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体癖オンラインセミナーのお知らせと体癖話まとめ(79)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに「今回は○種についてつぶやこう。いいねが少ないぞ」と覚悟してツイートしたらやっぱりいいねが少ない【体癖話】をまとめたシリーズ、第79弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします。
たとえスキが少なくとも!(笑)

首痛や腰痛や膝痛や偏頭痛などの、体の痛み…
生理痛や肋間神経痛や胃痛などの、体の内側の痛み…
食べられなかったり食べ過ぎたりお腹を下したり便秘などの、内臓の不調…
そして、イライラやPMSや落ち込みや自己嫌悪などの、心の不調…

それらはひょっとすると、”体癖現象”かもしれません。

体癖が起こしているのであれば、その症状が出るのはある意味では正常なのです。
つらすぎたり重すぎたりするのなら、体癖を調整する必要があり、そうすることによって出づらくなってきます。
それで出なくなったり、症状の頻度が減ったりしたら、その体癖であるがゆえに症状が起こっていた証拠なのですね。

周期的に起こるのなら、なおさら。
私たちの心身は一定ではなく、いつでも体の内側や外側に環境に適応するように、変化しています。
症状はその変化の結果であり、「心身が悪くなっているから出ている」と決めつけるのは、まだ早いのかもしれません。

高潮と低潮の体の波…
野口晴哉先生が唱える体癖の根幹を成すこの捉え方は、心身をできるだけ良い状態でいるために、非常に大切です。

多くの不調は、低潮のときに表れます。
低潮は、正しくは「運動状況の弛緩傾向が濃い時」。
つまりは、誤解を怖れずに言えば、弱い時。

低潮している人は痛みや不調を抱えやすく、高潮に向かうことで痛みや不調も出づらくなってくるのですが…
中には長く低潮していて、慢性的に体の痛みや、心の不調を抱え続けている人も…

そして、高潮と低潮は単に心身の不調だけでなく、体癖そのものを変化させる場合もあります。
あくまでも私の19年間の整体施術経験で得た今のところの研究結果ですが…
例えば高潮時は三種五種の人が、高潮時には四種五種になっていることもあるのです。

多くの人は三種五種であれば三種五種のまま、高潮も低潮するのですが、中にはそういう人もいるのですね。
体癖の前後型や開閉型といった”型”を飛び越えて、上下型の一種の人が捻れ型の七種になる例もあったりします。

で、そういった方は、心の状況だけでなく「体のゆがみ方も変化している」のです。
前述の高潮三種が低潮四種になる例なら、高潮時は右の肋骨が浮き出ているのに、低潮時には左の肋骨が浮き出ていますし、高潮時は胸椎9番のゆがみが強いのに、低潮時には胸椎8番のゆがみが強くなっているのです。

ということは、体癖を語る場合、高潮と低潮の体の波という捉え方は、絶対不可欠。
これの捉え方がなければ、ただのタイプ分けになり、体の健康を保つのにも役に立たず、心が生き生きとするために何をすればいいのか?も分からなくなります。

いつも低潮した四種のように、人にやたらと気を遣い、自己嫌悪と他者への嫉妬で苦しみ、かと思えば寄りかかれる人に過剰に寄りかかってしまう人は、本当は三種なのかもしれない。
四種と三種の対処法はまるで異なり、三種に四種の回復法を用いてもほとんど意味がないし、その逆をやっても効果は非常に薄いか、下手をすると余計に低潮させてしまうことも…

体癖によって、「元気になるためにどうすればいいか?」は、大きく異なります。
自分の体癖=心身の個性に適した方法が、一番いいのです。

というわけで…
8月17日(水)の夜20時から、体癖オンラインセミナーを開催いたします!

テーマは、”元気になるための体癖”。

長く高潮して短く低潮し、心身が生き生きとして、痛みや不調を乗り越え、元気で楽しい心でいるためのセミナーです。

予定している内容は…
・痛み、不調とは何か?
・この痛み、不調が出たら○種になっているかも?
・この体癖は、これをやらない方がいい!
・体癖ごとの”元気”
・高潮時と低潮時の各体癖の特徴
・低潮しているときは必ずここが下がっている!
・心の問題は心だけでは回復しないことがほとんど
・各体癖のオススメ回復法

などなど。

このセミナーをお受けすることで…
・長い低潮から抜け出す
・自分なりのご自愛法が分かる
・自分の価値観や感受性で生きる
・周りに惑わされなくなる
・ご機嫌でいられる

ようになるでしょう。

体癖は、自分や相手の体癖が分かっただけでは、あまり意味がありません。
活かしてナンボ!

