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第10回|はるホエーヌを卒業する②

行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。*マガジンページはこちら

◎第10回◎
「ホエーヌ」は「吠え犬」を意味する言葉。人間の食事中に吠えずに待つ、それができないとホエーヌ卒業とは言えない。はる、食べ物を前にホエーヌ卒業できるかな!?

 はるがうちに来てから、ボクが外食や会食に出かける回数はめっきり減った。仕事が終われば寄り道せず、すぐに帰宅する。行きに比べて帰りの歩く速度は1.5倍。かつて人並みに恋愛し、同棲していたときにも帰途は足早になったが、2週間と続かなかった。1か月もしたら我が家なのに足が遠のいて、飲み屋に寄り道していた。はるとの生活は今年で12年になるが、今でも帰りは早歩きだ。ボクにとっては人との暮らしより、犬との暮らしの方があっていたということなのだろう。

 そんなわけでほぼ毎晩、ボクは自宅で食事をしている。晩酌もする。独身だが一人暮らしではない。はるがいる。食事をしていると足元にやってきて、はるはボクの左足をタッチする。「ちょうだい」と言わんばかりに。
 ボクはそれに反応して、食卓の左側に広げたナプキンによそったフードの山から一粒つまんで、はるにあげる。それを食べると、はるはまたボクの左足をタッチする。慣れたもので、テレビを観ながら、自分の食事をしながらでも、ボクはこの一連の動作を繰り返せるようになっている。ときにはると視線をあわせながら、ときにはノールックで。

 ボクの食事が終わると、食卓に用意してある呼び鈴を床に置く。はるはそれをチーンとならす。「おかわり」と言わんばかりに。ボクはそれに反応して、フードを一粒つまんではるにあげる。これを数回繰り返してから「おわり」と言って呼び鈴を引き上げる。はるは水を飲みに行き、そのままクッションに移動して横になる。「ごちそうさま」と言わんばかりに。


 最初はこんな安寧には行かなかった。ホエーヌと化していたはるは、ボクが食事をしているとがんがん吠えた。「まて」を使うにはボクの食事時間が長すぎる。吠えるままにしておけば、消去が効いて、いずれ吠え止むだろうが、食卓から食べ物の匂いがしてくる状況では時間がかかりそうだ。吠え続ければ、ご近所迷惑にもなる。
 山本先生からは、食事中に吠えたらクレートに入れて、目も合わさずに徹底的に消去すべきという助言をいただいていた。しかし、はるはクレートに入れられると吠えるようになっていて、この手順を使うのは余計に難しくなっていた。

 そこであの手この手を試すことにした。定番、コング(Kong)の出番だ。コングは天然ゴムで作られた三角錐の形状をした犬用の玩具。中が空洞になっていて、おやつを差し込める。干し肉などを詰めて与えると、犬は舐めたり噛んだりしてそれを取り出そうとやっきになる。狩猟のDNAを引き継ぐ犬の幸福生活にとって、噛むことはとても重要らしい。だからできるだけ毎日何かを噛ませてあげたいが、小型犬でさえその力は強力で、ヤワなおもちゃだとすぐにちぎれて壊れてしまう。コングの素材は頑丈で、そうそう噛み切れることはなく、歯ごたえもちょうどいいようで、犬には大人気の商品だ(注記:個人的な感想です。Kong社から宣伝料はいただいておりません)。

 そこでボクが夕食を始める前に、干した鶏のササミをコングに詰めてはるにあげてみた。ところがはるはほぼ一瞬で、長くても1分くらいで、中身を取り出して食べてしまった。何を詰めても同じ。時間がもたない。世の中には同じ悩みを抱える飼い主が相当数いるということなのだろう。
 Kong社も、他のメーカーも、犬が夢中になる玩具を多数開発している。中が迷路のようになっていて、おもちゃをゴロゴロ転がすと時々ポロッとフードの粒がでてくる、まるでくじ引きに使うガラポン抽選器のような商品もある。ボクも何種類か購入して試してみたが、ちょうどいい具合にあたりがでない。転がしてもなかなかフードがでてこないと、はるはまるで子どもが「もういや〜」と言うようにきゅ〜と唸って諦めてしまう。フードが出すぎてもすぐに空になってしまって時間がもたない。繰り返しフードを詰め直してもいいのだが、ボクの夕食が終わるまで繰り返したらおやつの食べ過ぎになってしまう。

 フードの出しやすさと出やすさを調整できるようにしようと、ペットボトルとブックエンド、ゴム紐を使って装置を自作したこともあった。首振り人形のようにペットボトルが上下に揺れるようにブックエンドに取り付け、フードを入れて、はるがタッチすれば首が垂れてフードがこぼれ落ちるようにしたのだ。うまくいきかけたが、耐久性に難ありで、何回か使ったら壊れてしまった。
 夜な夜なインターネットで検索していたら、いかにも陽気なアメリカ人のブログで“Frozen Kong”に関する記事を見つけた。冷凍コング??  記事によると、ドライフードをつぶして水分を加え、コングに詰めて冷凍庫で凍らせれば、犬は時間をかけて食べるという。真夏の青空の下、芝生の上でコングをアイスのようにペロペロと嬉しそうになめるレトリーバーの写真が印象的だ。

 試してみると、はるも喜んでペロペロなめ、噛み、時にコングを放り投げて落とすなど、色々な工夫を始めた。これだ!さっそくコングを1ダースほど大人買いし、まとめて作って冷凍庫で保存することにした。コングには片手一握りくらいのフードしか詰められないが、冷凍すれば一つで20-30分は保つ。ボクが夕食を食べている間の吠えはこうしてなくなった。吠えて要求する理由がなくなったからだ。

 冷凍コング生活は、はるがお腹の調子を崩すことが増えた11歳頃まで続いた。冷凍コングを与えると最後の方は氷となったフードの塊がポロンと出てくる。高齢化したはるの胃腸にはこれが負担なのかもしれないと考えて中止した。以来、冒頭に書いた、一粒ずつフードをあげて一緒に食事をするスタイルへ移行したのだった。

 呼び鈴を使うことにしたのは、その方が食事の「おわり」を教えやすいと考えたからだ。
 ボクの脚をポンポンしてもフードをあげなければ、消去によっていつかはポンポンしなくなるだろう。でも、その過程で要求吠えが復活してしまうかもしれない。ボクの食事中は毎回ポンポン要求に応えているのだから。
 脚をポンポンから呼び鈴チーンへ「ちょうだい」の形態を切り替えれば、呼び鈴がなくなることが「おわり」の合図になる。目の前から「ちょうだい」するのに必要な道具がなくなってしまうわけで、要求そのものができなくなるからだ。ボクの脚は簡単には失くせないが、呼び鈴は床から食卓へ戻すだけで、はるの目の前から失くすことができる。お金を入れた自販機から缶コーヒーが出てこなければ自販機を叩いたりゆすったりするだろうが、そもそも自販機がなければお金を入れることさえできない。それと同じ理屈だ。

 案の定、最初は呼び鈴を片付けると、首を横に傾けて不思議そうな表情をみせていたが、すぐにその場から立ち去って水を飲みに行くようになった。
 ホエーヌからの卒業まであともう少しだ。

to be continued!

★プロフィール
島宗理(しまむね・さとる)[文]
法政大学文学部教授。専門は行動分析学。趣味は卓球。生まれはなぜか埼玉。Twitter: @simamune

たにあいこ [絵]
あってもなくても困らないものを作ったり、絵を描いたりしています。大阪生まれ、京都在住。instagram: taniaiko.doodle