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100分の登壇のために270ページのスライドを用意した理由

今年の3月3日、web系ではとてもメジャーなイベントであるCSS Niteに登壇させていただきました。いきなり大トリで、登壇者の中で最も長い100分の時間をいただきました。300名ほどの聴講者の前でお話しするのは私としても初めての経験でした。

この時の動画とスライド(PDF)は、このフォローアップページに公開されています。

取り上げたテーマは『10人のweb制作会社が代理店に頼らず自社サイトだけで年間400件超の依頼を獲得するまでに実践したこと』です。

上記リンク内をご覧いただくと分かるように、与えられた100分間の登壇時間に対し、私は270ページを超えるスライドを用意しました。一般的にいわれる適量を遥かに超えている、好ましくないとすらいえる分量です。

なぜこのような膨大な量のスライドを用意したのか、という話をここではしたいと思います。

「理想的な登壇スライドは?」と聴かれて多くの人がイメージするのは、TEDや海外カンファレンスなどで目にする、シンプルなスライドではないでしょうか。力強い写真やビジュアルに、ポンと載せられたキーワード。それをバックに登壇者が聴講者に向かって堂々と語りかける。そんなシーンが目に浮かびます。

一方で、私が作成したスライドは写真はほとんどなく、文字が非常に多いものでした。改めて数えたところ、スライドには約2万字が含まれていた。

会場は300名収容の大規模ホールです。1ページに小さな文字を大量に突っ込んだスライドでは後方座席からは見えなくなります。そこで文字サイズはできるだけ大きく、1ページの文字量は減らしていきました。するとどんどんページ数が増え、結果、270ページを超えるボリュームとなりました。

私は年に4~5回は登壇する機会があるのですが、4時間くらいのものが多く、その時に持ち込むスライドは100~200枚の間に収まるものがほとんどです。それらと比べて、半分以下の時間しかないのに、過去最高の枚数を用意した今回の登壇は、私の中でもやや異常であったと言えます。

多くの人は、登壇用のスライドを作る上で「登壇中」のことを一番に意識するでしょう。つまり、登壇中に、話し手と話す内容に集中できるのがスライドのベストデザインである、というわけです。

そう考えれば確かに、文字を追わなくていい、文字が少ないスライドの方が最適解に思えます。主役はあくまで話し手です。スライドは背景に過ぎません。力強いメッセージとビジュアルで構成されたシンプルなスライドを背景に、堂々とスピーチをすると、スライドは話し手を引き立てる舞台装置にもなります。シンプルなスライドは、聴講者にも話し手にも望ましい結果をもたらしてくれます。まさに理想的なスライドのデザインです。

しかし、私がスライドを作りながら一番意識したのは「登壇中」ではありませんでした。それよりも「登壇後」のことを考えました。

10,000円を超えるweb制作系としては比較的高額なイベントです。私の話を聴くために地方からわざわざ旅費と宿泊費をかけて来てくれる方もいるようです。そんな聴講者に対し、一過性の体験だけでは終わらせたくはない。登壇後も影響を与え続けられるような、そんな登壇にしたい。私が引き出したかった理想の言葉は「楽しく話が聴けました」ではなく「自分の仕事人生が変わりました」です。

このように、登壇中ではなく登壇後に意識を向けると、求められるデザインが変わってきました。主役は私ではありません。主役はスライドであり、スライドに掲載された情報です。私は単なるナビゲーションであり、添え物に過ぎません。

スライドは登壇後に振り返っても意味が通じるものでなければならない、とまず考えました。そのためには、文字による説明が多い方が有利です。何度も振り返る価値を与えるには、十分な情報量も必要だとも考えました。ページが多いことは、登壇中のことを考えると色々と弊害があります。しかし登壇後なら自分のペースでじっくり読めます。そう考えればさしたる問題ではありません。それよりも、説明不足や言葉足らずで、後から読み返したときに分からなくなることの方が回避すべきだと考えました。

CSS Niteに限らず、私の登壇スライドはボリューム満点なことが多いのですが、基本的なこととして意識しているのは、人は短時間に多くの情報を処理できないし、時間とともに忘れていく、ということです。有名なエビングハウスの忘却曲線の理屈に従うならば、人は翌日には70%のことを忘れ、一ヶ月後には80%のことを忘れるそうです。

エビングハウスの実験では1か月後までしか追っていませんが、この曲線の先を1年後、2年後まで追えば、おそらく90%以上のことを忘却している、ということになるでしょう。

