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硫黄島異聞‐なぜ彼は愛馬から落ちたのか。あるいはバロン西とウラヌス号、アスコツト号の話‐④

第三章「1936年 伯 林 ‐アスコツトの夢‐」


 アスコツト号は皇室より託された御馬(みま)である。

 同馬は宮内庁管轄の下総御料(しもふさごりょう)牧場で生産された栗毛のサラブレッドであった。
 御料牧場といえば、明治時代にかの内務卿・大久保利通によって開設された我が国初の皇室御用牧場である。
 西がロサンゼルスで金メダルを獲得したのと同じ1932年には、競馬競技において栄えある『第一回東京優駿競争(現在の日本ダービー)』の優勝馬・ワカタカ号を輩出し、名馬の生産地としても高い評価を得ていた。

 良血馬として期待されていたアスコツト号は、名伯楽・尾形景造(おがた・けいぞう)のもとで競走馬としてデビューし、『第五十三回目黒・帝室御賞典(のちのG1レース・天皇賞)』を含む33戦17勝の好成績を収める。

 引退後、アスコツト号には種牡馬入りの話もあったが、馬主の意向もあり皇室・東久邇宮(ひがしくにのみや)家へと献上された。 
 そして「これほどの名馬、宮家の乗馬で終らせず、我が国の馬術発展のために用いるがよろしい」と、特別の計らいにより陸軍騎兵学校へ下賜されたのだ。

 これらの経緯には、従順で物覚えがよく操縦性抜群なアスコツト号を、オリンピックに向け馬術界へ転進させようとする尾形の思惑があったとされる。

 その一方で、西は交流のあった皇族である竹田宮恒徳王(たけだのみや・つねよしおう)から、こんな話を聞かされていた。
 ベルリンへ発つ前、赤坂にある西の馴染み料亭で開かれた壮行会の席である。

「あの馬はね、西さん。あなたに乗ってもらうために贈られたんですよ」

「殿下、それは本当かい?」

 竹田宮殿下は陸軍騎兵第一連隊に所属する軍人であり、西の後輩だった。
 新任少尉として騎兵連隊にやってきた殿下に、馬術のイロハを教えたのは西である。それだけでなく、西は息抜きの仕方――ようするに夜遊びを教えたりもしていた。

 酒豪で知られる西は、士官学校時代から教官の目を盗んでは夜の街へ繰り出していたという伝説の持ち主である。
 そちらの方も鍛えてやるため、西は竹田宮殿下を連れ立って新橋や赤坂の料亭へと何度も足を運んだものだ。
 それ以来、二人の間では身分を越えた無礼講の付き合いが続いている。

「西さんには以前、ヨーロッパでファーレーズ号を買いつけてもらっていますからね」

 ファーレーズ号とは竹田宮殿下が所有する馬である。
 自分の馬を欲しがる殿下に頼まれて、西が欧州へ馬術留学したおりに、代わりに購入してきたのだ。西がウラヌス号と出会ったのもこの時であった。
 
「殿下、まさか貴方が……」

 ほほ笑む竹田宮殿下を見て、西は察する。
 ロサンゼルス大会をフランス産まれのウラヌス号で制して以降、西は次なる夢を抱いていた。
 それは国産馬によってオリンピックに勝利することである。

 馬術とはただ騎手の腕を競うだけでなく、優秀な馬を生産し、それを育てることにその真髄がある。
 馬術の本場・欧州を強豪たらしめているのは、中世より受け継がれた馬産文化にあると西は睨んでいた。
 欧州各国には、一頭の名馬を送り出すために何百、何千という優秀な馬を生産する力がある。国産馬でそれらと互角に渡り合うことは、日本が西欧列強と肩を並べるだけの国力を有しているという、またとない証明となるだろう。

 その目標のため、西はベルリン大会へ向けさらなる馬術の研鑽に励む一方で、事あるごとに「どこかにいい馬はいないものか」と口にしていた。
 おそらくその噂を聞きつけた竹田宮殿下が、縁者である東久邇宮稔彦王(ひがしくみのみや・なるひこおう)へ口添えしてくれたのだ。

「アスコツト号は国産馬の星です。いい馬はいい騎手が乗ってこそ輝く……これは西さんから教わった言葉ですよ」

 イタズラっぽい仕草で片目を瞑る竹田宮殿下の姿に、西はおのれの胸に熱くなるものを感じながら、こう応えた。

「ああ。その言葉が嘘じゃないことを、必ず証明してみせる」

 竹田宮殿下はひとつ頷くと、ふと真顔になる。

「西さんも、東京大会の噂はご存知でしょう?」

「……東京オリンピックか」

 東京市にオリンピックを招致する話が持ち上がっていることは、西の耳にも届いている。
 四年後にひかえた『紀元二千六百年』を記念する大行事として、次期オリンピックを日本で開催しようというのだ。もし実現すれば、日本だけでなくアジアでも初のオリンピックとなる。

「ベルリンの次が東京に決まれば、今度は地元開催です。そうなれば、ボクも出場しますよ」

「殿下が……? おいおい、宮様がオリンピック選手になるつもりかよ」

 これにはさしもの西も驚いた。だが、竹田宮殿下はいたって真面目な調子で続ける。

「馬術とは元は王候貴族のたしなみです。それに西さんだって爵位持ちの華族でしょう。ならば、今度は宮家のボクが馬術代表に選ばれても問題ないはずです」

 真剣に語る殿下に、西は半ば呆れつつも、無性に楽しさが込み上げてくるのを実感していた。
 西の抱いたひとつの夢によって、いま新たな夢が生まれようとしている。

「仮に殿下とメダルを争うことになっても、手心は加えてやらんぞ?」

「もちろんです。……その代わり、次はボクがアスコツト号に乗りますからね」

「なんだよ殿下。そいつが狙いかよ」

 二人で笑い合いながら、西はこれこそ近代オリンピックの父・クーベルタン男爵が唱えた〝オリンピズム(オリンピック精神)〟ではないかと思った。
 同じ夢を持つ者同士、互いに切磋琢磨し、競い合う。そこには国も身分も立場の違いもない。ただ純粋に力の限りを尽くしたその先に、得られる何かがきっとあるはずだ。
 それを見つけるためにも、再びメダルを手にしたい。
 感極まる想いを誤魔化すように、西はお猪口に充たされた熱燗をぐいっと一気に飲み干した。

     ***

 アスコツト号は優秀な馬であった。
 六歳で馬術に転向した同馬は、競技馬としてはまだ若い。
 ベルリン大会開催までの三年間、西は寝る間を惜しんでアスコツト号に馬術の基礎を教え込んだ。それを賢いこの馬は、まるで真綿が水を吸うようにみるみると覚えていった。
 新たな名馬との出会いに西は高揚し、夢が遠からず現実となることを信じて疑わなかった。

 そして――西とアスコツト号は、いま夢の舞台に立っている。
 1936年、8月14日。
 三日間に渡って開催される総合馬術競技の初日である。


※アスコツト(発音:アスコット)号の表記は、促音(っ・ッ)を用いることが許可されていなかった戦前の馬名登録に順じています。

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