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サッカーはやめてしまったけれど その18【クラブ(練習環境)とチーム(共通集団】

体育会バレーボール部に入って、ある程度上達したら他の種目をやろうと考えていた。バスケットボールやラグビー、テニスなんかも面白そうだ。サッカーはひとまず置いておこう。なぜなら、当時のサッカー界において静岡県は別格で、静岡を制するものは全国を制すと言われ、県大会にすら行けなかった韮山高校が他県から静岡遠征に来た強豪チーム、それも全国大会出場チームに勝ったりしていたほど。プレーレベルは体育教師としては十分だと思っていた。

そんな自分が1992年に入学した時、神奈川県の大学選抜チームに選出された経歴の持主《佐々木一高》という同級生がいてサッカー部に所属、後にキャプテンも務めている(ちなみに彼のお父さんは建築家で蕎麦宗にも来てくれました)。サッカーセンスに溢れインテリジェンスそのままのスマートなプレーに加え、泥臭く無尽蔵に動き回る姿を学内のグランドでの試合で何度か目の当たりにした。当時の横浜国大の監督は田村先生という教授で、『西の*釜本、東の田村』と言われたかつての名選手。二人からも誘われたものの、僕は一連の話の中で述べたように、サッカー選手として挫折していたのでサッカー部に入ることは選択肢になかった。

それでもサッカーが嫌いになったわけではなく、プレイ出来る環境を探していたこともある。学内のサークルや横浜の地域のサッカー同好会など回ってみたものの、いかんせんしっくりこない。それは、僕が求めていたのは練習環境としての『クラブ』で、勝利という共通の目標を遂行するための集団『チーム』ではなかったからだ。

体育会系のみならず、スポーツ試合をする以上勝つことを求めるのは当然だが、勝利至上主義という言葉があるようにそれのみが目的となってしまうことが多い。特に日本はその傾向が強い気がするのだが、本来遊びであるスポーツはプロでもない限り《楽しむ》ことが第一義であるはずだ。しかし歪んだ形で勝利を求めるがゆえ、集団にそぐわない個は排除される傾向にある。同調圧力の強い日本ならではかもしれないが、チームスポーツであっても個々人で目的や目標は異なるはずなのに、共通する行動を強要される。

サッカー部やバレーボール部のように、体育会は大学の名を背負ってもいるので、『チーム』としての横並びは致し方なく思うが、サークルや社会人の余暇クラブまでそうあることには納得し兼ねた。結局、そういった価値観とサッカーのレベルを揃えた環境を見つけることは出来ず、残念ではあるが大学4年間はサッカーから離れていた。

これより20年後にSMPという自転車の『練習会』を始めた時、クラブ(練習環境)というこのことも念頭にあった。しかし、大方の自転車チームは*ロードバイクという個人種目にもかかわらず、大抵集団主義に陥るようだ。一人ひとりの目的や目標を大切にする、つまり個人主義はなかなか日本には根付きにくいものなのかもしれない。つづく

*釜本…釜本邦茂。メキシコ五輪で銅メダルまた得点王になるなど、日本サッカー史上最高のFWとされる名選手。

*ロードバイク…アマチュアの個人スポーツに対し、プロはエースを勝たせるための集団チームスポーツである

#個人主義と集団主義 #練習環境 #勝利至上主義 #クラブとチーム

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