佐藤守徳

小説、哲学、仏教、瞑想、官足法、政治、経済、金融など多角的に関心をよせるクリエイター。…

佐藤守徳

小説、哲学、仏教、瞑想、官足法、政治、経済、金融など多角的に関心をよせるクリエイター。 著書多数。ブログ、TW,FBあり。https://twitter.com/satokaminotri 近著に『〈気づき〉へのおどろきを伝える短編集』(理想書店)電子書籍がある

最近の記事

アンダースロー〈文学カフェ〉でデル・ニステルに再会する

以上が、amebaブログへ投稿した記事です。 もっと、語りたいと書いています。デル・ニステルについては、2019年2月に「イディッシュ文学の夕べ」ではじめて知ったのですが、これはすごい作家だと直観しました。特に『世界イディッシュ短編選』(岩波文庫)の中では、すぐれた作品の中に入るでしょう。 ブログにもあるように、午前中に再読していったのですが、この黙読と講演はやはり違う印象だったということです。黙読のほうが、より〈現在〉が際立っているのです。朗読で聞いていると聞き逃してし

    • 霊的開眼とは何か あとがき

      なぜか、こんな形で終わるとはおもっていなかったので、意外な結末となった。 未完である。 当初、本にしようと書き出したのだけれど、出版社から出版を断られたことから、ブログのままで、出そうと残り三章を掲載した。ブログではあまりに長すぎるので、不適当なのだけれど、本にしようとした原稿と考えてもらっていい。それでも、これからも探究は続くということだ。 8章はすでにブログで発表したものを転載している。 https://note.com/sodou2021new/n/n6e1b5a91

      • 二つのトビをめぐって

        Amebaにブログを書いている。しかし、書ききれていないと思うので、もう一度書き直してみた。まずは、それを再録してみる。 註1 「読書イニシアチブ」は大阪市阿倍野区にある書肆七味内のBOXシェア古書店。 註2 若かりし上野千鶴子が発表した論文「〈外部〉の分節 記紀の神話論理学」『大系 仏教と日本人 神と仏』(1985)所収。 構造人類学の神話論理学を用いての記紀神話の分析という論文だ。 外来王(stranger-king)というのは、マーシャル・サーリンズがとなえた概念で

        • 霊的開眼とは何か 第9章マイケル・ポランニー『個人的知識』『暗黙知の次元』

          〈私〉というのが、知る存在だとすれば、マイケル・ポランニーの暗黙知はまさに霊的開眼の正体ではないかという視点から考察してみる。 必ずしも〈私〉論からだけでなくてもいいのだけれど、文脈上からは、その方がわかりやすいかもしれない。ただし、言及しているのは霊的開眼であったから、霊的開眼にいかにせまれるかという事が主眼であることにはかわりない。霊的開眼の周辺をめぐることで、なんとかそれがなんであるかを探ろうとして、これまで廻ってきたのであるから、今回も暗黙知を題材にしてみたいというこ

        アンダースロー〈文学カフェ〉でデル・ニステルに再会する

          クダンって知ってますか? 東雅夫『クダン狩り』(白澤社)

          「件」と書きます。 人面牛身の妖怪だそうです。 危機を予言して死んでしまうそうです。 西日本を中心に伝承されてきたというのですが、寡聞にして知りませんでした。でもこの図柄は見たことがある気がします。 本書は東雅夫がクダンについて、書いた記事とクダンを扱った内田百閒、小松左京の小説作品、そして短い対談よりになっています。 いわゆる妖怪モノですが、東雅夫の姿勢が、幻想文学から怪談文芸という意識にあらわれています。つまり、文学から楽しみとしての文芸という意味です。 そこには現在のア

          クダンって知ってますか? 東雅夫『クダン狩り』(白澤社)

          霊的開眼とは何か 第7章 藤田一照・山下良道・ネルケ無方・永井均『哲学する仏教』後編

          ここまで、永井均の論考に触れながら、霊的開眼とは何かに焦点をあてて巡ってきた。 即、結論を出したいところだが、もうすこし、実際の瞑想のついて、いかに永井均がかかわってきたのかについて、見てみよう。 香山リカとの対話『マインドフルネス最前線』(サンガ新書2015)があるので、それを参照してみたい。 実際に掲載されたがのが2014年の5月『サンガジャパン』だったので、それ以前に対話されたものに違いない。以後どこまで変化したのかを知ることもできないが、実践としての瞑想につ

          霊的開眼とは何か 第7章 藤田一照・山下良道・ネルケ無方・永井均『哲学する仏教』後編

          関裕二『任那・加耶の正体-古代日本外交の蹉跌』 これからの日本外交の参考になる

          これまで、関裕二に関してはブログを一つものにしている。https://note.com/sodou2021new/n/n53a7d29ffe5c これだけではなく、何度か短いものを書いてきたようにおもう。 それぐらい、ファンであって、小説を楽しむように読んできた。 今回は朝鮮半島に在ったとされる任那、または加耶の諸国を扱っている。 西暦562年に新羅によって併呑されて、滅亡するが、それまで関係のよかったヤマト政権が、それを救えなかったという蹉跌を論じている。 日本書紀に

          関裕二『任那・加耶の正体-古代日本外交の蹉跌』 これからの日本外交の参考になる

          2024年、今年はどんな年に。そしてどうする?

          昨年読んだ本のなかで、2023年の予想として出している英国エコノミスト誌の表紙に言及したものがあった。* *岩永憲治『金融暴落!グレートリセットに備えよ』(集英社) 12月号の別冊として出版されたもので、その表紙「THE WORLD AHEAD 2023」を読み解いたのもだった。THE WORLD AHEAD 2023つまり、2023年は「世界をこうする」という意味だと言っていた。 エコノミスト誌の表紙は、一般大衆にむけたメッセージではなく、世界のロイヤルファミリーを含む

          2024年、今年はどんな年に。そしてどうする?

