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福祉から平和を(11)アイデンティティがホームになるか

内なる子供とは

持論です。誰しも心のなかに内なる子供が居ます。いわゆるインナーチャイルドは「大人なのに幼児性を秘めている」というネガティブな文脈で使われますが、三つ子の魂百までと言うじゃないですか。自分の内なる子供とは、各々の幼少時に形成された「自分らしさ」という意味で使います。

内なる子供は、親に言い聞かされたり、自分で決心したりして自分を律していることを忠実に守ります。この姿勢が大人の自分を自律しています。逆に、大人の自分が内なる子供に我慢させながら過ごしていると、ある日突然、衝動が起きます。内なる子供がやってらんねーよ!と爆発します。

心の拠り所が内なる子供

自然の恵みを楽しんでいる時、内なる子供が喜んでいる。心がそこにある。
趣味に没頭している時、内なる子供が喜んでいる。心がそこにある。
新しい料理に挑戦している時、内なる子供が喜んでいる。心がそこにある。
好きなラジオを聞いている時、内なる子供が喜んでいる。心がそこにある。
無心で創作している時、内なる子供が喜んでいる。心がそこにある。

思いに耽けている時、内なる子供と話をしている。

最も信頼できる奴、それが自分の内なる子供。
内なる子供は自分自身。自分の中にいる別の自分。
つまり、一般的に言う自分のアイデンティティかもしれない。

アイデンティティとは

自分の存在を自分で承認できるのがアイデンティティ。過去と未来をつなぐ時間の中で、自分を取り巻く空間の中で、自分が何者か自分で理解する。それが自己同一性(アイデンティティ)。

アイデンティティの確立(獲得)と、アイデンティティの発散(喪失)は交互にやってくる。時間と空間が変化しても「自分が自分でありたい」けれど、ふと顔をあげた時、見当識を失うことがある。数年に一度、不意に「自分は何者?」と悩むことがある。それがアイデンティティの発散(喪失)。

人の話を聞きたい、と思うときはそういう時。自分を自己評価できない時。自分のアイデンティティを見失っている時。そういうときかもしれないな。「心の拠り所がない」と思うのは。

つまり「心の拠り所がない」とは「心が拠り所とすべき、自分が最も信頼できる、自分のアイデンティティを見失っている」状態、すなわち「心の拠り所」=「自分のアイデンティティ」ではないだろうか?

自分らしく活きている人は「心の拠り所」を求めない。「心の拠り所」を求める人は「アイデンティティ」を失っている。そう思えて仕方がないのだ。

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