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白斑から仮面を被った私完成。

白斑から私が得たこと。
当時の私は白斑治療により「挫折」を初めて体験しました。

それは「皆勤賞がもらえない」ということ。
たったこれだけです(笑)

私の通う私立中学は皆勤が当たり前の学校でした
昭和的な、具合悪かろうが熱があろうが、
「とにかく1度学校に来てから家に帰り休む」
というスタイルが当たり前でした。
附属の高校も同様なので多くの人が6年間皆勤。

だから卒業式はほぼ全員が皆勤賞で起立するのが恒例。

毎日必ず学校には行ったのに、通院の回数が多すぎた為、
皆勤は認められないとのことでした。

卒業式、約300人が一斉に皆勤賞で起立する中、
私はポツンと座ったままでした。

元から行きたかった学校ではなく姉がいるから、来て欲しい、
必ず入れろと姉が言われ、渋々入った学校でした。
そうこの時も我慢。
「私は行かない」という一言が言えなかった。
なんで?
なりたくて皮膚病になった訳じゃないのに…
でも、これは心の声この時も感情を出さず我慢しました。

必死に色々やっても何ひとつ報われないんだ。
真面目でいること、がんばること、
全てバカらしくなりました。

今振り返ればこんなちっぽけな事で…笑

親にも先生にも友達にも本音を出したことは1度もなかった。

悔しい
悲しい
辛い
腹立つ
泣きたい

一言も。
自分の中に溜め込んで溜め込みまくってきた。「大丈夫」しか言わなかった。

自由奔放なバカキャラで皆から可愛がられていた姉
産まれたてから生死をさまよい、生きれても車椅子といわれ皆から心配されていた弟真ん中の私は手のかからない良い子を演じるしか無かったのだろうな…

「人に助けを求めなさい
自分の感情に正直になりなさい」

もし神様がいるならば、白斑はきっと「我慢してはいけない」と教えるために起きた出来事だったのかもしれません。

しかし私は逆の人生を歩んでしまいました。

全てバカらしくなった
・優等生やーめた
・部活もやーめた
・自分は化け物
・自分の事なんて誰もわかってくれない
・どーせ誰にも愛されない
・他人に心なんて絶対開かない

成績は学年トップに位置していましたが勉強をやめました。
部活は数か月でレギュラーになれたのに、先輩やら自分の上に位置する全ての人間がうざくなり、辞めました。
黒髪でいることをやめました。
真面目に生きることをやめました。
食べることをやめました。
食べる代わりにお酒とたばこに走りました。

ここからは、もうぐっちゃぐっちゃです。
こんな状態のまま30代まで突っ走ってしまいました。

きっと弱かったんだと思います。
とても繊細だったんだと思います。
負けず嫌いだったんだと思います。
寂しかったんだと思います。

白斑は小さなきっかけに過ぎないけど
超マンモス学校でも白斑仲間はいませんでした。

ここでさらけ出し吐き出したことで、私の15歳の傷が癒えました。
こうして解釈をかえて片づけて心の整理をしていこうと思います。

そして、気付いてしまいました!
何でも 病気のせい、他人のせい にしていた自分に。

可哀想な自分、被害者意識な自分とはおさらばします。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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