まずは、もっと元気になることから(^^)/

さらに!
セミナー終了後に、30分前後の”体癖相談会”を実施いたします。

「こんなことで悩んでいる」
「こういう人が近くにいるんだけど、どうしたらいい?」
「将来的にこういうことをしたいんだけど、アドバイスがほしい」
といったことがありましたら、セミナー終了後お残りいただければと思います。
(オマケですので、別途料金はかかりませんし、事前のご連絡も必要ありません)

セミナーの復習の録画データもお送りいたします。

以下、オンラインセミナーの詳細です。

○日時
8月17日(水)
20:00~22:00(体癖相談会にご参加の方は22:30前後まで)

○場所
Zoom
(決済された方のみにお知らせいたします)

○費用
6000円 → 早割3500円! 8/10まで
(カード決済・銀行振り込み)

○募集最大人数
10名
(お顔出し任意)

○お申込み方法
LINE
以下をクリックして「体癖オンラインセミナー、参加!」とメッセージをください。
こちらから返信させていただきます。
(セミナーに関してのご質問も同LINEにてお受付いたします)

○その他
後日、ご参加者様限定のセミナーの復習用動画をお送りいたします。

募集はすでに始まっております。
あなたのご参加、お待ちしております!

「自分を知ってからセミナーを受けたい!」という方は、お体から確実に体癖を診断する東京・赤羽のソシャフィア体癖院へ(^^)/
福岡など遠くからもお越しいただいております。

定員オーバーしましたが、増席しました!
世界一有名な心理学で、人から元気をいただくなら、以下の講座がオススメです。

というわけで、元気いっぱいだったりそうじゃなかったりする(?)、コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

分かりやすく、いわゆる”コミュ障”と言えば、六種と九種。
共通して言えるのは、ツイートにあるように「意味のありそうなことしかしゃべれない」。

さらに、意味のありそうなことだとしゃべり過ぎてしまうのも、六種と九種でしょう。
が、その言動の裏にある感受性は、大きく異なっているのですね。

六種の場合は、”自分に注目してほしい”という無意識の意図が隠されていることが多いです。
九種は、単にその話題に深い関心があるってだけ。
雑談は当たり障りのない話題がほとんどで「自分は霊が見えるんです」とか言って注目を浴びるのは難しいし、相手に「今日はいい天気ですね」と言われても、いい天気に強い興味がある人は多くないでしょう。

心理学講師としてコミュニケーションを教えていると、「コミュニケーションができない」という人はかなり多い。
ですがその実、コミュニケーションではなくただ単に雑談ができないってだけだったりもするのです。

コミュニケーションとは、意思疎通だとか意見を伝えることだとか言いますが、ざっくりと言えば「自分がやってほしいことを相手にやってもらう」ための手段です。
自分が考えていることが伝わっても「あっそ」で終わったら何も意味がない。
考えを伝えるなら「うんうん、そうだよね!」とか「なるほど!そういう考え方もあるのか!それならこうしよう!」と相手に同意してもらったり自分の思い通りに事を運ぶために伝えるわけですよね。

雑談はできなくてもレストランに行って「オムライスを持ってきてください」と言えば持ってきてもらえるわけです。
「オムライスが欲しい」という意思は伝わって自分の思い通りに動いてもらっているわけですから、コミュニケーションは成立しているのです。
つまり、コミュ障とは言えない。

友達が落ち込んでいて、何も言わずに「元気になって欲しいな」という意図をもって一緒にいて、友達が元気になれば、それだけでコミュニケーションがうまくいったということになるわけですね。
しゃべることが、コミュニケーションとは限らない。

醤油を指を指しただけで相手が取ってくれればそれもコミュニケーションの成功だし、アゴを突き出して相手がその先を見たなら、それだってコミュニケーション成立なのです。
引きこもりのニートが床をドン!としてお母さんがご飯を持ってきてくれればコミュニケーションということだし、ヤ○ザが肩で風を切りながら人混みを歩いてモーセの十戒のように道が開いたなら、それもコミュニケーションなのです。

