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(小説)眼鏡橋を渡る時 ①

 最初は誰なのかわからなかった。
 バスを降りて、遅れがちについてくる母を半ば無視しながら歩いていると、集落の方から白い車が走ってくるのが見えた。一見白だけれど、梅雨の晴れ間の鈍い太陽光を浴びた車体は、どろりとした乳白色に見え、どこか真珠玉の輝きを帯びているようだった。
 車とすれ違う時、運転席の女性の顔はピンとこなかった。その瞬間は、見知らぬ他人だと思った。けれど助手席に座る女の顔には見覚えがあった。もう五十を過ぎているはずだから、年齢相応の皺やしみは見て取れたものの、目鼻立ちはほとんど変わっていない。
 あの子の姉に違いない。ということは、運転席の女性は、同級生のあの子だろう。
 先週、あの子の母親が突然亡くなった。近所なので、父は葬式に行った。喪主である父親ではなく、あの子が立派に遺族代表の挨拶をした、と葬式から帰ってきた父は言った。
 ちょうど運悪く、時期的に早い台風が上陸し、それまでの空梅雨を消し去るように、通夜も葬儀も二日間大雨が降り続いた。葬式に行かなかったわたしは、まるでこの世界を封じ込めてしまうかのような激しい雨を、ベランダ越しにため息をつきながら眺めていた。わたしにとっては、三月に女優の坂口良子が亡くなった衝撃の方が、大きいかもしれない。
 葬儀の後の諸々の用事を姉妹でしているのだろう。家は近くても、もう長い間あの子を見かけることはなかった。この一週間の間も、あの子の気配を感じることはない。
 運転席の女性は、本当にあの子だろうか? そうだと言われれば、面影が残っているような気もするし、全くの別人のようにも思える。三十五年も経つと、あの子の顔の印象も朧げだった。小学校や中学校の卒業アルバムの写真のあの子は、運転席の女性とは結びつかない。
 それだけ今のわたしにとって、あの子は遠い存在になってしまっている。あの子にとってもそうだろう。ただあの時代に偶然近所に住み、同級生だったというだけで、別の高校に行き、社会人になってからは一度も会うこともなく、距離も気持ちも完全に離れ、今や記憶からも抹消されつつある。
 三十五年を経て、あの子の母親は亡くなり、父親は一人暮らしとなり、わたしは相変わらずこの家で、年老いた両親と同居している。
 あの子はわたしに気づいただろうか?

 そういえばゴールデンウィーク明けだったか、中学の同窓会の案内が届いた。わたしは同窓会と名のつくものには行ったことがない。わたしには行く理由も必然性も見当たらず、そもそも行きたいという気にならない。
 幹事を務める差出人は、これまた近所に住む同級生の男性で、近所に住んでいてもあの子同様ほとんど見かけることはないし、気配も感じない。封筒の裏に書かれた男性の名前を見たとき、わたしは笑った。本当にくすっと音がしたような笑い声が漏れ、それがさらに笑いを誘った。テレビのバラエティ番組を除けば、この家の中でわたしは久しぶりに笑ったような気がした。
 案内を読むと、今回の同窓会は、冬に亡くなった同級生の追悼を兼ねて行うとわかった。移植の必要な難病に蝕まれ、妻子を残して五十歳で亡くなった同級生ーー。
 去年の夏には、その難病の同級生を助けるためのカンパを募るお願いが届いた。わたしはその男子の顔も名前も覚えていなかった。そのお願いが届くまですっかり忘れていたのではなく、わたしの記憶からは、彼の存在そのものがすっぽり抜け落ちていた。
 だからわたしは、カンパをしなかった。同窓会同様、わたしにはカンパをする理由も必然性も見当たらず、カンパをしようという気にならなかった。
 同級生有志がカンパを募り、その後半年足らずで亡くなったのか、とわたしは思っただけだった。事実をなぞらえるだけで、気持ちはそれ以上にも以下にも動かなかった。存在の記憶がないのだから、何かを感じたり、気持ちが動いたりしようもない。ただ、カンパをした人たちのお金はどう使われ、その人たちの気持ちはどう落ち着くのだろう、と疑問に思った。
 カンパをしたしないにかかわらず、わたしは同窓会には出席しない。カンパをしていないから、追悼を兼ねた同窓会には出席しにくい、と引け目に感じることもない。
 そんなこととは関係なく、あの子の母親が突然亡くなったように、人はいつか必ず死ぬ。早いか遅いかの違いだけ。誰でも、明日、交通事故か自然災害で死んでしまうかもしれない。
 そうはいっても、自分が明日死ぬかもしれないとは露ほども疑うことなく、今日と似た明日が永遠に続くような気がして、その不透明な長さにうんざりしながら、わたしはその日その日を生きている。