          サンカ呪縛からの解放 筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(文春新書)

          することがなくて、ふと書棚をみたらサンカの本が並んでいて、その中にこの本があった。買っておいたのに読んでいなかったのだ。 おそらく、出版されてすぐに買っていたと思う。熱心に読んでいた時期があったのだ。 なぜ、読まずに置いておいたのかというと、おそらくこれより少し前に読んでいた利田敏『サンカの末裔を訪ねて』(批評社)の「あとがき」に書いてあった筒井功の記述を読んでいたからではないかと思う。 そこには筒井のことをあまり良くは書いていなくて、サンカにたいして愛情が少ないのではな

          サンカ呪縛からの解放 筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(文春新書)

          霊的開眼とは何か 第6章 藤田一照・山下良道・ネルケ無方・永井均『哲学する仏教』前編

          仏教3.0は今まさに進行中の運動であって、その総括はなされていないから、どこに落ち着くのか、それとも何でもないものだったのかはわからない。 『〈仏教3.0〉を哲学する』(春秋社)『〈仏教3.0〉を哲学するバージョンⅡ』(春秋社)の二冊が既に出版されていて、その内容は藤田一照・山下良道・永井均、による鼎談であって、それが文字起こしされ収録されている。 これとは別に、内山興正の思索をめぐって一冊が出版されている。それが『哲学する仏教』(株式会社サンガ)だ。これはこの三人に

          霊的開眼とは何か 第6章 藤田一照・山下良道・ネルケ無方・永井均『哲学する仏教』前編

          官足法原論 連載1 官足法大概

          官足法というのは、官有謀先生(以下先生は省略します)が考案された足裏を中心とした足揉み健康法です。主な特徴は、①リフレクソロジーに基づいた反射区の概念と②代謝の最終産物である老廃物の除去③血液の循環を良くして、栄養と酸素を体中に送り、また老廃物を排泄することにあります。 このあと、結果としてのリンパの流れも活性化し免疫機能も高める、等が考えられています。 ここでは、実践のスキルというよりは、原論ですので、もう一歩進んで、なぜそうなのかということについて議論してみたいとおもい

          官足法原論 連載1 官足法大概

          Yogaは身体だけだということ

          先日,Yogaの一泊二日での信貴山宿坊のリトリートがあって、それに参加した。その折、最後に『ヨーガ・スートラ』のレクチャーがあった。何が質問はありますかという問いかけがあったので、私が質問した。 次の問いかけであった。 「まことにマニアックな質問なのですが、ヨギーなりヨギー二とっては、言語などはどうでもよくて身体だけが重要と考えているのではありませんか? 私は『ヨーガ・スートラ』を読んでいて、そう感じるのですがいかがでしょうか?」 これに対する答えは、言語にも体にも偏る必

          Yogaは身体だけだということ

          自己の「体癖」の自覚のむつかしさ

          自分の体癖が何種であるかについては、その自覚はむつかしい。 本人は、1種と思っていたのに、5種だと言われ、捻じりもはいっていると言われ、ついに9種だと思うと言われると、そんな気もしてくる。 もう一度読み返してみようと、丹念にメモをとりながら読み返すと、いちいちもっともだと思え、いずれにも該当すると思え、そしてわからなくなった。 ことは左様に自分のことはわからないものなのだろう。 他者に指摘されて、はじめてそうだったかという気づきもある。 いったい何を言っているのかというと

          自己の「体癖」の自覚のむつかしさ

          ピーター・シンガー『なぜヴィーガンか?』思いあがった人類のなれの果て

          読み終わって、なにか嫌なものを感じた。それがなんだかわからずにいて、気持ちがスッキリしなかった。自分の周りの人を探してみても、ヴィーガンだと言った人は一人ぐらいしかいない。そのひとは、「個人的にひとりでヴィーガンやってます」と控えめだった。ベジタリアンと違ってヴィーガンはもっと強烈的で押しつけがましい。地球温暖化に過激な環境派のような信仰に裏付けされているみたいだ。出会ったひととは幾分か違う。 ピーター・シンガー(註1)そのひとは完璧なヴィーガンではなく、放し飼いにされた鶏

          ピーター・シンガー『なぜヴィーガンか?』思いあがった人類のなれの果て

          春画-ル『春画の穴』 どこへたどり着くのか楽しみ

          まず、ブログを一本書いた。しかし、これをリンクだけでは内容が伝わらないので、再録してみる。錯覚していたのだ。 私はこの時誤解していた。 若いライターさんか、ブロガーではないかと。それも男性の方ではないかと。今風のブログ文体ですし、その語り口はやはり30代の人が書くような内容なのだ。単語のそこここに現れている。 そうではなかった。 「春画-ル」は「春ガール」だったのだと。 女性だったのです。 迂闊といえば、うかつで、なぜ気が付かなかったのだろうかと。 そう読めば、この本に現れ

          春画-ル『春画の穴』 どこへたどり着くのか楽しみ

          カフカの手法を現在に生かす

          今年の4月より始まった京都大学準教授川島隆氏による「NHKカルチャー教室のカフカ生誕140周年、1年で読む「変身」」の講座を視聴している。 目標としているのは、カフカについてもっとよく知りたいというよりは、カフカ以後の文学として21世紀に書いていく上でのヒントはないのかということだった。 文学も他の文化と同じように、現在の作品の上に積み上げていく、ないし、新たに切り開いていくものであろうから、文学作品も同じような状況にあるのではないかと考えられる。その書き方というか手法は

          カフカの手法を現在に生かす