ですので、雑談とコミュニケーションは、分けて考えるべきなのです。

雑談の目的は、ただ一点。
相手の警戒を解くこと。

で、私が個人的に六種と九種に言いたいのが…
六種には「分かりやすいリアクションを取れ!」。
九種には「いきなり本題から入るな!」。

どちらも警戒されてしまうのですね。
六種は「あ、雑談ができないんだな」で済むのですが、九種はこちらの準備ができていないのに核心を話そうとするのでビックリする…
しかもガン見してきよるし。

まぁ相手は変えられないですし、体癖を見て自分が構えていればいいって話なのですが…

19年前、「明日から整体師として働く」という日に、原付で事故を起こしました。
酔っぱらった50代の男性が自転車で原付を運転している私の方に突っ込んできたのですね。

私は若かったし、スピードもゆっくりだったし、ほぼ無傷で済んだのですが、その男性は酔っぱらって血流が良くなったのか、額から血がドバドバ出てる。
割と人通りの多い生活道路でしたから、野次馬がどんどん湧いてくる…

「チッ、関係ねぇ奴がこっち見るんじゃねぇよ」と思いながら「どうしよう?」と焦っていると、若いお兄ちゃんと年配の婦人が駆け寄ってきてくれて、事故に遭った男性を助けてくれたのです。

救急車を呼んでくれて、自転車の男性は運ばれていって…
私はお礼をしようと、若い男性に「お礼がしたいので、お電話番号を教えていただいてもいいですか?」と聞いたのですが…
「いいよいいよ!お礼なんて!オレより、オバちゃんにしてあげれば?」と。

で、オバちゃんに同じことを聞いても…
「あら~お礼なんていいわよ!困ったときはお互い様だよ!お礼ならそっちのオニィちゃんにしてあげて~」と、私からの申し出を美しく断る…

二人とも、十種だったのでしょう。
何十人(に見えました)も集まっている野次馬の中から、何の見返りを求めず、助けてくれたのです。
自転車の男性も軽傷で済みました。

まだ20代で、その事故から一年以内に体癖を知ることになるわけですが、私が十種を思いっきりディスれないのは、そんなことがあったからなのかもしれません。

「善意」という意識なく、ただ体の動くままに助ける十種。
そんな十種が生きやすい世の中でありますように。

このツイートは【体癖話】ではないのですが、記念として(笑)。

2021年の10月1日にツイートしていますが、2カ月前にはソシャフィア体癖院はプレオープンしていたのです。
このツイートは”正式”オープンのお知らせ。
プレはTwitterでは宣伝していなかったのですね~

世界初の体癖院とうたっており、これは「世界で二番目の」や「三番目の」を狙っているのが前提で、あえてそういう言い方をしているのです。
で、実はこの野望、着々と動いています。

その第一弾として、8月6日に東京で”体癖診断士養成セミナー”を行う予定です。
この『体癖話まとめ』でもチラッと、一回だけ公式LINEアカウントを紹介しましたが、大々的には言っていないのですね。
まぁ広告費に使えるお金もあまりありませんし、そもそも大々的にはできないのですが(笑)。

それでも、募集開始20分で東京開催の分はソールドアウトしました。
絶対に楽しく役に立つセミナーにしますので、ご参加の方は乞うご期待!

体癖を体からちゃんと診断できる人を育てたい!
体から診断できれば、「この人は何種だろう」ということの確証を得ることができます。

逆を言えば、体から診られなければ、確証を得ることはできません。
体癖とは”体”が主で、言動から心を診断する”心癖”でも、”気”の流れから読み取る”気癖”でもないのです。
体癖は、必ず、絶対に、100%、体に表れて、それをちゃんと調べることができる”技術”です。

さらに言うと、体を診て「あなたは何種ですよ」と言ったところで、お受けくださる方が納得いかなければ意味がないのです。
「いや、違うと思う」と言われれば、それまでなのです。

今回のセミナーは、”受け手が「いや違う」と否定できない方法”を伝授します。
というか、客観的にしか調べることができないので、主観の入り込む余地はないのですよ。

この技術を完成させるには、かなり長い時間がかかりました…
というのは嘘で、もう19年やっています。
ただし、その技術は最初は「体癖を診ること」にフォーカスした技術ではなく、体癖を調べるのに特化した技術に、5年くらい前に転用して完成させたのです。

統計学など科学的な、アカデミックな分野で通用する方法かどうかは分かりませんが、データもちゃんと取ってあります。
野口整体だけでなく、他の複数の整体術の診方からも診断することで、「体癖は確実にある」という確信を持つに至りました。

