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ノマド家族になりたい理由【旅育!!ノマド家族。】

今から76年前の今日、広島市に世界で初めて原子爆弾が落とされた。
人類史上初の都市に対する核攻撃である。

そして、私、中村英誉が41年前の今日、生まれた。
8月6日といえば、原爆記念日。インパクトが強い誕生日だった。

「だった」というのは、この41年間の間にNYでは9.11が起こったり、3.11には東日本大震災も起こったり、原爆にも負けずとも劣らない衝撃的な記念日が生まれてきたからだ。8月6日のインパクトは少々薄れてきたように感じる。

その証拠に、今年はNHKは総合テレビ午前8時からの平和式典中継以外には、原爆や戦争に関する特集番組の放送がないようだ。

物心がついた幼少の頃から、誕生日の朝には必ず広島で平和式典が行われていた。誕生日へのワクワクと同時に、「平和」ってなに?と少しだけだが考えさせられる幼少時代を過ごしてきた。

大学時代には、京都の原爆被害者の会に出入りした。そして実際に原爆を体験した方と、何人かお話させてもらう機会も持つ。

その中の一人、看護婦だったその女性は、白髪混じりの上品な方だった。病院の中で被曝したこともあり、コンクリートに守られ大きな怪我を負うことはなかったと言う。しかし、看護婦という仕事柄、休む間もなたくさんの怪我人の看護にあたったらしい。

しかし、看護婦ということで怪我や血に慣れていたこともあり、淡々と状況をお話しするのが印象的だった。

ドラマや映画のように脚色された話ではなく、一対一でご本人自ら体験した話を聞くと、原爆体験はまた違ったものになる。

涙は出ないのだ。しかし、その過酷さは現実的なものになる。

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「どうやれば原子爆弾がなくなるのだろう?」
独りになると、よくそのことを考えていた。

ある日、通学中に電車に乗っていると、思いついた。
「原子爆弾を落としても仕方がない世界になったらいいのでは??」

原爆を落としたら、原爆を落とした側も損する社会構造になれば良いのだ。

つまり、同じ民族、人種、そして家族が、同じ国に固まって生活しているから、戦争になった時、その国を丸ごと攻撃する原子爆弾というものを使ってしまう。

国境がなく、誰もが世界中に大切な人が点在する社会だとどうだろう。

そんな世の中になったら、『原子爆弾』という武器は意味がなくなるかもしれない。(壊したら壊した側も損するようなサーバを設置すれば良いのでは、とも思った。ちょっとブロックチェーン的な概念!?)

日本人だからといって、日本に固まって住まなくたっていい。
同じ民族、人種が固まった都市なんてなくなれば良いと思った。

そのためには、まず自分自身がノマド的(その当時はそんな言葉はなかったけれど)に、生きていくことを決める。

そして、異文化の友人とたくさん作ることにした。

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確かに、原爆記念日のインパクトは年々、薄れてきている。

原子爆弾がなくなるまでは、この記念日は忘れてはならないだろう。

しかし、もし世界から原子爆弾がなくなるのであれば、原爆記念日なんてものは忘れられてもいいのかもしれない。

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