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体癖ガチ勢のための”体癖の「え?それホント?」”

お体からの体癖診断をしていると、時々「???」なことをおっしゃられるお客様もいらっしゃいます。

「私は一種ですか…私ってカマキリ顔ですか?」とか「私の裏の体癖は何ですか?」とか。

あぁ、確かにネットではそんなこと書いてあるよな…
ウィキペディアとか見ても、野口晴哉先生がおっしゃっていることと編集された方やその方が影響を受けたであろう方の見解がごっちゃになって書いてあるもんな…

「???」なご質問を受けるたびに、そういった気持ちになるのですよね。

ですが「いやいやいや、一種はカマキリ顔じゃないですよ!」とか「裏の体癖?それってどういう意味ですか?」などとは言わないわけです。
それを研究された方にはそういった結果が出たのでしょうし、長い期間をかけて研究し、たくさんのソースがあってそれを発信されたのでしょう。

それでも、晴哉先生はそんなことはおっしゃっていない。
そして私の研究ともずいぶんと違っているのです。

晴哉先生は「体癖はまだ研究段階だ」とされていました。
体癖の研究を推し進めるために整体協会を立ち上げたようですが、その整体協会でも各々の会員様の見解が異なっていて、「こうじゃなきゃ体癖じゃない!」というコンセンサスは存在しない、と整体協会に所属している知り合いの整体師は言っていました。

コンセンサスがない=意見が一致していない…
それには陰と陽があるように思います。

陰の面としては、ソースが明らかでなくても、好き放題言ってもいい。
それによって各々の主張がバラバラになり、混乱が生じる、ということですね。

陽の面としては、晴哉先生お一人ではできなかった研究をすることができて、体癖に関する新たな発見や活用の方法があること。

現状ネットを見るに、陰の面の方が悪目立ちしているように見えるのは、私ソシャフィアが八種九種という重箱の隅をつついて重箱自体をぶっ壊す体癖だからなのかもしれません。

が、その一方でX(旧Twitter)で私のポストに対して以下のようなリプをいただきました。

このリプで重要なのは、”整体系としては”の部分なのではないかと個人的には思うのです。
こちらの方は武術家にして整体師で、普段から人の体を施術している方なのです。

そう、ネットの体癖に関する情報などは「整体師が使おうとすると、使えない」ものが多い。
要は、整体術を活用して、体なり心なりを回復に向けさせる訓練をしてきた人間からすると、だいぶ変なのが多い。
それをもってこのリプをくださった方は「実際との相違」とおっしゃったのでしょう。

例えば、カマキリ顔だからといってその人の腰椎一番を調整しても心身の回復には至らないわけです。
一種であれば、腰椎一番を調整すれば、体癖による症状の軽減や体癖による心の状態などに、整体術的には何らかの変化はほぼ必ず起こります。
それならば、カマキリ顔であるのはその人の体癖なのではなく、たまたま遺伝的にカマキリを彷彿とさせる顔だった、というだけのこと。

体癖は元々整体の技術であって、整体術として体癖を活用するならば、それを元に調整(操法)をかけたり体操をしたりするからこそ、意味があるのです。
逆を言えば、それを元にしても何の変化もないのであれば、その体癖ではない、ということになるわけですね。

そういったことを基準としていくと、「え?それホント?」という情報はネット上にゴロゴロ転がっている。
それもそう発信されている方の研究であって「そうじゃない!」と言い切れない部分もたくさんある。
なぜなら、その方が整体的な基準で体癖を捉えているかどうかは分からないから。

人生経験によるものもあるでしょうし、論理的に一致したものもあったのでしょうし、どなたかが言ったことをそのまま言っただけだったりもするのでしょう。
それは分からないし、それによって人生が救われている方もいるのかもしれない。

ですので、私がディスっていい話ではないのです。
出発点となる基準が異なっていれば、出口だって異なる。
「こうじゃなきゃ体癖じゃない!」というのはないのだから、それはそれでOKなのです。
(本音を言えば、私としては不満しかないけど)

しかしながら、私が発信しているものを読まれる方にとっては、混乱を生じることになる。
私は「九種はセンター顔」なんて言ったことはないし、「複合体癖は必ず3つの種の複合」なんて言ったこともありません。
それでも「二つ目までは分かりました。もう一つの種は何ですか?」と聞かれるのです。

