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「トリケラトプスに触りたい 双子座でのんびり地球がみたい」


尊敬する人はと聞かれたら、


宮沢賢治と藤原基央と答えると思う。

(ずっと気にしている悩みがある。
敬称略って…敬称という言葉にならって宮沢賢治さんと藤原基央さんと書いたほうがいいだろうか?
なんだか存在していたのか?存在しているのか?あやふやに思ってしまうくらい仙人みたく思ってしまうくらいの存在に、「さん」って、友だちみたいな、上司みたいな呼び方をするほうがなんだかこそばゆく思ってしまうのは変だろうか?でもやっぱり「さん」はつけないと失礼だよな…)

専門学校の卒業論文は宮沢さんをテーマにして書いた。外語学校だったから、みんなが日本の文化や、歴史について話す中、私は宮沢さんがいかに素晴らしいか、どのくらい宮沢さんのことが好きかをずっと話した。若いってちょっと怖い。

今年は既に、liveに3回行った。広島と北海道と福岡に行った。全部BUMP OF CHICKENのliveだった。

誰しも、自分の考え方、思想の根底に存在している人がいるんじゃないかなと思う。

「そうそう、こう言いたかったの。これが言いたかったの」自分の考えを上手く言語化してくれる人。自分の不満に、予期せぬ場所からトドメを刺しにくる人。あぁ、自分はこういう人になりたかったんだと思い出させてくれる人。

子どもの頃、自分ばかりが何故こんなにイレギュラーな環境に身を置かなければならないんだと腐るまでいかなくても、発酵しそうなときが沢山あった。

実像の無い神様という存在に、散々振り回される人たちを身近で見ていたとき、自分もこうなっていくのかなと想像して怖くなっていたとき、BUMP OF CHICKENの曲の中に「飴玉の唄」という曲があるのを知った。
すごく貴重な飴を自分じゃなくて相手にあげる。それでいて、見えない、死なない神様には頼らず生きていく。そういう人が出てくる曲があった

アンパンマンみたいな人だと思った。きっと藤原さんの一部分もアンパンマンみたいなんだろうと想像して、1番好きなバンドはBUMP OF CHICKENになった。

宮沢さんの書いた話の中で、動物と植物と人間の病院が3つ並んでいる話がある。たしか、大きさや形が同じだった。普通にお話しているみたいなトーンで、「みんな同じだから」と言われているような気持ちになった。

多様性という言葉だけが取り沙汰されて、本当は多様性なんて1ミリも受け入れる気が無い社会が嫌だった。

でも宮沢さんの書いた本を読んで、沢山読んで私は
動物にも植物にも人間にも優しい人で在りたいと思うようになった。社会と向き合うきっかけをもらった。

「トリケラトプスに触りたい 双子座でのんびり地球がみたい」

藤原さんの作った曲を聞いていると、宮沢さんの作ったお話を読んでいると

こんな願いも叶うような気がしてくる。まるで魔法みたいだ。


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