであったか、一つの区切りとしてここに記しておく。

発症

中学1年からドラムを始めて1年、文化祭前で練習に熱が入ってきたとき、手首が痛むことに気付いた。

病院に行っても、返ってくる答えは「手首を使わないこと」と湿布の勧めのみ。いくつかの病院を回って同じ答えをもらい続けるうちに解決を諦めてしまった14歳の自分が取った選択肢は、とりあえず湿布をして文化祭を終えることだった。

慢性化

しかし文化祭は毎年やってくる。高校生になるとジャグリング部にも入り、文化祭時期には毎年湿布を貼ってバンドとジャグリングのステージに立つのが恒例になっていた。一年に一度大きく手首を痛めても、そのほかの時期に練習を軽くすることでなんとか高校最後のステージまで手首を騙し続けることができた。

それが着実に手首のダメージを深刻にしているとは気付かずに。

負担低減の工夫

大学に入る頃には流石に騙しきれないほどのダメージになっており、ドラムは辞めざるを得なかった。ジャグリングもそれまでやっていた手首への負担の高いものはやめ、コンタクトジャグリングという負担の軽いものへ転向した。

コンタクトジャグリングはボールを身体の上で転がすスタイルなので手を使う時間は比較的少なく、手だけを使うタイプのジャグリングより大分負担は軽かった。しかしそれでも、いつか大きなステージに立つため毎日数時間の練習を続けると、さらに負担を軽くする工夫が必要になった。ボールが手の上を転がるだけで痛みが出るようになってしまったのだ

その後は手を使わない独自のスタイルを開拓し、コンタクトジャグリングを続けることになる。

限界

しかし結局、腱鞘炎を治す必要があると本気で思えたのはこのスタイルの先がどん詰まりであると気付いてからだった。結局のところ、比較的手を使わないとはいえ技をものにするほどの練習量の中では悪化の一途を避けることはできなかった。

今思えば、そもそも腱鞘炎の根本的解決を考えることなくやりたいことを続けるのは暗闇を進むようなものだった。行く道が先細りになっていくのはどこかで気付いていたが、他に行く宛てもなく、ただ光のありそうな方へ進んでいくだけだった。

結果、大きなステージに立てるような人間になりたいと18の時に描いていた目標は叶わず、ジャグリングはやめざるをえなかった。中学や高校の自分にこの未来を教えて、それではとすぐ当時の趣味を辞められたかはわからない。手首を休めるためにステージを辞退することを考えもしないほど、バンド活動もジャグリングも楽しんでいた。

しかし現実として発症から既に7年、慢性化した腱鞘炎を治すのは並大抵のことではなかった。

腱と違い、筋肉などの身体の部位は傷がついても元通り、ないし更に強くなって回復する。しかし腱は一度傷付くとそのダメージは深く残り、次に痛めた時に更なる傷を呼ぶという。高校の時から通い始めた整体では、既に職人の腕のようだと言われていた。

身体を知る

整体では運のいいことに腕のいい先生に当たったこともあり、ひどくなる度に通っても毎回痛みは和げてもらえた。しかしやはり毎日の生活の中で悪化させ続けた手首を週に1度の整体で完璧に治してもらおうなどというのは無理な話で、つまり自分の生活自体をどうにかしなければならなかった。

そこでヨガを始めた。ヨガに期待していたのは、「自分を常に整体後の状態に保つ」こと。手首の腱鞘炎を治すのに整体の先生がしてくれるのは手首の治療だけではない。全身の歪みを検知し、整え、姿勢そのものを正してくれる。その状態で手首を使って始めて、症状を悪化させずに作業ができる。そして、確かにそのセルフ整体の機能がヨガにはあった。

意外だったのは、数年間ヨガを続けていく中でその機能を実感すると同時に、自分の身体への知見が明らかに深まったことだ。ヨガ以前に整体に通っていたときは、例えば「今ここを治してみたんですが手首の具合どうですか?」とか「左の骨盤が右の骨盤より下がってるのわかりますか?」などと問いかけられてもよくわからずなんとなく同意するのみだったが、ヨガに通い始めてからはそのような質問に確かに答えられるようになった。それだけでなく、初めはどのような形であれ右手に体重をかけられないと思っていたところ、実際には「拳を床につく形」や「手首が垂直にならない形」であれば体重をかけても傷まないことを知るなど、身体の可動域は劇的に増えていった。

そうしてだんだんと症状が軽くなっていく中で、今の仕事であるグラス屋での切子制作をすることも可能になった。しかし切子は集中の中でグラスをコントロールし、機械に押し付けることで削っていく作業。1日に何個かの制作なら問題なくできても、やはりまだ毎日何十個もの制作に耐えるような身体ではなかった。

力を得る

ヨガに行く前から整体で言われていたのは、腕に筋肉がないので代わりに手首に力が入ってしまっているということだった。しかし手首を痛めている中筋トレなどしてしまえば、筋肉を得るより先に手首が悪化してしまう。

ヨガに行って自分の身体の動かし方を知って、初めて筋トレを始める準備が出来た。

今は筋トレを始めて2年ほどになる。手で押す動作をするマシンは未だに使えないが、手を使わないものや引く動作をするマシンを中心にトレーニングをすることで、症状を悪化させない身体作りが進められている。特に背筋がついてきた効果は素晴らしく、切子の際にもこれまで全く使っていなかった筋肉でより安定したグラスのコントロールができるようになった。

これからの展望

去年は会社で切子の大きな注文をいただき、簡単なカットではあるが2500個ほどのグラスを手首に支障を来たすことなく削りあげた。

もう整体に行くこともほとんどない。

それでもそれはまだ手首のダメージゲージを観察しながら超えてはいけないラインを保っているだけで、実際には毎日ダメージを感じながら、どうにかコントロール下に置いているだけに過ぎない。

これまで以上に腱鞘炎を恐れない生活を実現するためには、ヨガや普段の生活での観察を通して自分のできないことや苦手なことを更に深く知り、それらの中の可能なものから改善する術や力を身につけていくことで、そもそもダメージを受けない身体の使い方を習得する必要がある。

ここから数年はまた、そのために捧げることになるだろう。しかし少なくとも、数年前のように暗闇の中を歩かされているような感覚はない。
もし腱鞘炎が完全に治ることがなかったとしても、今は自分の道が先細りでないことを信じているし、この方向に歩いていればその一歩一歩が人生をより豊かにしてくれることを知っている。

腱鞘炎を抱えたこれまでの半生は、小さな改善が人生を豊かにすることを知る有意義な障害を自分に与えてくれたのだと結論して、この記録を閉じたい。

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