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公徳心(14)純粋理性批判~自由

NHKオンデマンドで”100分de名著”をよく観ます。今回はカントの “純粋理性批判”でとても面白かった。特に最終話がとても興味深かったです。(https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07ZQDD3XP/)

まず、カントが考える「自由」について触れました。

例えば、ダイエットに励んでいる最中にお腹が空いたとき、タイミングよく目の前にスイーツが現れたとします。ダイエットを考えると食べるべきではないと分かっている、けれども食欲が収まらず、たまらず食べてしまう。

これはカントに言わせると「自由ではない」と。

「お腹が空いたから食べる」とか、「眠いから寝る」とか、原因がはっきりしていて因果律で説明できる行動ならば、その行動は因果律に”縛られている”と言えます。理性を備えていない動物と同じく”欲に支配されている”のは、人間として「自由」とは言えません。

極端な例になりますが、ドラッグやギャンブルなどのアディクションは欲に完全に囚われてしまった状態。人間らしさを失ったこの状態では道徳など考える余裕なぞなく、人間として不自由な状態と言えます。(アディクションに苦しんでいる方をおとしめる意図は決してありません)

では、人間として自由とは何なのか?それは「欲望の言いなりにならず、正しいかどうかを自分で考えて行動できること」「自由意志によって欲望を抑えること」「自分が自分の意志通りに行動する”道徳的な生き方”」「因果律から解放された生き方」、それが自由なのだと言います。

「自分の頭で理性的に考えられない」のが不自由だから「自分の頭で理性的に考えて行動する」のが自由、というのは非常に理にかなっています。

ちなみに先日投稿した記事で”Freedom”と”Library”の違いに触れました。

カントに言わせると”Freedom”は欲に縛られている「不自由」で、欲から解放された”Liberty”こそ道徳的で人間らしい「自由な」生き方なのでしょう。


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