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沖縄は六種っぽい?

こないだ大阪に行ってきましてね。

大阪と言えば、三種っぽい街。
「言動は三種っぽいんだけど、体は三種じゃないんだよな」と思わせる人には、大阪国民(笑)が多いのですよ。

大阪国は独特な文化圏ですね〜
そりゃまぁ日本各地にそれぞれ独特な地域性があるわけですが、大阪国は分かりやすく独特で、国民も良い意味で気安く雰囲気が丸い人がたくさんいますね。

まさしく三種っぽい。
三種でなくても、複合体癖の三種が混じっていなくても、大阪国民は三種っぽい言動をする。
一人の時は分かりませんが、人と関わるとき、特にグループ行動の時は。

そんな大阪国で、2月から開講している体癖実践講座のリアル講座を開催しまして。
大阪の受講生さんは全員他の地域から移ってきた人たちなので大阪国民ではないのですけどね。

大阪の京橋駅で体癖ウォッチングを行い、「ほら見て!歩くのが早い!九種かな?」とか「あの人、二種アゴ!」とか「あの立ち方!イキり三種(七種っぽくイキっている三種)じゃない?」とか「六種見つけよう!あ、あの人の背の丸め方は六種っぽいね」とか、受講生さんと一緒にワチャワチャ楽しみました。
楽しかったな〜

京橋は、割と捻れ型が多い印象でした。
お尻を振って歩くのがよく見られましたね。
同じ大阪でも地域によっても違うのでしょうけれど。
今度、東京の秋葉原で体癖ウォッチングをやってみようかな(笑)

ウォッチングの後は、喫茶店でリアル体癖講座。
普段の授業(体癖実践講座は、基本オンラインでたまにリアル)に関する質問や、みんなでノートパソコンの画面を見ながらミスユニバースの水着姿から体癖を予測したりしていました。

と、いかにも”授業”なことをやっていても、やっぱり体癖を知っている人同士で話をしていると「こないだ、こんな○種がいて〜」という体癖雑談会に移行してしまうのですね〜
喫茶店滞在時間の予定は2時間だったのですが、4時間を過ぎてしまっていまして(笑)
だいぶ迷惑な客ですね〜

その話の中で「あの地域は何種っぽいよね」という話から、「沖縄県民って六種っぽいよね」という話になりました。

沖縄…
大阪と同じように、東京とは全く異なった地域性を持った地域ですね。

集合時間が20時なのに20時から食事をしてお風呂に入ってみんな集合するのが22時だったり。
私も昔沖縄県内をバスで旅したことがあるのですが、バスが全然時間通りに来ないし、全然時間通りに着かない(笑)
ゆ〜っくり走るんですよね。

よく言えば物事にこだわらず「おおらか」ということなのでしょうが、東京圏の人間からするとだいぶルーズですね〜
時計仕掛けのように何でも時間ピッタリな東京人は、自分でも気づかずに上下型っぽくなっているのでしょう。

沖縄県民のおおらかさ=ルーズは、地理的条件もありそうですね。
夏はとにかく暑い!
暖かなところは寒いところより食べ物が多いと言われていますから、あくせく働く必要がないような環境だったのでしょう。

沖縄は、歴史的に見ても日本の他の地域とは全く違った歩みをしてきた地域ですね。
もともとどちらかといえば明や清(中国)に朝貢していた国だったのを、九州の薩摩藩にぶんどられた歴史があります。
”サツマイモ”なんて、元は沖縄にあったものを「薩摩の芋」と言っているわけですからね〜

沖縄の歴史を語る上でターニングポイントになったのが、大東亜戦争(太平洋戦争)。
こういうことを書くと、右や左にだけ翼が生えている人が湧いてきそうで怖いのですが…

沖縄は、日本の盾になってしまったのですね。
アメリカ軍が”鉄の暴風”という名の軍民問わずの大量殺戮を行なって、壊滅状態になった。
軍人さんも民に手榴弾を持たせて「これで自決しろ」と民を見捨てた。
もちろん軍の側にも逡巡はあったのでしょうが、結果的には不幸なことになってしまったわけです、アメリカの国際法無視の無差別虐殺のせいで。
この辺りのことは、THE BOOMの名曲『島唄』で有名ですね。

その中で、ひめゆり学徒隊のような女子学徒隊は、命をかけて日本のために尽くしてくれた。
死にゆく軍人さんたちを手厚く看護して、文字通り命を燃やして戦ってくれた。

おそらくは愛国心が強かったのでしょう。
現代の私たちには分からないくらいに。

それも沖縄の地域性なのかもしれない。
六種って、自分の共同体のためには命を尽くすところがあって、晴哉先生の『体癖』にもそういったことが書いてありますね。

”内気”とは心のうちに気が充満していること。
一旦外に向けば、誰も止めることができない。
六種の内側には、熱く燃えたぎるものがある…
全然そんなふうには見えないけど(笑)

というか、「国が自分の共同体」と認識できた時代…
現代を生きる私たちは度重なる増税などで「政府は敵!」になって、愛国心も当時の人からすれば信じられないくらい薄くなっているのでしょう。

こういった学徒隊の方々を「戦争の被害者だ。だから”慰霊”しなきゃ」と捉える人も多いのですが、私はせめて「”顕彰”したい」と思うのです。
国のために力を尽くしてくれたのだから、「おかわいそうですね」ではなく「戦ってくれてありがとう」。
そりゃ現代人の感覚で言えば悲劇でしかないのでしょうけれど、捻れ八種としては心が熱くなる。
彼女たちの行動は、大量無差別殺戮を行う侵略者に対する抵抗なのだから。

そんな暗い歴史を持つ沖縄。
日本の盾になった結果、アメリカの領土となった沖縄。
アメリカの基地がたくさん作られて、基地を撤退させようとしない日本政府に対して駄々をこねるけれど、経済的に基地に依存し過ぎて本当に基地がなくなったらやっていけない沖縄…

それは母親に対して「あんたがあの時こう言ったから、こうやったから!」と昔されたことのせいで自分が動けない”設定”にして、いつまでも被害者ぶって親のせいにするけれど親がいなくなったら食べていけない六種ニートのような。

”被害者特権”は、ストロークなき六種のお家芸。
侵略者に対しての熱き反抗は、どこへ行ったのか…

ある部分では、あきらめているのでしょう。
中国への朝貢、日本への統合、アメリカの占領…
侵略を繰り返された歴史が、全体としての沖縄県民に六種的な諦念をもたらしたのかもしれませんね。

その一方で「なんくるないさー」。

私は長い間この言葉を「なんでもないさ」とか「なんとかなるさ」の意味かと思っていたのですが、本当は「あるべきようになるものだ」という意味らしい。
この言葉は定型句で、「なんくるないさー」の上に「まくとぅそーけー」という句が入るようで、これは「人として正しい行いをしていれば」ということらしい。

つまり、「人として正しい行いをしていれば、あるべきようになるものだ」ということ。

まだあきらめていない、ストロークに溢れた六種っぽい言葉ですね。

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体癖と地域性については

ストロークって何?なら(無料部分にほとんど書いてあります)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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