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科学者シリーズ

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私が好きな科学者を週1人紹介しています。 目標は100人です。 よろしくお願いします('◇')ゞ
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記事一覧

【科学者シリーズ#077】死の商人と言われた発明家【アルフレッド・ノーベル】

毎年ノーベルの命日である12月10日に授賞式が行われるノーベル賞は、ノーベルの遺言に従い1901…

【名言シリーズ#041】カール・フリードリヒ・ガウス

カール・フリードリヒ・ガウスは、ドイツ出身で1777年生まれの数学者、天文学者、物理学者にな…

【科学者シリーズ#076】脱走兵として捕獲され人生が変わった、異例の早さで教授になっ…

1789年7月14日から始まったフランス革命は、科学者たちにも多大な影響を与えました。 例えば…

【科学者#075】有名になることを嫌っていた寡黙な理論物理学者【ポール・ディラック】

1933年のノーベル物理学賞は、原子論の新しく有効な形式を発見した人として2人の科学者が受賞…

【科学者#074】生涯体調不良に悩まされ続けながらもドップラー効果を発見した科学者【…

自分の体調に苦しみながらも研究を続けた科学者は何人か紹介してきました。 例えば、第45回目…

【科学者#073】サモスの賢人と呼ばれ謎に包まれたピタゴラス教団のトップ【ピタゴラ…

今まで様々な科学者を紹介してきましたが、その中でも生涯が謎に包まれている人物としては、第…

【科学者#072】300以上の数学的著作を残した自国に認められなかった科学者【シメオン・ドニ・ポアソン】

重要な業績を残しても、自分の生まれた国で評価されなかった科学者は何人かいます。 例えば、第42回目で紹介したゲオルク・オームもそのひとりになります。 オームはドイツに誕生し高校教師をしながら研究をするのですが、ドイツでは評価されず、はじめは国外で評価されていきます。 このオームのように自国では認められずに、国外で評価された科学者がいます。 今回は、300以上の数学的著作を残した自国に認められなかった科学者であるシメオン・ドニ・ポアソンを紹介します。 シメオン・ドニ・

【科学者#071】12歳で教師となった、自分自身を研究した科学者【ジョン・ドルトン】

物質を2つに分けて、それをまた2つに分け、これを最後のひとつになるまで繰り返して、もう分け…

【科学者#070】たった1票の差でノーベル賞を受賞できなかった、周期表をつくった科学…

化学の勉強をする上で大切になってくるもののひとつとしては周期表があります。 これは、元素…

【科学者#069】「予言者」と言われた物理学の天才【南部陽一郎】

日本人のノーベル物理学賞としては第47回目で紹介した湯川秀樹さんや、第48回目で紹介した朝永…

【科学者#068】働きながら独学で勉強した昆虫の行動研究の先駆者【ジャン・アンリ・フ…

小学校の図書室で読むことができる科学系の作品の中でも、特に有名なのが『昆虫記』だと思いま…

【科学者#067】科学者の中で最高の頭脳をもつコンピュータを越えた科学者【ジョン・フ…

現在コンピュータは、私たちの生活に欠かせないもののひとつになっています。 このコンピュー…

【科学者#066】実験装置に近づくだけで壊した、アインシュタインに認められた科学者【…

科学者の中には理論を専門に研究し、実験があまり得意ではない科学者がいます。 例えば、第51…

【科学者#065】多くの数学者、哲学者に慕われたが孤独に仕事をすることを好んだ近代哲学の父【ルネ・デカルト】

「我思う、ゆえに我あり」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。 この言葉は、哲学の言葉の中でも有名な命題のひとつになるのですが、この言葉を残した人は今では「近代哲学の父」と呼ばれています。 実は、有名な哲学者であり数学者の人は科学史上何人かいて、第21回目で紹介したブレーズ・パスカルもそのひとりになります。 今回は、多くの数学者、哲学者に慕われたが孤独に仕事をすることを好んだ近代哲学の父であるルネ・デカルトを紹介します。 ルネ・デカルト名前:ルネ・デカルト(