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がんばってきたんだね…その一言で泣いた日。

4才の息子と子育て支援センターへ。

普段は幼稚園へ行っているのでかなり久しぶり。
今回は園の都合で休みのため遊びに行ってみた。

娘が小さかった頃は、毎日朝から夕方まで入り浸ってたのに。

初めて支援センターへ行ったのは確か8年前。
娘はまた生後7ヶ月。

夫の勤務先がある厚木へ越してきて、夫以外知り合いのいないところで出産、そして育児がスタート。

生まれる前は、「それこそ小学時代から赤ちゃん好きだからなんとかなるだろう」くらいに何も考えてなかった。

始まってみて、かわいいよりも死なせてはならないプレッシャー、常に寝不足、常にふらふら、疲れの取れない生活に、ただ生きてるだけで必死だった。
自分の身なりなんて構ってられない。
というか、出かけるのはスーパーだけ、話すのも店員さんのみな毎日。

時々市のベビーマッサージや離乳食などの講座に参加してみるものの、さらにプレッシャーを感じるだけだった。

その講座でもらった、子育て支援センターのチラシがふと目に止まった。

当時、子育て支援センターを「動き回るようになった子どもやおしゃべりするようになった子どもが行くべき場所」と勝手にとらえていた私は、自分と娘が対象になってることに気づいていなかった。

よく見ると、チラシに0才からと書いてある。

それでも信じられなかった私は電話して「赤ちゃんが行っても大丈夫ですか」と確認。

行くと決めてからも、おむつやお尻拭きや着替えやミルクや…と準備に手間取った。

着くと支援センターの先生(保育士や幼稚園教諭の資格を持ってる)が案内してくれる。

いろいろ話を聞かれた。
近くなの?上に兄弟は?ご実家は近いの?

こんな雑談って、出産後何回しただろう?
そんなこと考えながら話してたら

「お母さん、今日までよく1人でがんばってきたね、よくら今日来てくれたね」


と言われ、不意打ちすぎて涙が出た。

がんばってきたのか。そっか。
そう思っていいんだ。

これくらい、できて当然。
子どもを産んだんだから、頑張って当然。
寝られないなんて当たり前。

離乳食食べないことに腹立ててる自分、母親失格。
大人のご飯をまともに作れないなんて、ホントダメな奴だ。

産後、母になった自分をこれでもかと責め続けていた。
そうしないと、まともなお母さんにはなれない、まともなお母さんじゃないと娘がかわいそうと。
全然ダメダメな母だけど、せめてひたすらがんばるしかないと思ってたのかも。

とにかく私がお母さんなことで、娘に迷惑はかけたくない一心。


がんばってきたんだね。

その一言で、まだ警戒はしつつもここは私が来て話を聞いてもらってもいい場所なのかもと腑に落ちた。

そこから少しずつ、よく話を聞いてもらう先生ができ、悩みでも嬉しいことでも話すようになった。

たくさんいる先生の名前を覚え、先生と利用者というより個対個のように会話するのが楽しくなった。

そのうち気づけば、ほぼ毎日通うように。

子どもにとっても、私にとっても安心安全な場で子育ての不安や悩みをシェアでき、ヒントをもらえる場所。

生涯の友のような気の合うママ友さんたちに会えたのも、原因不明の不調が続いた時に保育園の一時預かり制度を利用するよう説得してくれたのも、幼稚園をどこにするか迷う気持ちを聞いてくれたのも、支援センター。

疲れすぎて本当にしんどかった時期を超えてなんとか生きてこられたのは、支援センターがあったから。
行けばなんとかなる場を持てたから。


あんなに毎日支えてもらったのに、子の成長に連れて行かなくなる。
そんなものなのだろうけど、さみしさもある。


久しぶりに支援センターへ行き、そこかしこに赤ちゃん時代の娘がいるような気がしてしまった。 

もう、あの頃の娘には二度と会えない。
でも「あの頃の娘」の話を一緒にしてくれる先生たちはいつもここにいてくれる。

あったかい、母としてのふるさとのような場所。
そんな場所が変わらずあることに今日は感謝。

残念なのは、生まれてすぐコロナ禍に入ったため、息子とは支援センターに時々しか通えなかったこと。
入り浸る生活ももう一度送ってみたかったかも?


まもなく、娘の誕生日。
あの頃の娘を思い出しながらお誕生祝いの準備をする夜です。

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