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4回目の沖縄はご縁に感謝の旅だった③

沖縄の旅の記事の続きです。


滞在地、主な周った場所はこちら。


大満足『おばあのお店』で至極のひと時


沖縄最後の夜。
Googleで検索した歩いて5分の沖縄料理の店
『東迎おばぁの沖縄料理とお酒 白蕗』(050-5485-8962)へ。

地下にある、5人ぐらいのこぢんまりとしたカウンターと4人がけのテーブル席が2つぐらいの小さなお店。予約していくのがベストな感じ。
お店の前にたどり着くも(準備中)となっていたので、電話して急遽予約して入りました。(ちなみに、営業時間になっていたのに、(準備中)を外し忘れていたみたい(笑)

『お一人様』なのでカウンターに案内されるも、すでに先客あり。
見た感じ、60代のおじさんの隣へ通される。

おすすめは、沖縄セット(2000円)

沖縄料理を網羅して2000円はリーズナブル


ジーマミー豆腐は大好物!


ラフテーはとろっととろ

せっかくなので、泡盛を。
最初は残波白の水割り。

フルーティーで飲みやすい


2杯目は残波の黒の水割りを。

白よりも度数高めのしっかりとした味わい



泡盛ってクセの強いお酒というイメージを持つ人がいるかもしれないけれど、最近は結構飲みやすいものも多いらしい。

実際、ちょっと甘みがあっと、スーッと入っていく感じ。

ただ、白と黒を飲み比べても、はっきり言って『私のバカ舌』では違いはわかりまんでしたけどね(苦笑)

人の良さそうなマスターらしき人物が、
「おばあは本日通院のためお休みしております。代わりに弟子が料理をお出しします。よろしくお願いします」
と、珍しく沖縄訛りのないご挨拶。(振り返ってみると、アパホテルとこの弟子マスター以外、全て心地よい沖縄沖縄訛りにどっぷりと浸っていた)

お通しをつまみながら、ちびちびと残波を口にしていると、

「今日はどちらから?」
とお隣のおじさんが話しかけてきました。

北海道からです。

「えーっ!北海道から!!それは随分遠くから!!!
よく来られるのですか?お仕事ですか?」

息子の卒業式できました。

「卒業式ですか!うちも子供が5人いて、一番したは今大学生なんですよ」

というやりとりから、意気投合。

おじさんは、私より3つ年上の外科医さんで、学会で沖縄に来ていらっしゃったみたいで。

私より先にいらっしていたこの外科医の先生は、実にスマートな方で、聞き上手でインタビュー上手。

人見知りの私でも、ついつい心を開いて話してしまうほど、会話が盛り上がります。

私がサッカーをしているということで、サッカー談義から始まり、家族のことや、運動における軸の作りた・重心移動のこと(外科医の先生は剣道をされているらしい)など気持ちよく1時間ほど会話を楽しみました。

まさか、知らない土地で見知らぬ方と、意気投合して盃を酌み交わすなんて夢にも思わない奇跡。

お会計もリーズナブル。
ほろ酔いで気持ちよくホテルに帰ることができました。

最終日朝散歩は波上宮へ

翌日、最終日。
最初の訪問地は、ホテルから歩いて15分ほどのところにある
琉球八社の第一位、沖縄総鎮守の波上宮。(なみのうえぐう)

まさに波の上にある『波上宮』

波上宮(なみのうえぐう)は、沖縄県那覇市にある神社近代社格制度では官幣小社に列格され、現在では神社本庁別表神社に指定されている。
波上宮所在地沖縄県那覇市若狭一丁目25番11号位置
那覇港を望む高台の上に位置し、「なんみんさん」「ナンミン」として親しまれてきた。琉球八社の一つで、全国一の宮会より琉球国新一の宮に認定されている。年間を通し多くの参拝客で賑わうが、季節毎に行事があり、なかでも5月17日の例大祭に合わせて開かれる「なんみん祭」は、多数の催し物でとくに賑わう[1]
『日本の神々 -神社と聖地- 13 南西諸島』では、主祭神からも分かるように熊野信仰の系列に連なっており、また琉球王国の総鎮守であると述べている。現在も沖縄総鎮守として信仰されている。


