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僕が常に”死”意識して生きるワケ

こんにちは。お久しぶりです。しゅーとです。

今日はこんなテーマでお話をしてみます。               これは、おそらく誰にも言ったことがないのですが、僕は常に”死”を意識して生きています。                         「おっかないこと言うな~」と思ったそこの皆さん、はい!おっかないです(笑)

僕にとって死=答え合わせです。                                  じゃあ、その正解はなにか??それはその人次第です。死後生前の行為の答え合わせをするときに丸がついたら正解です。だからそれまで自分のしている行為が正解かどうかなんで分からないのです。だって模範解答がないんですから。

僕たちにはふたつの選択肢があります。                ひとつは、制限時間を前に解答を終了する。              そしてもうひとつは、制限時間まで粘る。

僕は人生で2度解答を終了させようと思ったことがあります。      最初はいじめにあっていた時。2度目は親の理不尽に耐えきれなくなった時。

どちらも思いとどまりました。「まだ”自分の人生を生きた”とは言えない。」こう思ったからです。                                                                      それと同時に、自分の人生を生き抜くまで、諦め悪く粘ることにしました。


僕は、楽しくないなって思ったときPRDWIMPSの「正解」を聴きます。  自分が死んでから、自分の人生に丸つけをしていくときに、思いっきりはなまるをつけてやれる人生なのか。

僕も少し前までは、違うと思った意見にはかみつき、敵を多く作るタイプでした。

でも、何も楽しくない。そして、そんなことをしていても誰も笑顔にならない。何も生み出せない。

じゃあその時間を子どもたちが笑顔になるための時間にしたい。大切な人と笑い合うための時間にしたい。

そう思って今は、子どもたちの心からの笑顔を求めて活動しています。

あなたは今、わろてますか??

誹謗中傷が飛び交っている時代。                   その並べられた痛烈な文字の後ろのあなたが笑っている姿、想像できません。あなたが死んだのち、自分のその行動にはなまるつけてやれますか??もし、yesならば僕は何も言いません。でも、noならばいっしょにおもろいことしましょうよ。                        「こんなことしたら喜ぶかな」とか思って(・∀・)ニヤニヤする人生もおもろいですよ(笑)

もし世の中のすべての人が面白い人生を生きたら、あんな悲しい事件は起きないと思うんですけどね。


兎にも角にもみなさん

わろてんか

笑うのは人間の特権ですから。


いい一日をお過ごしください。

ではまた。

One love.