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私が光を撮る理由。

こんばんは。彩です。

久しぶりにnoteを書きたい気分です。
上手く纏められる自信はありませんが、たまには文章に残しておくのもいいでしょう。
私の考える写真論、のようなものについて。



私はよく、明るくて美しくて、きらきらした世界を写真に切り取ります。
画面の中は、閉じ込めておきたい、
私のかけがえのない記憶であり、
愛しい世界であり、輝く光を集めた世界。
ある意味でそこは私の理想郷。

私にとって写真は真実を映す鏡ではなく、
「私にはきっとあの時あの瞬間こんな風に見えていた、はず。」
「こうだったらいいのにな。」
という私の願望が含まれています。
その瞬間にその時の私の想いを乗せたもの。
それが私の写真なんだと思います。

現実にはもちろん、悲しいことや辛いこと、寂しいこと、憎しみや怒りとか劣等感………
負の感情がたくさん巻き起こって、
私を包み込もうとします。
それでも、私は写真の中にはできるだけ負の感情を映さないようにしたいと思っています。(というか、無意識にそう思っているのではないかと最近感じています。)

儚さや切なさという淡い感情を含むことはあっても、
決して憎しみや怒りを反映したくない。
私は、そんな自分は愛せないから。
そんな世界を認めたくはないから。
寂しさとか辛さとか、もどかしさも、あまり映したくはない。

対して、負の感情を含めてもいい。と私が許しているものがあります。
それは「言葉」です。
私の撮る写真は「理想郷」だと述べましたが、
私の綴る言葉は「素直な自分」でありたいと思っています。

写真は理想郷で、私が撮る光輝く世界は真には存在しない。
写真に添える言葉で素直に、写真に乗せた想いを表現できるような気がしています。
ちなみに、ここでいう自分の想いというのは、単に私(彩)の想いだけではありません。
写真を見て私の中でなんとなく設定された主人公のような、その「自分」の想いを言葉で、いわゆるキャプションで、表現しています。
写真1枚がその「自分」の物語なのです。(伝わるかな、わかりにくくてごめんなさい。1作品1小説みたいなイメージ……)


総じて、これらの文章はとてもわかりにくかっただろうと推測しますが、
でもこれが私の考える「私の写真」です。
まとめると、
「写真+言葉」→「私自身の想いの表現 or 私が考える物語の一主人公の想いの表現」
というイメージです。
まとまってないよ、という声は今回は聞き流させていただきますね、笑

こんな私ですが、
これからも私の写真を、言葉を、私の作品たちを、
愛してあげていただけると幸いです。

2024年2月1日 彩



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