私が目的としてるのは、聴講者の仕事人生に影響を与えることです。見ている時間のスケールは日や月ではありません。年単位です。1年後には90%以上が記憶の彼方に消失している登壇中のスピーチより、後日スライドを見返したときの、そこに書かれた内容の方がより重要なわけです。

そもそも聴講者は私に何を期待しているのでしょうか。

私が上場企業を作り上げたカリスマ経営者なら、壇上で何を話しても「魅力的なコンテンツ」になりえるでしょう。しかし残念ながら私はそのような特別な存在ではありません。聴講者が私に求めているのは「私が話している状況」ではなく「私が話す情報」です。私は、自分の人格と提供する情報とを切り離し、情報ファーストで登壇に臨まなければならない、それが自分の役割だと考えました。

こういった考えが、100分間で270枚ものスライドを作ることを後押ししました。このように膨大なスライドを持ち込んだ私のセッションの動画を改めて見ると、事前練習をしたにも関わらず、しゃべりすぎて時間が足りなくなり、後半はかなり早口になっています。決して褒められた登壇ではありませんでした。しかし結果的に以下のような評価を得ることができました。

・理解できた=4.5点
・楽しかった=4.5点
・役に立った=4.8点

私が特に重視したかったのは「役に立った」という評価です。ここには「この先役に立ちそう」という未来に向けての評価が含まれるからです。そして総合評価では4.8点、聴講者の約83%の方から、5点満点の評価をいただきました。また、アンケート結果や懇親会でのお話し、SNSやブログなどでは、以下のような感想もいただきました。

・一冊の本のようで長い時間が長く感じませんでした
・おなかいっぱいでした
・100分では足りない量と質でした
・盛り沢山でした
・分厚いセッションでした
・すべて覚えきれませんでした
・濃過ぎました

「おなかいっぱい」「濃過ぎる」というのは、まさに私がほしかった感想です。こういった反応が得られたことを、素直にうれしいと思いました。

このような「プレゼン中」ではなく「プレゼン後」にフォーカスする考え方は、BtoBビジネスの顧客体験を考える中で身に付いたものです。

私が業務の中で作成している、顧客提出用の企画書や提案書は必ず「私がその場にいなくても独立して成立するもの」を前提に作っています。そのため、文字数もページ数も割と多めです。

なぜかといえば、BtoBビジネスにおいて、意思決定は多層構造化しているのが当たり前で、プレゼンのその場だけで決定されることは少なく、資料が独り歩きし、提案者がいない場所で議論される可能性があるからです。BtoBでは、キーマンが提案の場にいないケースが頻繁に起こるのです。

このような状況を想定すると、「話し手がその場にいないと理解できない企画書」はリスク以外の何物でもなく、「話し手がその場にいなくても理解できる企画書」の方が、受け入れられる可能性が高まるわけです。

この考えが、CSS Niteにおける私のスライドには反映されています。

本エントリーは「スライドはページが多い方がいい」「文字が多い方がいい」という手段の話をしているわけではありません。「デザインはシンプルに、1ページに1テーマ」というセオリーに異を唱える話でもありません。

ここで言いたいのは、最適なデザインは前提条件によって変わるものであり、手段や表現をケースバイケースで選択する判断こそがデザインの本質である、ということです。

条件によってあるべきデザインは変わります。最初から「デザインはシンプルに」「1ページに1テーマ」「パワポは悪」「パワポ禁止」などと決めつけるのは、思考停止型の発想だと思うわけです。

巷には「Aをしなさい」「Bにすべき」と手段の良し悪し、優劣を決め付けたような情報が溢れています。確かにこういった情報は分かりやすく、エッジも立つため、SNSでは拡がりやすく、書籍ならば売れやすいでしょう。

しかしそれは一つの意見や参考情報に過ぎません。私はいつも「手段は固定化すべきではない」と考えています。手段はできるだけ多く持ち、それぞれのメリット・デメリットを理解し、その時の状況に応じて使い分けるのがクリエイティブな仕事の仕方、デザイナーらしい思考と考えています。

「スライドは少ない方がいい」「パワポは悪」といった考えも、手段を固定化した考えです。そう考えた方が良い時もありますが、そうとはいえない時もあるはずです。

まず自分が何をしたいのか、あるいは何を求められているのか、そこを発想の起点とし、いわゆる定石に惑わされず、自分が一番満たしたいことを満たせる方法やデザインやツールをその都度思考して選択することこそが大事なんじゃないかな、などと思います。

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