その虚無が好きだった
Twitterがxという名前に変わってからどのくらい経つだろう。最近気がついたら、2週間、3週間過ぎていて内心焦る。
私は名前が好きだ。
その人や、物の、人ととなりを何となく言い当てているような気がするし、
やっぱり"やかん"は"やかん"って感じがするし、
ストーブがエアコンって名前だったら、私は今よりストーブのことを好きじゃない気がする。
それに慣れてるだけだよって言われたら、そうなのかもしれないけれど、やっぱりそれだけじゃない気もする。
昨今、キラキラネームという単語をよく聞くようになって、自分の名前に悩んだり、改名したりする人もいる。
私は滑舌が悪いので、おまけに声も小さいので、自分の本名を上手く言えた試しが無い。だから、改名する人に密着した特集を観たときに、「私もしたいな」って言ったら(当時は自分の名前を上手く発音できないことをかなり気にしていた)周りの人たちに全力でとめられた。
私はネーミングセンスが無いらしい…
ネーミングセンスの無いのに、名前が好きだなんてなんだか本末転倒で恥ずかしくなってくる
けど、私は名前の概念が好きだ。
何かに名前をつけて、その名前を呼ぶ。
その一連の行為が、人間らしくてとても可愛い。
自分で新しい名前をつけるのだって、自分から自分へのプレゼントという感じで素敵だ。
名前をつける、名前を呼ぶ。
慈愛に満ちている気がする。
私が蟻だったなら、私に名前は無かっただろう。
だから、Twitterがxに変わるとなったとき、私は反抗した。アップロードボタンを頑なに押さなかったし、毎日アイコンが青い鳥のままでありますようにと願いながら眠った。ただ、名前が変わるだけ、名称が変わるだけ。そんな筈がない。
何か大変なことが起こるときほど、何とも無いフリをするのが偉い大人だということを知っている。
1度渡されたプレゼントを剥奪されて、「はい、これどうぞ」ってやり直しを強要される。そんな酷い話があるだろうか?
Twitterがもしも私の友だちだったなら、
私は結構キレていた。
結局、青から黒は突然にやってきたし、
「もうTwitterじゃないでしょ、xでしょ(半笑い)」のムーブが世間を包んだ。
実際、Twitterとxで何が変わったのか
流れている噂の何が本当で、何が嘘なのか、知りようもないし、あまり興味も無い。
けど、私の中でTwitterはTwitterじゃなくなった。
薄暗さが足りないなー、
もう、さよならって感じだな…
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