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自分の歴史を音楽と振り返る(11)2012-16 〜精神保健福祉士の実習での出来事

AKBグループの台頭やアナと雪の女王の公開、ゴーストライター騒動があったこの頃。その一方で、私は音楽ランキングから興味を失っていった。この頃の私はパワハラにより努めていた学習塾を辞め、うつ状態で療養。そこから精神保健福祉士を目指すことに。その実習でズタボロになる。

※赤裸々に書きました。今回は割と長く重めです。読む際はお気をつけください。


精神保健福祉士の専門学校へ入学
少女時代「DIVINE」

正社員での就職という希望がパワハラという形で粉々に砕け散った。その思いがうつ状態となり、相当しんどかった時期。それでも塾講師のアルバイトだけはささやかに続けていた。その中できっかけとなったのが不登校の子との接点だった。自分も経験した不登校。そんな生徒をどのようにサポートすることができるのか。学校でサポートする立場の人に「スクールカウンセラー」「スクールソーシャルワーカー」というものがあるらしい。それをもっと知りたくなった。

以前、初めて精神科のクリニックを訪問した時。1時間かけて話を聞いてくれた人がいた。その人の名札には「精神保健福祉士」と書いてあった。

そんな2つの出来事が重なり、さらに「自分の経験が誰かの役に立てたら」という微かな希望を胸にひめ、精神保健福祉士の資格取得の専門学校に通うことにした。

専門学校では、精神保健福祉士を目指す40名程度のクラスに入った。私以外きっと若い人ばかりなんだろうと思っていたが、1割ぐらいは私と同年代だったり年上の方で、意外と疎外感は感じなかった。専門学校の授業は、精神疾患の知識、精神障害の偏見の歴史、障害者支援、医療福祉の知識、年金制度など多岐に渡ったが、元々勉強することが好きな私にとってはあまり苦ではなかった。朝9時から16時までの授業が週5、毎週休まず通い授業の後は自習室で勉強した。夏には千葉の大きい病院にソーシャルワーカーの勉強会に泊まりがけで参加した。今思えば当時のように活動することはまずできないが、あの頃は意外と気力があったのだろう。

精神科病院の見学、先輩精神保健福祉士の講演、精神障害者をモデルにした映画の鑑賞、NHKの福祉系の番組の鑑賞と、座学の授業だけでなく様々なことを見聞きし経験した。それは時に自分の中にある偏見や思い込みに気づくこともあり、それに傷つきながらも新しい自分が広がっていった。

この頃ハマっていた少女時代。9人組だったがメンバーの一人であるジェシカが突如脱退になった。その発表の突然さと、その後の互いの活動を見る限り、円満退社ではなさそうだった。ちょうどその脱退の際に発表されていた曲が「DIVINE」だ。MVではそのジェシカが後半一筋の涙を流す。脱退の時期とタイミングが良すぎだなあとも思うが、それでも良曲であることは揺るがない。見事な群舞やかわいさとは別の、切なさと穏やかさが同居するこの曲は、今でも寝る前によく聴いている。

0回目の実習(福祉施設)
BIGBANG「BLUE」

先に音楽を記しておきたい。今でこそ逮捕やスキャンダル等に塗れてしまったBIGBANGだが、当時は大好きだった。この頃はとにかくツラかったので、激しい曲よりも、ダラッと耳から耳へ流せるような曲を好んでいたような気がする。この「BLUE」もそう。カラオケでよく歌った記憶がある。

さて、実習の話だ。
精神保健福祉士の養成課程では、一定回数の座学と、約28日間の実習が必要だった。医療機関と福祉施設に分かれ、夏休みと冬休みにそれぞれの実習を行う。私もそのように実習を行った。

夏休みの最初の方に行った先は都内の某就労継続支援B型である作業所A。先方の女性の実習指導者と最初に話をした際、私の実習のテーマが自己覚知であることに関して、「ああ、あれすごく大変なのよー、かなりきついと思うけどね」と、まるで脅してくるように言ってきた。なんで脅すんだろう、とその時は不思議だった。

実習が始まった後すぐに感じたのは、その人を含めたその作業所のスタッフ、私に対する「圧」が強かった。わからないことを質問しても煙に撒かれたり、私と他のスタッフとの接し方が極端に違ったり、まるで自分だけ敵国の捕虜にでもなった気分だった。また、実習では毎日3000字程度の実習日誌を書かなければいけなかった。想いを言葉にするのに時間がかかる私は、それでも懸命に毎日書いていった。しかし、その実習指導者にダメ出しを受けやり直しを何度もさせられた。時々赤字で書かれる人格否定も自分の心をえぐった。その実習指導者が下品に利用者さんと盛り上がっているのを見ながら、私は疲弊していった。

作業所の仕事の一つに、銭湯の掃除というものがある。私は利用者さんたちと一緒に掃除に行った。脱衣所の網をめくったら黒く動くあの虫がたくさん…。それに恐怖を感じ声を出してしまった私を、ある利用者さんがバカにした。「男のくせに」。

作業所の仕事の一つに、公園の清掃というものがある。私は利用者さんたちと一緒に掃除に行った。真夏、35度を超える屋外での作業。疲労していた私は「灼熱の野外⇨熱中症⇨吐き気・嘔吐」という予期不安が働いてしまいダウンしてしまった。

そんなこんなで、学校の実習巡回で来た先生との面談で、作業所Aの実習はこれ以上続けることが難しいと判断、キャンセルとなった。

1回目の実習(福祉施設)