体癖がさらに世の中に浸透して、人と人とが認め合える世界になって、全世界の人が自分らしく幸せに生きられますように。
私だけでは限界がありますから、そういう意志を持った仲間を作っていきたいと思っています。

「体癖で仕事を選ぶということは要らない。どのような仕事をやろうとも、その体癖の特色は現われ、その体癖に合った仕事の仕方、生活の仕方になる」(『体癖 第二巻』野口晴哉著 全生社)。

私も晴哉先生がおっしゃる通りに思います。
だって、「仕事の内容そのものがイヤだから退職する」という人は少ないですから。

「事務として雇われたのに毎日のように接待に駆り出されるのがイヤ」とか「イラストレーターなのに営業ばかりやらされる」とかはあるにしても、「整骨院に柔整師として雇われたけど施術で技をかけるのがイヤ」とか「会計士として雇われたけど会計業務が苦痛でならない」というのは、ほとんどデータとして表れていないのです。

問題は、職場の環境。
トップダウンとか給料とか人間関係とか。
そういうのがネックで、仕事がイヤになる人がほとんどなわけですからね。
それならデータとして表れています。

であるなら体癖の使いどころは、自分の感受性を満たす職場環境を見つけることだったり、人間関係を円滑にするために相手の体癖を見てそれに合わせること。

同じ営業でも、体癖によってやり方は異なるのです。
二種だから営業ができないということではないのです。
二種が会社の方針などで五種や三種の営業のやり方をやろうとするから、できないのです。
二種なら二種の営業法があるのですね。

ちなみに晴哉先生は、「一種なら学者、三種なら芸術家という彼の考え方が非常に滑稽でした」、「芸術的な感性を持っているから芸術家になろうとか、上下的な感受性を持っているから学者になろうというように決めることは、ある意味で上下的分類方法であり、上下型の人だけがそう考える」(『体癖 第二巻』)とおっしゃっています。

現代は非常に上下型的というか、何でも型や枠にはめるような思考法の人が多いように思えます。
小学校や中学校の”上下型育成教育”の成果でしょうか?

体癖”論”という言い方も、上下型っぽい言い方ですよね。
晴哉先生の『体癖』も『体癖 第二巻』を読んでも、”体癖論”という言葉を使っていません。
奥様の野口昭子さんは一種で、昭子さんの『回想の野口晴哉 朴歯の下駄』には数カ所、”体癖論”という言葉を使っていますが、「”先生の”体癖論」といった感じに「先生の体癖に対しての”捉え方”」というニュアンスで使っています。
晴哉先生が設立された公益社団法人整体協会は”体癖論”という言葉を使っていますが、私は晴哉先生ご本人の本にそのような言葉を見つけていませんので、使っていません。(晴哉先生ご本人が書かれた本で”体癖論”と書かれているものがあれば教えてくださいm(__)m)

なぜなら”論”がつくことで、上下型っぽいニュアンスになるからです。
私は上下型ではありませんし、体癖はその実態があるかないかを論ずるまでもなく、この世界のありとあらゆるところに発現しています。
”神経”や”肉体”という言葉に”論”がついたらおかしいでしょ?
もしつくとしたら、「私は神経というものをこう捉えている」とか「私は肉体というのはこういうものだと思っている」という意味になります。

”論”には”意見”という意味合いが含まれます。
体癖に”論”がつくと「体癖っていうのがあるかもしれないよ~」という主張になってしまうのです。
体癖はあるかもしれないものではなく、あるものですから、私はあえて”体癖論”という言葉を使わず、”体癖”で統一しているのです。

…おっと、話がズレた(笑)。
どうでもいいことに突っかかって、どうでもいいことにこだわる八種九種の片鱗を丸出しにしてしまいました(笑)。
いや、私にとってはどうでもいいことではないんですよ。

ともかく、仕事を基準にして自分の体癖を照らし合わせて「どんな仕事にすればいいのかな」ではなく、「自分の体癖ならこういうやり方がいいだろう」と体癖を基準に仕事のやり方を合わせてみるといいですよ、というお話でした。

ちなみに、『就職・転職 X 体癖』については、この記事の一番下のnoteがオススメです。

仕事に体癖を!厳選☆仕事の悩みを解消するための体癖note

男性も女性も職場の人間関係を良好に(有料note)

仕事で”リーダー”をやっているなら…(有料note)

仕事を選ぶなら、業務内容より…(有料note)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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