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ヨーガの実修と流れる時間

このところ、ヨーガを始めています。
上手になりたいとか、うまくなりたいとかということではなく、ヨーガを実修している時間と、ヨーガ・スートラを読んでいる時間が異質だと感じたことにありました。
それは、読むだけではなく、今このようにヨーガについて書いている時間でもあるので、そこはなぜなんだろうという疑問から、それを探りたいとつづけています。

別にヨーガに限らなくても、何事においても、実際にやることとそれについて書くこと、読むことは違うのは当然で、それは言語を使うという事はそのまま実際とはちがうという原理なので、当たり前のことなのですが、そういう言語作用について語ろうとしているわけではないのです。

『ヨーガ・スートラ』*の(2・1)に「苦行と読誦と最高神に対する祈念とが、行作ヨーガである」とあります。行作とは「行作ヨーガとは、行作そのものがヨーガであり、ヨーガを成就する手段になる」とヴィヤーサは注釈を入れています。つまりは日常行うヨーガ項目という事になります。そして、読誦とは「聖音「オーム」の低唱、あるいは解説に関する聖典の学習である」とあります。
この読誦というのを入れているという事がポイントで、言語思考を認めているという点なのです。ヨーガは心の働きを止滅させるということではなかったのかということです。言語作用を止滅させる、つまりは言語思考(シンキング)を止めるという事ではなかったのかという疑問です。

*中央公論社『世界の名著』「バラモン経典 原始仏教」所収、松尾義海訳(以下松尾訳と表示)

また、実際に、ヨーガを実修していると、この時間の流れとヨーガ・スートラを読んでいる時間、考えている時間の流れとが違うのです。ヨーガを実修した後にヨーガに関する文章を「書く」とか「読む」とかということに違和感があります。うまくできないのです。何故か避けてしまう。嫌な気がして手につかない。また何もしたくない気分なのです。逆に、今このようにヨーガについて原稿を書いているときは、「書く」という時間の流れの中にいるので、それではヨーガを始めましょうという気分にはなれませんし。その流れに入っていくことにためらいがあります。

それは、他の分野においても、理論と実際とが違うことと同じなのでしょうと書きました。その落差のひどいものは、例えばビジネスです。実際のビジネスとそれを記録しようとしたときの文章では全く違ってきます。文章にするとほとんでが自慢話になっていて、実際の流れと違います。いわば、「文章」になっていないのです。文章化するという事は、ある意味、反省的な事柄に属するので、自慢話では文章にならないのです。その違いだと考えられますが、ヨーガを反省的に見るという事はありませんから、おそらくは、理論体系としてヨーガ・スートラと実際の実修との流れの違うものの、並列して行えないというヨーガの聖典に驚いたのでしょう。ヨーガは実修だと信じていたからです。
この時間の流れが違うというのは、仏教でも同じはずなのですが、気がついていませんでした。禅家では行学という実修と理論を分けて考えます。また言語を用いた「公案」というものも存在します。しかし、坐禅における実習と語録や経典を読むということにそんなにおおきな違いは感じていなかったようです。むしろ、当然の前提としていたのが、ヨーガに接してみると、違いとしてうつりました。
仏教とは似ているところもあるけれども、違っている点も多々あって、それに気をうばわれて、発見したといってもいいのです。あえて当たり前と考えていたことが、ヨーガに接することによって、その違いに気づきました。

ところで佐保田訳ではそこはズバリと「行事ヨーガは、本来のヨーガではない」と言い切っています。そして、「行作ヨーガ」は「行事ヨーガ」と訳語を与えて、ヨーガの準備的段階であると解説しています。
それでは読誦とはどうだったのかと言うと、聖音(オーム)の反復誦唱だったのです。そこには、行学の学の意味がありません。つまり仏教では学僧はいましたが、ヨーガでは「学者ヨギー?」はいなかったのでしょうか?