「体癖って一生変わらないんですよね?」と信じている方もいます。
が、私の研究では、体癖は変わる場合もある。
体癖を運命論やタイプ論や気質論とごっちゃにすると、私が発信している体癖は全く筋の通らないおかしな話になってしまう。

というわけで、今回の『タイヘキストマガジン』は、”体癖の「それってホント?」”についてお届けいたします。

「ホント」という言葉は「ホントじゃないこと」があることが前提となりますね。
ですので、あくまでも整体師歴20年、施術数4万名ちょっとの私ソシャフィアから見た「ホントじゃない」について書いていきます。

この記事の目的は、単に私の読者様の混乱が今後起こらないようにするため。
他をディスる目的で書くのではありません。
喧嘩を売るのが目的でもありません。

私の一般に向けての発信は2023年12月現在では、noteとXくらいですから、読者様はそれほど多くはありません。

それでも、めちゃめちゃ濃い。
特に『タイヘキストマガジン』を継続的に購読されている方は「体癖超ガチ勢」と言っても過言ではない。

体癖にガチであるということは、人生においてガチである、ということ。
そしてガチな人は、迷いも多い。
それだけ真剣だから。

今回はそんな体癖ガチ勢の方だけに届いて欲しいので、今までにないくらい高額な記事にさせていただきます。
(2023年12月末までは『タイヘキストマガジン』にご登録されれば1,000円で読めるんですけどねw)

普段は基本的に文字数を元に価格を多少上下して設定しているのですが、今回に限っては、価格と内容がともなっておりません。
せっかく高いお金を出しても、得る情報は少なめです。
っていうか、『タイヘキストマガジン』を継続的に読んでいなければ、分からないと思う。

それどころか「え…私が他の人から学んできた体癖って…」となってしまう可能性もあるし「おいお前!たかだか施術歴20年くらいで偉そうに言うなや!」と言ってくる人もいることだって考えられる。

このnoteは、2023年最後に八種九種が書く『タイヘキストマガジン』を飾るにふさわしく、読む人を振り分けます。
ガチ勢なら「おぉ、そういうことか!なるほど!すげぇ面白い!けどどこかでこの話聞いたことあるかも!」とご納得いただけるでしょうし、そうでない人にとっては「体癖って難しいね」くらいにしか思わないでしょう。

どうか、ガチ勢の方のみがお楽しみになられますように。

「体癖かどうか?」の基準

他の人の研究をどうのこうの言う前に、私自身が「この体癖はこう」と断定する基準について書いていかなければなりませんね。
2つだけあります。

一つには、晴哉先生が著書の中でおっしゃっていることと矛盾なく一致していること。
もう一つは、体からの体癖診断でその種の特徴が整体術の検査によって検出されること。

まずは一つ目。

これは大前提。
体癖を学ぶ人は、まずは『体癖』は読んでおく必要があると思います。
できれば『整体入門』や『体癖第二巻』も読んでおくと良いですね。

体癖を人生で活かすためには、オリジナルはきちんと網羅しておくと良いのではないかと思うのです。
私が言っていることも、晴哉先生のお言葉と乖離がほとんどないはず。

ちょっと相反する部分もありますが、それは各種の感受性の表れの”見方”について。
晴哉先生が活躍されていた時代と現代では、だいぶ感受性の表出が異なっているように私には見えるのです。
当時を生きていた私の母親世代以上の方に聞いてみた分には、当時は現代ほど擬態文化ではなかった。
もっと生き生きとしていた。
それに関しては、『タイヘキストマガジン』の記念すべき第一号の『晴哉時代と現代の体癖』に書きました。

それでも、体癖各種の体の特徴や、高潮や低潮の体の波、鬱散と集注などについては、完全一致しているように思います。
晴哉先生がおっしゃっていることをそのまま私なりに研究してみたら、やはりそうなのです。

ですが、晴哉先生の本て、難しいんですよね。
言っていることが難しいのではなく、なんというか、こう…
文章が独特。

たとえ話で余計に何を言っているのか分からなくなったり、四種の項に二種の話がたくさん出てきたり。

これは晴哉先生がご自身の講義の記録に手を入れて文章化したことによる部分も大きいと思うのですが、まぁノリノリでお話をされていたのでしょう(笑)
話が次々に飛ぶ九種の特徴が表れていますね。