 生まれたときから住んでいるこの家のベランダは、二階の南側にあるのに日当たりが良くない。そのベランダでわたしはほぼ毎朝洗濯物を干す。母が洗濯機を回し、わたしが洗濯物を干すというのが、いつのまにか習慣のようになった。
 七十歳を過ぎる頃から、母が二階への階段を上るのを億劫がるようになったことが大きい。六十代の頃は年齢より若いと思っていた母は、七十を過ぎると急激に老いが進み、特に足腰の衰えが目立つようになり、昨秋ついに家の中で転んで足を骨折した。半年近いリハビリの末、元通りとはいかないものの、何とか回復してくれたのでほっとしている。
 あの子の母親より四、五歳若いとはいえ、母だって紛れもなく老人なのだ。あの子の母親が突然死んだように、母だっていつ死んだとしても不思議ではない年齢なのだ。
 このベランダからは、すぐ下の細い路地を歩く人がよく見える。人を見るのは好きでも、見られるのは嫌いなわたしは、バスタオルやシーツの後ろに隠れるようにして行き交う人を見ていた。
 この路地を歩くあの子の母親をよく見かけた。朝ゴミ出しに行ったり、近くの神社まで散歩するのが日課だったようで、頻繁にここを歩いていた。
 何度も見かけるうちに、わたしはあることに気づいた。あの子の母親の顔は、往きはどことなく険しい印象で、帰りは落ち着いた穏やかな表情に見えるということに。
 あの子の母親の若い頃の顔を知っているので、老けたなあ、お婆さんになったなあと正直なところ思うけれど、帰り道の顔は時折別人のように美しく見えることがあった。どうしてなのか、不思議で仕方なかった。
 あの神社には何か秘密があるのだろうか? パワースポットなんていう言葉とは無関係な、ありふれた古い小さな神社のどこに秘密が隠されているというのだろう? お参りをすれば若返りの秘薬を手に入れられたり、元気に生きるパワーを授けられたりするとでもいうのだろうか?
 そんなことあるわけない。ただ、あの神社にはありふれていない所が一つだけある。境内にある小さな池に、こんな田舎でどうしてこれだけ立派な建造物を造ることができたのかと目を見張るような、石造りの眼鏡橋が架かっているのだ。五月には池を彩るようにカキツバタが咲き、紫や黄色のカキツバタ越しに眼鏡橋の姿を撮影しようと、少なからぬ観光客が訪れる。
 わたしは近くても年に数回しか神社に行かないけれど、あの子の母親にとってはかけがえのない、心のオアシスのような場所だったのかもしれない。
 何度も洗濯を繰り返し、茶色っぽく変色したタオルが風に揺れる。新しいタオルは押入れに何枚も突っ込まれているのに、母は使おうとしない。ふいに、今年の梅雨は長引きそうだ、とわたしは感じ、それを打ち消そうとするかのようにベランダから室内に入り、いつもより大きな音を立てて掃き出し窓を閉めた。

 わが家には、随分前から車がない。父は七十代半ばで早々と免許を返納し、母は免許を持たない。働いている頃はわたしも軽四に乗っていたが、十年以上前に仕事を辞めてからは、車の維持費を賄えないので手放した。
 最初は、こんな田舎で車がない生活なんて耐えられないと思ったけれど、不便に感じたのは数カ月程で、今はもう車のない生活に慣れてしまっている。
 この十年の間に食料品店や酒屋は廃業し、この地域に店は一軒もなくなった。銀行や信用金庫の支店も駅前へ移転し、おまけに昨秋唯一の路線バスを走らせていた会社が、長年の赤字経営から抜け出せず、バス事業から撤退した。すぐに他の会社が引き継ぎ、便数を減らして運行しているものの、始発は朝八時過ぎで、最終は五時前に駅を出発する。これじゃあ通勤、通学には使えないし、遊びに行こうにも日帰りツアーの集合時間にも間に合わないし、帰りはタクシーを使わなければならない。
 一番近い自販機まで一キロぐらいか? 新しくできたコンビニも、自転車で行くには遠い。地域内に唯一残っている郵便局もコンビニ同様遠いけれど、手近な金融機関がそこしかないので、年金支払い日には老人たちで混雑している。
 人里離れた山村でもなく、住人は老人だけというわけでもなく、若い世代と同居している家もあるのに、既にこの地域は、外面的には限界集落の様相を呈しているように思えなくもない。若い世代が車で移動することで、かろうじて日常生活を成り立たせている。若い世代にとっても、車がなければ住めない地域ということだ。
 そんな場所で、七十代の親と五十代の娘が車のない生活をしている。どこか笑い話のようにも聞こえるけれど、わたしは車のない生活にそれほど不満はない。
 食料品は宅配を利用し、服飾品や日用品は通信販売で送ってもらう。週一回、バスで駅前まで出掛け、いくつかの店や駅周辺の金融機関を回ったり、図書館で本を借りたりする。それでわが家の日常生活は事足りている。
 だから。便数が減ろうがバス停が遠くなろうが、よくバスを利用する。老いた母が金魚のふんのようにもれなくついてくるのが鬱陶しいけれど、荷物持ちは必要だし、母にとっては数少ない息抜きでもあるのだろうから、目をつぶる。
 その日バスに乗っていると、道に立っているある人が気になった。地域の下水道工事のため、いつもとは違う川沿いの道を走るバスの窓から、その人の姿はよく見えた。白いガードレールにもたれかかるようにして川を覗く姿は、かなり手前から目立っていた。上下白っぽい服装で、雨も降っておらず暑いのに黒い長靴をはいている。


noteで小説の連載を始めてみたものの、それほど間を置かず小説を発表し続けるのが、こんなに大変なことだったとは! 頭の中が一秒たりとも休むことなく動き続けていて(小説のことで)、この先どうなることやら……予測不能です。
 「眼鏡橋を渡る時」は、あと数回続きます(予定)。よろしければお付き合いください!
                         みちくさ創人

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