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ENTJ『おもひでぽろぽろ』で人生戦略たての幼少期

思想形成がENTJの核

人をENTJたらしめるのは何なのか。
何処にいても目立ち、思考を話せば人からは恐れられ(ドン引きされ)る。反面、年収高い、カリスマ、リーダーなど良いことも多いそうな。

ENTJになる方法!みたいなnoteで
指揮やリーダーシップをとる練習をする、と書かれているのを見て、
いや、リーダーになりたくてなってるんじゃなくて周りが遅いから仕方なくリーダーになる場合が99%なんだが、練習なんてしない。なんて思ってしまった私は、

ENTJの核は思想にあるのだと考えている。よく人と話してて思考について問いただしてしまうことがあるし、皆なんでミクロからマクロを考えない?と思うことが多い。
この思想形成を振り返ることで、ENTJになる方法ついて考えてみたい。


ひとつの事象から何を拾うのか。

映画やテレビ、小説などはあまりみたくない、というのが本音だ。見てしまえば、考えることになってしまう。

小さなことでもいちいち思考してしまっていたので、
言葉ひとつとってどれくらい思考を深めてきた人間なのか逐一判断するようになってしまった。

ジブリのおもひでぽろぽろを6才の頃に見た時、
これは人生で起こること一覧を見せられてるんだ、と感じ、先の人生を考えるきっかけになったのを覚えている。

すでにENTJの上昇/未来志向があっての反応だが、
『このシーンのようにこれが起きたらこうしてやろう』と戦略たてた。

大人になった今、振り返れば、
この約20年前におもひでぽろぽろから学んだことは
私の思想に影響し、いきる術になってきたのだと思う。子供の頃に見て良かった作品だったのだ。

ENTJにおもひでぽろぽろが刺さるのは?


まず、おもひでぽろぽろが、
人生におけるあらゆる事象の対策になりうる理由といえば、三十路の未婚の女が小学五年生だった少女時代を思い出す、という物語構成にある。つまり、『あの頃』を振り返る視点が入っているのでわかりやすいのだ。

また、ENTJの人間は、放置主義の家族をもつ末子が多いのではないかと考えていて、おもひでぽろぽろの主人公、末子のタエ子には感情移入しやすい。

ENTJは、キツイ性格で(ENTJはマーガレットサッチャー、ヒトラー、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、もののけ姫のエボシなどです。)
特に女の場合ジェンダー規範からずれた生き方になるのでリベラルかつフェミニストにもなりやすい。おもひでぽろぽろは、時代ゆえにリベラルに染まって婚期が遠のいた女の話なので共感ポイントが多いのだ。

ENTJに刺さるシーン


シーンとその解釈で思い出せるものを書いておく。

家族:

姉とのエナメルバッグの取り合い。
姉はプライドが高いので『あんな子どもっぽいのタエ子にあげる』『かわいいからまだ私が使う!』という糞ダブルスタンダード戦法をとって末子をイラつかせてきます。

さらにいらない食べ物はすべて末子へ押し付けるという鬼畜家族シーン。

幼い頃は特に、このような戯事は日々起きるし、
その背後には家族のプライド、ポジション、生い立ちがあるのでそれを理解するためのシーン。
教科書として、身内の言動事典一例として、
おもひでぽろぽろを見ることで、対応を考えられたと思う。

また、テストの点数ごときを姉と比べられ家族騒然するシーンがあるのだが、これも、セリフから年上が末子を見下して自分のプライドをもつように機能する出来事だった。そして末子本人は気にしてない様子なのも良かった。

ジェンダー規範から遠ざかる末子としての傾向(上の子はすぐジェンダー規範に従う傾向にある)、ジェンダー規範から外れてるがゆえに父親から殴られやすいことをほのめかすシーンでは、
その憎しみの対象である父親性を自分も持っていることに自覚的になれました。

父に殴られる末子の主人公


末っ子以外にはわからないのかもしれない。末子としては、トトロのサツキや父親にしても「ダメ家族が!私はこういうの避けて生きていかないと!」と決心させるコンテンツなのです。
長女からしたら「出た、くそダメ末子!」なのかもしれない。

学校:

女コミュニティでのふるまい方の失敗例の一覧シーン、対男子への戦いのシーンでも、主人公をみれば、
ジェンダー規範がおかしい人間は男子も態度が異なって問題を持つことがわかる。
また、優しい大人な女の子(ISFJ擁護者タイプ)が近くにいれば無敵ということもわかる。私の学校生活はずっと秘書タイプの女の子がそばにいてくれるように過ごしました。

女でありながら群れる女コミュニティには没入できない主人公。

ジェンダー規範から外れて過ごす
学校生活についての記事はこちら↓

子供の頃から演劇やクラスで自我を出す、自分の考えを表現することで悪目立ち。

演劇で自我を出して悪目立ちした主人公。

違うから子供と大人から注目されやすいのに、
注目されたらされたで墓穴を掘ることもおもひでぽろぽろの演劇のシーンでよく分かります。

その時のしのぎ方を考えるきっかけとしては教育的映画でした。

キャリア:

アラサーのタエ子は、
日本の時代が動いた1960年代あたり生まれなので
会社でバリバリ(リベラル右翼)
  ⇒有機栽培(左翼共産主義)
への転換を経験する。
同時に、憧れていたものを手にしてしまったときの空虚さを感じるシーンもある。主人公は会社員を辞め、田舎の畑に行き「田舎いいですねぇ!」と言うが、すぐに田舎が大変と気づいて泣く。

つまり羨望と現実の乖離であって、
私は子供心に『期待してたものでもがっかりするんだな』なんて思った。

タエ子は、大人になって憧れの田舎、つまり
ここではないどこか By 宮台真司」においても、
小学生のころから避けてきた『恋愛』『結婚』『嫁』などジェンダー規範を襲うのを見て、
今後の人生で性的アイデンティティーから逃れられないのだと悟ったし、
主人公が女だったので、女なら尚更、
男によって人生が決まってしまうのだとも感じた。


ENTJに刺さらないシーン

おもひでぽろぽろのシーンで印象が強いのが
紅花をつむシーン。『紅花を摘む労働階級の女は一生口紅なんて塗れない』というセリフが悲しいね、本質だね、なんて語られることが多いが
こんなのまぁはい、そうやななんて思ってスルーしてしまう。

また、最後に結婚するシーンもどうでもいい。
最初からどういきるか決めろよ、土壇場で感情的に決めるなよ、と思ってしまう。

まとめ

思想を作ることで、後悔のない決断ができる、
思想は経験からしか生まれない
ので
当たるコンテンツ全てから思想に取り入れねば、という強迫観念があるのかもしれない。

おもひでぽろぽろは、
誰もおおっぴらには話してくれないけれど
人生のウザいことあるある

が詰まっていたので、教科書的なのだ。

事象からどう拾うのか。


映画や出来事から事象を拾う時に意識するのは、
表にでている言葉ではない。
何を経験をした人が、
どんな思考をしてその言葉にありつくのか、
ということです。

幸せになってほしい、がんばれ、期待してる、
という期待や好意の言葉や
すごい、信頼できる、
という褒め言葉、その言葉事態には価値はなくて、
そこに乗せられた気持ちや経験をひとつひとつ認知して、受けとる。


私は、こういうひとつひとつ見た映画や経験の解釈を通して思想を作っていったと思う。


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