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僕の家にはフェミニズムが必要だった。 (3)

この記事は、「僕の家にはフェミニズムが必要だった。(1)」そして「(2)」の続編となる。両記事を読んでいない方は、是非読んでからこの記事を読んで欲しい。

今抱えている心の闇を話そう。

母が家を出てから、私と姉は父に育てられることになった。父は、高校の三年間、大学の4年間は経済的にサポートをしてくれた。

「親に感謝しなさい。」

高校の先生、大学の教授、周りの大人はみんな口を揃えて言う。

感謝はしている。高校、大学へ行けたのも彼のおかげ。でも、僕は、父を恨む。心の底から恨んでいる。僕の父への恨みは、想像を絶する程根深く、一生消えることがないだろう。彼は、1人の女性の精神を崩壊させ、その子どもにまで悪影響を与え続けた。僕は、それを許すことができない。許したくない。何度も、何度も、父を殺そうと思った。彼が家を崩壊させたと気づいて以来、恨んで、恨んで、恨み続けた。この恨みは、どこで晴らせばいい?

僕は、フェミニズムを学び、自分の中に内在していた男尊女卑思想に気づく。前記事でも書いたが、僕は父に認められたいと思うようになった。父に認められるには、父が言ったことに賛成するしかない。父の男尊女卑思想が、そのまま僕に乗り移っていた。それに気づいた時、父への嫌悪感、自分自身への嫌悪感、今までの生活のフラッシュバック、全てを一度に味わった。留学中、1人部屋で泣き崩れた。元から精神的にも強くなかったが、僕の精神状態は、そこから崩壊していった。

前二記事で書いた話は、僕の記憶が正しい限りすべて実話だ。もしかしたら、正確でない部分もあるだろう。僕は、この事を、日に日に頻繁に思い出すようになっていた。もう、自分は死ねばいいとも思った。すべての糸が切れた12月。僕は、ベッドからほとんど動けなくなった。薬を飲んで、死のうとした。「中度のうつ病」と診断された。

友人に、「もう殺してくれ、頼む。頼む。こんなに辛いのはもう耐えられない。」と泣き叫んだ。

まだうつ病は寛解はしていない。まだ自分への嫌悪感が取れない。父のことを恨んでも恨みきれない。この感情から、この自分の心の闇から、解放されたいと何度願ったことか。僕は、これからどうすれば良い?

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読んで頂きありがとうございました。正直、僕はこの感情と付き合っていくのはもう限界です。辛い、辛い。乗り越えるためにも、記事にしました。

この場を借りて、感情を吐き出してしまいました。ごめんね。

イラストは「けそ」さんが描いたものを使わせて頂きました。色合いが素敵・・・。ありがとうございます。

あっ、あの、、、今買いたい本、、が、、、対話についての、、、本で、、、5冊ぐらいあって、、、1冊1000円以上して、、、買えない、、、ので、、、ご支援頂けたら、、、泣きます、、、