主祭神
伊弉冊尊 (いざなみのみこと)
速玉男尊 (はやたまをのみこと) 左神座
事解男尊 (ことさかをのみこと) 右神座

ウィキペディアより

気持ちよく4時過ぎには目覚め、朝風呂をいただく贅沢な朝。
しかし、5時を過ぎても外は一向に明るくなる気配がない。

そう、ここは沖縄。北海道の日の出より1時間近く遅い。もうほとんど時差1時間。外国です(笑)

日の出の6時30分を目安にホテルを徒歩で出発。

15分ほどで、波上宮に到着。


波上宮の下にある『波上ビーチ』では5、6人の2グループがそれぞれラジオ体操してました

裏側の砂浜から、階段を上がって、波上宮に向かうと、神社の方々なのか
ボランティアの方々なのか。
大勢で境内やその付近を吐き清めている方がに遭遇。

一の鳥居を潜って、拝殿へ。

一の鳥居 平成2年改築


二の鳥居 ランニングがてらの日課なのか、地元民らしき方が、早朝からひっきりなしに参拝してました



手水舎には龍が。ついつい見惚れてしまいます


シーサはどこだ?あっとり忘れてた(汗)


沖縄の民家やあちらこちらで守神として鎮座していたシーサ。



左右に鎮座していました


龍の隣の生き物はなんだろう?

波上宮は沖縄戦により鳥居以外はほぼ焼失したそうですが、昭和28年に本殿を再建。拝殿・本殿は平成5年に竣工されたそうです。

波上宮のシーサーをはじめ、いろいろと撮り忘れていたので、こちらのページから画像をお借りしました。
シーサーをはじめ、沖縄がわらのことなど大変詳しく説明されてます。
波上宮にいく前に読んでおけばよかったです汗。


沖縄戦の被害の重さをひしひしと感じた対馬丸関連

車と違って、徒歩だとゆっくりと街の雰囲気を味わうことができるのが醍醐味。お散歩中に偶然、見かけたのがこちら『対馬丸記念館』

太平洋戦争中、沖縄の民間人や子どもたちが多数犠牲となった「対馬丸撃沈事件」に関するこの記念館は、那覇空港からほど近い「波の上市民ビーチ」の側に静かにたたずみ、2階建ての建物は対馬丸への乗船をイメージさせる構造となっている。
「対馬丸記念館」は「子どもと戦争」に焦点をあてた展示を行っているのが特徴的。館内では事件の全容を学び、犠牲者の氏名、生存者や遺族の証言、当時の学校教室や船内の復元、犠牲者の遺影・遺品を見ることが出来る。また、対馬丸記念館公式ガイドブックも発行され、その他の戦争資料が見られる図書室も完備。
記念館の建つ那覇市旭ヶ丘公園には、対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」がある。

那覇市観光資源データベースより

第二次世界大戦末期の1944年8月、沖縄から長崎に航行中にアメリカ軍の魚雷によって学童疎開戦対馬丸に乗船していた疎開学童、引率教員、一般疎開者、兵員ら1,788人のうち、疎開学童784人を含む1,484人が死亡した惨事(2018年8月22日現在氏名判明分)後世に伝える記念館でした。(開館時間9時のため見学はできず)

戦争はいまだになくならないし、戦争にはいつも『正義』が掲げられます。
『勝利』を求めた先に果たして何が残ったのでしょうか。

時間が経つと人は痛みを忘れます。
同じ過ちを繰り返さないために、私たちは歴史を学びます。

今このタイミングで、対馬丸記念館に出会ったのは、教員である私がしっかりと伝える役割を担ったのだと理解しています。

慰霊の公園 戦没新聞人の碑

波上宮からの帰り道、何かの慰霊碑を発見。


沖縄戦で亡くなった新聞記者ら14名祀った碑



波上宮からホテルまでの帰り道に通った旭ヶ丘公園は、慰霊の公園でもあった

慰霊の公園 海鳴りの像

撃沈された沖縄戦時遭難船の犠牲者1927人を祀っている慰霊碑(対馬丸を除く)


ぶらりと歩いた公園で、改めて沖縄が激戦地であったこと。
民間人多数犠牲になった地であることを改めて実感させられました。


このあとホテルに戻り、8時にはチェックアウト。

13時までにはレンタカーを返却の予定。

いよいよ、最後のひとまわり。
斎場御嶽(せーふぁーうたき)と沖縄ワールドを目指します。(時間があったら、ひめゆり平和祈念資料館)

長くなったので、続きは次回へ!

☘️最後まで読んでいただきありがとうございました。
☘️素敵なご縁に感謝です。
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