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(小説)眼鏡橋を渡る時④

 去年までは煩いぐらいに節電が叫ばれていたのに、今年の夏はあまり聞こえてこない。この夏があまりに暑すぎるせいか? 熱中症に注意しましょう。適度にエアコンを使いましょう。とテレビ等で言っている。
 そうなると、エアコンを使うのに去年の夏ほどの後ろめたさを感じなくなってくる。人間は現金な生き物だ。目先の不快や苦痛に弱い。
 わたしもこの夏はよくエアコンを使っている。猛暑日、熱帯夜が続くと、エアコンなしではとても過ごせない。世の人々も似たようなものだろう。
 けれど、電力が不足するから節電しよう、とは誰も言わない。実際、こんなに暑くて人々の電気使用量は増えているはずなのに、電力は不足していない。どうしてだろう? どこかに知られざるからくりがあり、それを知られたら困る誰かが、必死で隠しているのではと勘ぐってしまう。
 わたしは暑くてたまらないのに、両親はあまりエアコンを使わない。だから昼間は二階の自室で過ごす。電気代がかかることを神経質なぐらい気にする母は、娘を穀潰しのように言うけれど、無視する。無視しなければ、一緒には暮らせない。
 わたしにとって口煩くて目障りで厄介な存在の母だけれど、こんな母親でもいないよりいた方がいいのだろうか? あの子の母親が死んでから、自分の母に腹を立てる度にそう問うようになった。いなければ喧嘩もできない。生きている間は疎ましくても、いなくなると寂しくなったり、声を聞きたいと思ったりするのだろうか?
 エアコンが利いた快適な部屋にいるのに、その日は何かが違った。集中力が続かないし、なぜかいらいらして昼寝もできない。気持ちが落ち着かない状態で部屋にじっとしていると、突然ある臭いが気になり始めた。
 それは、子どもの頃からこの家に漂う独特の臭いだ。普段はほとんど感じることはないのに、年に何回か強烈に鼻につく。体調が悪かったり、精神状態が良くないときに、不調を強調するように、弱みにつけこむように忍び寄ってくる影に似て、重苦しい。
 やや酸っぱいような、黴と埃を交ぜて乾燥させたような、老親の老人臭もわずかに加わっているような、何とも形容し難い臭いーー。一旦気になると、そこから先は数秒も耐えられなくなる。今までこんな耐え難い臭いの中で暮らしていたのかと思うと、呼吸困難になる。
 わたしは部屋を飛び出し、ベランダへ出た。干してある洗濯物の陰で、深呼吸する。やっとのことで呼吸困難から抜け出したような気分になる。
 しばらくすると、あんなに嫌だった臭いの記憶が急速に薄れ、再現できなくなる。あれはわたしの思い込みか、幻臭かもしれない、と感じる。このパターンはいつものことだった。あの強烈な臭いが現実なのか、幻なのか、わたしは未だにわからない。
 真夏の午後、このままベランダにいても暑いだけなので、部屋に戻ろうとしたとき、何かがわたしの視界の隅を過った。
 偶然、あの子が庭を抜けて玄関へ向かうのが見えた。近くといっても、以前は間に建物があり、人の出入りが見えるようなことはなかった。それが数年前に古い建物が取り壊されると、あの子の家の玄関は直接見えないものの、このベランダからは、庭先が見通せるようになったのだった。
 あの子の両親はそれに気づいていたのかどうか、周囲の視線を気にする様子もなく、それまでと変わりなく過ごしているように見えた。そもそも、この地域の老人たちにはプライバシーの意識はほとんどない。窓は開けっ放し、玄関の鍵も閉めずに外出するのもしばしばだった。
 そんなふうに開けっ広げかつ不用心でも、田舎なので今まで大きなトラブルもなくやってこられたけれど、この先はわからない。ひどく危ういぎりぎりのバランスで、かろうじて平穏を保っているだけという気がする。
 老人だけならそういう生活も成り立つのかもしれないが、わたしには耐え難いことも多い。特に夏は、両親が開け放つ台所のレースのカーテンを、わたしが閉める。また両親が開け、わたしが閉める。その繰り返しだ。
 すぐ外の路地を人が行き来するし、カーテンを開けると近所の家からも丸見えになるのに、彼らは全く気にしない。その無頓着さはわたしには理解不能で、許し難い。そんな粗雑な感覚の持ち主と同居するというだけで、大きなストレスとなる。
 感覚や価値観や生活様式の違いから生じる様々なストレスを日々蓄積しながら、わたしは親と同居している。貯まり続けたストレスはどうなるのだろう。よく爆発しないものだ。と自分でも不思議に思う。
 あの子の母親が亡くなったのは梅雨の頃だったので、四十九日が近いのかもしれない、とわたしは閃いた。あの子はその準備に忙しいのだろう。
 あの子の母親は死に、わたしの母は生きている。どちらがいいのだろう? 正直なところ、わからなくなった。死ぬのが不幸で、生きてさえいればいいとも、最近はすんなりそう思えなくなった。
 一瞬であの子が消えた庭には、細かな雑草が生えている。日課のように草取りをしていたあの子の母親の丸まった背中を、わたしは唐突に思い出した。

