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ゲイ同士の初めての出会いにCocco〜自分の歴史を音楽と振り返る⑦2001−03

音楽シーンでは、SMAP「世界で一つだけの花」の特大ヒット、CHEMISTRYや平井堅、ゆずの活躍、中島みゆき「地上の星」のロングヒット、女子十二楽坊やおさかな天国のヒットもあった。倉木麻衣や愛内里菜の活躍もこの頃。t.A.T.u.の騒動もあった。個人的にはMDをフル活用。TSUTAYAでCDを借りてMDに落とすということを延々と繰り返していた。この頃に、自分以外のゲイの人と初めて出会うようになる。


同じゲイの人との初めての出会い

世の中がPHSで賑わっていた頃。当時は出会い系アプリというものは存在せず、また嘔吐恐怖症であった私はゲイバーに行くこともできなかった。そんな私は出会い系のホームページでの投稿からメールをやり取りすることで交流を持った。初めて会ったのは20歳の頃だった。まわりの人にバレないように、いつもは着ないような服を着て、カフェで少し話して、相手の人の家に行った。終始ガチガチに緊張していた。でも、ゲイな自分はどうせひとりだという孤独感は和らぎ、欲情は満たされる、そんな瞬間だった。

出会い系のサイトでの出会いを何人かする中で、ゲイとして初めて付き合ったのは21歳ぐらいの頃。少し年上の人だった。デートらしいデートをあまりした記憶はない。ただ、ファミレスで一緒にご飯を食べたりすることが、それなりに楽しかったし、嬉しかった。付き合ったのは半年弱。

そうそう、会った人みんな、ゲイとして悩んでいるということはあまり感じられなくて。楽しそうでさえあったような記憶がある。一方、これはゲイの世界に限らないんだろうけれど、出会いをいくつか重ねるにつれ、自分はフラれたり、嫉妬にかられたり、恋愛とセックスの順番?がわからなくなったり。そんな荒波に飲まれ、溺れながら泳いでいった。

今振り返ってもすごいなと思うのは、当時好きになった人が細専(細い体型を好む人)だったため、半年で20キロ以上体重を落としたことだ。ひたすら蕎麦を食べ、あとは蕎麦湯で空腹をごまかし、毎日水泳してたら、みるみる痩せていった。痩せたらデートしてくれるということになっていたから連絡をすると、好きな人ができたから、ごめん、とのことだった。

Cocco「焼け野が原」

自分もそうだが、割と会う人みんな好きだと言っていたのがCoccoであった。Coccoはこの頃に活動休止。Mステで歌唱したとき、後奏の途中にマイクを置きバレエのおじぎをして走り去ったのを覚えている人は多いのではないかと思う。その時歌っていた活動休止前のラストシングルが「焼け野が原」だ。

当時のCoccoは、人の(悪い意味での)性(さが)や、自傷行為や死と隣り合わせの詞を、「ポロメリア」「首」「けもの道」といった曲ではグランジ風ロックで吐き出すように、「遺書。」「Raining」などでは浄化するように神聖に歌っている。詞が過激と言う印象が強いかもしれないが、それは当時のCocco自身が歌うための手段の一つにすぎなかったんだろな、と最近思うようになった。

Cocco「風化風葬」

活動休止の際に出されたベスト盤に収録されていた一曲が「風化風葬」。当時の活動休止前最後のライブ映像が公式から出ているので、良かったら是非見てほしい。この頃の自分は、Coccoとこの曲に何度も救われてきたから。

叫んでるんだけど、笑ってるんだよなあ。つらそうなのに、泣きそうなのに、やさしいんだよなあ。

Cocco「Rainbow」

そしてこれも好きだった、焼け野が原のc/wだった「Rainbow」。実はプロデューサーでもある根岸孝旨率いるバンドDr. Strange Loveのカバー。サウンドはCocco色が薄い(MVはCoccoらしさが溢れている)分、まるで魂が抜けてしまったような気だるさが心地よかった。自分の葬式にはこういう曲を流せたらいいなと思う。

Cocco「有終の美」

書いていてCocco愛が溢れて止まらなくなってきたので、その後のCoccoにも触れておこう。その後2006年に活動を再開。それまでは「歌はうんち」「歌うことは排泄行為」と言っていたのが、歌が好きになる自分に嘘を付けなくなり、スタッフの説得もあり再開したとのことだ。再開後は深部を描く歌詞はそのままに、やさしさと力強さという彩に載せて様々な愛を歌っている。その中でとても好きな曲を1曲挙げておこう。「有終の美」だ。


といったところ。過去を振り返ると良いことよりもツラいことがどうしても多くなってしまうが、それでもこうやって書けるのはその当時の音楽の力があったからだろうと思う。あのときも音楽に救われて、今も音楽が過去に向き合う力をくれているようだ。

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