「それ、ホント?」と思われる情報の多くは、晴哉先生のおっしゃっていることと相反しているものばかりなのです。
よくある「体癖は外見でパッと分かる!」というのは、『体癖』では「外見の恰好から判断するのことは間違いのもと」と書いてあります。

次に、もう二つ目の体癖診断の検査で検出されたかどうか、について。

体癖は”体”を診てナンボのものではないかと思うのです。
体には体癖のすべてが表れています。

四種であれば、左の季肋部がめくれたように浮き上がっていますし、左の側頭弓に特徴がありますし、左右どちらかの骨盤が下がっていますし、右に重心がよって右の足首のはまりがよくないですし、胸椎4番や8番の肋横関節(肋横突起関節)を押すと他の椎骨よりも痛みが出ますし、鳩尾の左に固さがありますし、片方の手だけを振って歩きますし、目をつぶって歩くと右にずれますし、首や胴体が左に傾いていて左右に屈曲すると必ず左右差がありますし、経絡を調べれば胃経か脾経のどちらかに異状があります。

それらはすべて、四種であればすべて検出できるものです。
逆を言えば、これらのうちの一つでも検出できなければ、その人は四種とは言えないのです。
体の動きに関してだけ言えば、その人がやっているスポーツなどの影響もあって検出されない場合もありますが。

これを例えば「感受性が四種」とか「言動が四種」とか「キャラが四種」とか「体癖を知っている人に四種と言われた」とか「雰囲気が四種」とか「気の流れが四種」とか「外見が四種」とか「心理テストで四種」、そういったことを基準として「四種です」と断定するならば、絶対におかしな話になる。
それは”診断”ではなく”見込み”なのです。

歴史や環境や文化によって四種的な感受性・言動・キャラを手に入れる人もいますし、体癖を知っている人の体癖から見れば四種に見えるということもありますし、異性に受け入れられようと四種っぽく擬態して雰囲気を醸し出している人も少なくないし、気の流れを読む人の体調によっても感じ方は変わりますし、外見は一種や二種も近いものがあって四種に見える場合もありますし、心理テストは体癖だけでなくその人の生きてきた歴史や環境や文化が反映されますし気分にもよります。

要は、そういった見方は、”主観”なのです。
客観性がないわけです。
客観性がないということは、確実ではないし汎用性がない、ということになる。

私のやっている体癖診断は、私だけができる技術なのではなく、マスターすれば誰でもできる技術です。
特別な才能やセンスも、必要ありません。
技術であるということは繰り返しの練習は必要になりますが、練習をしてきた人は絶対にできるようになる、ということが体癖診断士講座0期で証明されました。

つまりは、現象を追って、練習をすれば誰でも体癖を診断できるように検査の技術を再構築したのが、私たちのやっている体からの体癖診断なのですね。

どの体の部位がどの体癖の種と関係しているかは、それこそ国内外問わず様々な整体術を参考にして、整体のお客様のお体で検証をして、発見していきましたので非常に時間はかかりましたが、野口整体一本だけで見ていくよりはその方が確実だと思ったのでそうしたのです。
だって、野口整体以外からも検証しなければ、「本当に体癖というものが存在するのか?」が分からないじゃないですか。
晴哉先生とそのお弟子さん達が言っているだけかもしれない。

「この感受性だから、この体」なのではなく、「この体だから、この感受性」と体を追っていった方が客観性は遥かに高いわけです。
客観性を保つには、体を診ていくしかない。

そして「この体の人が、どんな言動をして、その裏にどんな感受性があるか?」を追っていったのが、心理学講師でもある私ソシャフィアの「〇種ってこんなこと言うぜ。こんなことやるぜ」という発信なのです。
そうやって紐解いていくと、晴哉先生がおっしゃっている体癖各種の言動や感受性と、私が見てきた「この体=この言動=この感受性」というのは、前述したように感受性や言動の見え方が違っている部分はあれど、ほぼ完全に一致しています。

逆を言えば、「それ、ホント?」というのは、どんなに検査をして、確かめようとしても出てこない。
論を出発点とするのではなく、現象を出発点とすると、出てこない。

そんな「出てこないんだけど、それってホント?」について書いていくわけですが、そういったものはちょっとネットを見ただけでも山ほど出てきますので、今回は実際の体癖診断の現場でよく聞かれることについて書いていきます。

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