 お盆前に、あの子の父親の名で香典返しが届いた。四十九日が終わったのだとわかった。中身を開けた母は「えろう早う届いたなあ」と言っただけで、珍しく文句は言わなかった。大抵、タオルばかりもらっても困るとか、趣味が合わないとかぶつぶつ言うのに、今回は何も言わなかった。
 高級そうに見えるシルク混の肌布団を、母はちらっと眺めると、そのまま箱に戻し、押入れにしまい込んだ。そこには過去数十年の間に、誰からもらったかもわからなくなった慶弔のお返しの品々が、数知れずしまい込まれ、忘れ去られている。母はしまい込むばかりで、整理したり、使ったりしない。もちろん、床に落ちている輪ゴム一つさえジャムの空き瓶にしまい込む母に、捨てるという発想はなく、御法度ですらある。
 近所の同年代の女性が亡くなったのだから、他人事ではなく、身辺整理の意味も含めて、少しは片付ければいいのにとわたしは常々苦々しく思っているけれど、母はそしらぬ顔で、終活とは無縁の日々を過ごしている。
 香典返しが配達された同じ日に、もう一つ届いたものがある。金融機関からの通知や不要なDMぐらいしか郵便の届かない我が家に、珍しくごく普通の白い葉書が届いた。
 表にはわたしの名前が書かれ、裏を見ると、先生からの個展のお礼だった。わたしは玄関に立ったまま、その葉書を読んだ。
 写真やイラストがあるわけでも、デザインにこっているわけでもない、縦書きの文章を連ねただけのごくシンプルなものだった。パソコンではなく、ワープロで作成したのではないかと思われた。
 一般的な内容の礼状だったが、こうやってちゃんと礼状を出すところに、先生の律義な性格が表れているのだろう。名簿に名前を書いたすべての人に送ったに違いない。
 葉書の最後に付け加えられた手書きの一言に、わたしの目は引きつけられた。その何気ないたった一言を見つめていると、急激に身体の奥からいろいろな感情が湧き出してくるような感覚に襲われた。
 よくいらっしゃいました。
 わたしだとわかって書いているような、誰にも同じことを書いているような、どちらとも取れるし、どちらでもないような気もする。ひらがなだけの文字がわたしを悩ませ、混乱させ、わたしの感情をかき回す。
 気がつくと、わたしは泣いていた。涙がとめどなく零れ落ち、声を立てずにわたしは泣いた。自分でもどうして泣いているのかわからない。
 悲しいのでも、懐かしいのでも、悔しいのでも、腹が立つのでもない。けれど、不思議な涙は止まらない。わたしは一挙に中学生に戻り、今のわたしを他人のように見る。
 中学生のわたしは自分が何者かもわからず、年を取り、醜く変貌していくとは露ほども想像していない。今のわたしは、中学生の頃と気持ちは何も変わっていないと言ってみたり、随分遠くへ来てしまったと呟いたりする。
 ひらがなを見つめたまま、わたしは全く動けなくなった。
 背後に母が近づいてくる気配を感じたわたしは、無理やり身体の硬直を引きはがし、階段を駆け上がった。