佐保田解説によると、ヨーガ・スートラはパタンジャリという伝説上の人物の作とされていますが、その成立年代は諸説あります。しかし、ゴータマ・ブッダ生存時には、ヨーガが既にひとつの行法として確立していたらいのですが、ブッダその人も、その行法を実修していたという事は間違いないそうです。
そうするとブッダ在世時時が問題となりますが、それもかなりの幅を持っていて、BC 400年代からBC 600年代とその差は200年ほどあります。しかしながら、この注釈付きのヨーガ・スートラの成立がAD 5世紀頃とされていますので、その間の時間差は約1000年もあるということがわかります。パタンジャリがその間の人なら、雲をつかむような話なのです。

およそ5世紀頃にインド六派哲学といわれる学派が形成され、経典が整備理論化されていく時期に当たっていますので、ヨーガ・スートラもこの頃に整理されたものだと考えられているのです。仏教で言えば、アサンガやヴァウスバンドウの論書が成立した時代であって、大乗仏教哲学の唯識学説の体系が築かれた時期でもあります。

ヨーガ・スートラと呼んでいますが、パタンジャリの作はスートラではなく、カーリカという短い文章のもので、日本語では偈と訳しています。そこに注釈を加えて、編纂したものがヨーガ・スートラなのでしょうが、成立順が違っていたりします。その他のテキストなどを加えて再編集したものです。そこは先ほどの佐保田本には詳しく解説されています。それでは読誦というのはカーリカではどういう意味だったのかというと佐保田ではズバリ述べています。

読誦というのは、聖典を声を出して読むことであるが、前にも述べような(1・27―28)聖音を反復して誦唱をするのもこのうちにはいる

聖音(オーム)の反復誦唱であると言うのです。
しかし、「このうちにはいる」という言葉が挟んであって、他のことを例えば聖典を学習するなども入る可能性を残しています。
それでは1.27―28はどうだったのでしょうか?

1.27
この自在神を言葉で表したものが、聖音「オーム」である。
1.28
ヨーガ行者は、この聖音を反復誦唱し、そしてその音が表示する自在神を念想するが良い (佐保田訳)

1.27
彼(註最高神のこと)をあらわすことばは、聖音(「オーム」)である。
1.28
(ヨーガ行者は)それを反復低唱し、(聖音の)あらわすもの(最高神)を思念すべきである」(松尾訳)

と訳語は違うが同じように述べています。
そうすると、松尾義海は、聖典の学習という言葉をなぜ入れたのでしょうか?
それが私の誤読のスタートになっているのですが、本来ヨーガには、言語思考というか理論を体系化する事は積極的ではなかったのではないかと想像されます。それゆえに理論化をせまられた時には、サンキャーの形而上学をお借りして、体系化していると考えられるようです。サンキャーになくてヨーガにあるものは「苦」です。苦行というのも重要な項目に入ってきています。

仏教においては過度な苦行は必要ないとするスタンスにゴータマ・ブッダは立ったとされていますが、ヨーガにとって苦行は、ついてまわります。このヨーガ・スートラを一読してもわかるように苦行ばかりです。実修を積めばつむほど苦しくなるようなのです。
これでは、実修による苦からの解脱というのは、生きているうちには不可能なんじゃないかと考えられるようです。
そこは〈読む・書く〉時間という流れの中で考えた結論なのですが、実修においてはもっと違った結論になるのでしょうか?(佐保田は先の本で「ヨーガの教えは決して厳格主義ではなく、いつも幸福が目的となっているのである」とあります。苦しいけれどまた愉しいということでしょうか)

この落差というか、違いはかなり大きくて、仏教の比ではないかのようです。

言語化して語るという事ことを必要としていなかったからかもしれません。

ここまできて、ふと気づいたのですが、例の聖典の学習というのは、注釈者の文言だったのです。松尾の訳は注釈者の文言の部分だったのです。カーリカではなく注釈なのでした。

そうだとしても、なぜ注釈者ヴィヤーサは聖典の学習という注釈を入れたのでしょうか?

そこには流れる時間が違うとともに、あえて入れたのは仏教からの影響だったのかもしれません。唯識との対抗意識だったのでしょうか。瑜伽行唯識学派が唯識を主導したことはよく知られていますが、この瑜伽というのはヨーガのことですから、ヨーガの実践中に唯識の体験を得るというものなので、かなりヨーガに近接していたことがわかります。

でも目指す方向としては反対方向なのですが、この対立から改めて〈書く〉という時間での悟り・解脱と実習による悟り・解脱というのは位相が違うのだということがわかりました。分りましたと言うよりも、そういうものなんだということです。

今、書ているこの原稿の時間では、どちらかと言うと、瑜伽行唯識派的で、ヨーガの実践から新たな認識をえるという方向のように見えますが、実は両者は全く違うということです。実修を言語化するという事は至難の業です。しかし語られないものを語ろうとするのが文学でもあるので、そこはチャレンジしていく以外にはないのでしょう。
 

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