私の心の傷をパックリと開いて塩を塗るような作業所Aの実習がキャンセルとなり、自分に自信が全く無くなってしまった。きっと何を言っても何をしても、また否定されるのだろうと。

そんな中、急遽学校の先生が調整してくれて、夏休み中に千葉の福祉施設Hに実習に行くことになった。そこは家からは遠いが、作業所Aよりは遥かに私にとって良いところだった。実習指導者も、施設の他のスタッフも、まるで自分のことを仲間のように迎えてくれた。世間話も私だけ無視するようなことはなく、和やかにみんなで話をする。福祉施設はどうせAのようなところばかりだと思っていたので、とても意外だった。実習日誌も、頭ごなしの人格否定ではなく、私が書いた内容を認めてくれるような視点だったので、私もまた日誌を書こうと素直に思えた。

その福祉施設Hの実習は無事に終わり、実習指導者からは、実習の評価として最も良いAをもらった。また、よかったらうちで働かないかと誘っていただいた。私はまだ卒業後のことを考えていなかったので、答えを保留させてもらった。

2回目の実習(精神科クリニック)

2016年1月23日(土)・24日(日)に精神保健福祉士の資格試験が行われ、その翌日から私の後半の実習が始まった。実習先は千葉の精神科クリニックM。実はここは私がぜひ実習にぜひ行きたいと思っていたところであった。というのも、そこの実習指導者が学校で講演、それを聞いてとても感動したからである。バイタリティ溢れる行動力と、柔らかな人柄、そして同年代という親しみ。念願叶って、そのクリニックでの実習が始まった。

実習では、デイケアのさまざまなプログラムに参加して、感じたこと・考えたことを実習日誌に記録、提出する。日誌を書く作業は作業所Aでは散々だったが、福祉施設Hでのこともあり少し自分を立て直せたので、自分で自分を支えながら頑張って毎日励んでいた。

おかしなことに気がついた。その指導者の態度だ。昼食時にスタッフルームで食事する際、他のスタッフの方が私に会話を振ってくれて私が話す時、彼はなぜかいつも私を無視して、Drがやってくると椅子から立ち上がって腰巾着低姿勢、というのが日常だった。Drを頂上に広がるピラミッドの底辺にもいられないのが実習生、というのが精神科でのヒエラルキーなのだろうか。この実習ではそう感じ、実習日誌にもそのようなことを書いたこともあった(これも実習指導者の印象を悪くしたのかもしれない)。

また、利用者さんから私の件でクレームがあった、と実習指導者から学校の先生を通じて連絡があった。なんでも、自由時間に実習生から話しかけてきて辛かった、というようなことらしい。

これを先生から聞いた時、2つの疑問があった。1つはクレームに心当たりがないこと、そしてもう1つは「なぜ実習指導者から直接私にクレームの件を言わなかったのか」ということだ。

というのも、実習の最終日には実習指導者との振り返り面談があることを実習前に指導者から直接聞かされており、その時に、これまで聞きたくても聞けなかったことや、この件も直接話し、聞こうと思っていたからだ。ところが、実習最終日の前日、やっとその面談の日程を相談できると思い指導者の都合に合わせようとした矢先、「都合がつかないので振り返り面談は学校の先生とやってください」と言われてしまった。しかもそれは、実習指導者からではなく、その伝言を受けた他のスタッフからだった。実習指導者は、クレームに対する私の言い分を聞く機会を作ろうとしなかった。

講演を聞いたあの感動。ああなりたいなと思っていたきらめき。それは、徹底的な無視といういじめと一方的なヒエラルキーを具現していた実習を介して、刃へと変わり、自分の希望を何度も突き刺した。そしてこのクリニックであからさまに避けられている自分に嫌気が差し、究極まで達して、この世から消えたいと強く思うようになった。

実習の後、卒業後の就職を考えるつもりだったが、こういうことがあり、全くする気が起きなかった。福祉施設Hからのお誘いも、返事をする余裕は失われた。

専門学校の卒業式。資格を取ることはできたが、同級生や先生の明るく話す様子が胸を刺し、たまらず途中でホールを去った。泣きたいけれど、泣く気力も残っていなかった。ただただ、この世からいなくなりたかった。


という感じ。
1つ補足をすると、上述のAやMは現存していて、そしてMでの実習指導者は、当事者も参加するような学会で幅広く活躍するなど、今も精力的に活動している。他の精神科病院やクリニックに実習に行った同窓生の話や、今当事者会を運営していて入ってくる話を考えても、このようなところはきっとまだたくさんあるのだろうと察する。

私が当事者会の活動をしていて最近そのことを知った。私の当事者としての活動や存在が、その実習指導者の活動領域と重なることがあり、今も気持ちの整理に苦しんでいる。でも、それも含めて「多様性」なのかもしれないとも感じている。つまり、自分と合わない人も含まれるのが社会であり、自分を傷つけた人も含まれるのが社会なのだと。許す許さないというのとは別にして。

この文章を書くことで、気持ちの整理が少しつけばいいし、当時のことに新たな捉え方ができればいいと思うが、今はまだ正直よくわからない。

ここまで読んでいただいた方で、もしさまざまな資格の実習をする際は、どうか無理をしないでほしい。変なところ、合わないところはある。きつかったら逃げてほしい。それは必ずしもあなたが悪いわけではないから。実習先という閉鎖的な空間で、ヒエラルキーの底に追いやられて実習生が被害を被るようなことが起きている。それにまず光が当たり、改善されることを祈っている。

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