 お盆といっても、我が家には普段とは違う人の出入りがあるわけではなく、特別な行事を行うというのでもなく、いつもと同じような顔をした日常が終わりかけたその日、わたしにはある予感があった。
 わたしは朝から何度もベランダに出ては、その家の庭先の様子を窺った。あの子が行動を起こすのではないかという予感がした。四十九日も新盆も終え、明日からは仕事が始まる。お盆が終わる今日しか、それを実行する時はない。
 何度かベランダへの出入りを繰り返し汗をかいたのに、それほど暑さは気にならなかった。予感は外れたかとやや諦めかけた午後四時近くになって、あの子は動いた。
 あの子は一人で家を出ると、路地を歩き始めた。わたしはベランダから身を翻し、階段を駆け降りた。気は逸り、心臓の鼓動は速くなる。全身から一挙に汗が吹き出してきた。けれど、焦る必要はない。わたしには、あの子の行き先はわかっている。
 わたしは洗面所の鏡で髪の乱れを直しながら、呼吸を整えた。お気に入りの帽子をかぶり、散歩に行くような気軽さで玄関を出た。
 わたしが神社に到着すると、あの子が眼鏡橋の上に立っているのが見えた。石の欄干に両手を置き、池を覗き込むようにしている。眼鏡橋の向こう側の斜面に生えた木々がちょうど日を遮り、橋の上は日陰になっていた。
 わたしは池に沿って歩き、あの子に近づいていった。あの子はまだ気づいていない。
 わたしが眼鏡橋の袂に来たとき、あの子は橋の傾斜の頂上辺りでこちらに背を向け、その先の鳥居と本殿へ続く石段を見ていたようだった。身内が亡くなると、一年間は鳥居をくぐれないと聞いたことがある。もっと決定的な意味で、あの子がここに来るのには、かなりの勇気が必要だったのではないかとわたしは思う。
 わたしは眼鏡橋に足をかけた。突然、まるでわたしの行動を予期していたかのように、あの子は振り向いた。わたしは片足を出したまま動けなくなった。
 最初は怪訝な表情を見せていたあの子の方が、先に声を発した。
「美紀ちゃんよね。久しぶりだね。今日の同窓会、行かなかったの?」
 あの子の口から飛び出した予期せぬ質問に、わたしはしどろもどろになった。中学の同窓会が今日だったなんて、覚えてさえいなかった。
「私は今回はそれどころじゃないし、そういう気にもなれなかったから欠席したけど……今頃、二次会かもしれないね」
「お母さんのこと、お悔やみ申し上げます。大変でしたね」
「ありがとう」
 いろいろな人に言われ、そんな社交辞令は聞き飽きたという含みのある「ありがとう」と、わたしには感じられた。
「そちらのご両親は、お元気?」
「ええ、まあ」
「大事にしてあげてね。後で後悔しても遅いから」
 それだけ言うと、あの子はわたしの横を通り過ぎようとした。あの子の立っている所から眼鏡橋は下りの傾斜がついているので、あの子のサンダルの音がバタバタ響き、耳障りだった。
 わたしを拒絶するかのようなあの子の一方的な態度に腹が立った。わたしは自分の言いたいことをまだ一言も喋っていない。濁流を溜め込んでいたダムが決壊するように、勝手に口が動いた。
「お母さんが亡くなる直前、偶然見かけたの。あの石段を上がっていって、しばらくしたら石段を下りてきて、あと数段で下りきるところでバランスを崩して、落下してしまったの。打ち所が悪かったのね。頭を打って亡くなってしまうなんて……。本当にお気の毒だわ。骨折ぐらいですめばよかったのに、運が悪かったのね」
 わたしの話の途中から、あの子の顔色が変わるのがわかった。目の下の隈が、最初見たときより濃く大きくなっている。
「あなた、本気でそんなこと言ってるの? やっぱり、噂は本当だったのね。こんな田舎じゃろくな医者はいないだろうから、よかったら優秀な医者を紹介するわよ。もうとっくに第一発見者に話を聞いているから、あなたの嘘はバレバレなの。こんな馬鹿げた妄想に付き合っている暇はないから、失礼するわ」
 あの子は一息でまくし立てると、去っていった。今度はサンダルの音はカタカタと響き、いつまでも耳の奥で反響して消えなかった。
 わたしはあの子の方へは振り返らない。そのまま眼鏡橋を上って、下り、喪中のあの子ができなかった鳥居をくぐって、あの子の母親が倒れていただろう場所を素通りし、石段を上がった。
 この石段を上るのは、何ヵ月ぶりだろう。いつもより長く感じる。見上げた石段の先から西日が一筋差し込み、わたしの目を突き抜けて足元に落ちた。
                             (了)

 なんとか「眼鏡橋を渡る時」を完結させることができました。最後まで読んでいただきありがとうございます。この作品から何か伝わるものがあればいいなと思っています。
 次は、舞台は同じで、時間と視点を変えたものを考えています(予定ですが)。よろしければ、また読んでください!
                         みちくさ創人


 

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