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やりたいことリスト100は、本当は今すぐ叶えられるのかもしれない

毎年のように「やりたいことリスト100」を作っていた。といってもそんなに大層なものではなく、自分がいつか叶えたい大小さまざまの願いを自由に100個リストアップするだけ。

To-doリストやタスク管理表のように「しなければならないこと」の羅列ではなく、「叶ったらうれしい願い」を書いていく。書いている途中は思いっきり楽しい未来に思いを馳せることができて、ポジティブな気持ちになれる。

去年のやりたいことリスト100、叶ったのは2割ほど……

去年はほぼ日手帳を使っていた。ほぼ日weeksの巻末付録には「My 100」というページがあって、自由にテーマを設定して100項目を書き込むことができる。このページをやりたいことリストに当てていた。

2023年はなにを書いていたかな、と先日読み返してみたが、叶っていたのは2割程度。なかには書いたことすら忘れていた願いもたくさんあった。それって本当に願っていたのかな……と、去年の自分へ軽く不信感を抱く。

未来への希望に気持ちがはやっていたのか、お気に入りのブラウンのボールペンで書いた一年前の自分の文字はところどころ崩れていて読みづらく、手帳を走っているようだった。

バラバラに見える願いにも、共通点があった?

しばらく眺めていると、ふとあることに気がついた。「もしかして、これってぜんぶ同じようなことを願っていたのかも……」

もちろん、やりたいことは一個も重複しないように書いている。けれどひとつひとつの願いを抽象化してみると、根っこの部分は共通しているということに気がついた。

たとえばこんな願い。

・掃除機を新調する
・服を整理してきれいに収納する
・いつか素敵な一軒家に住みたい

抽象化すると、「居心地の良い家で楽しく二人暮らしをしたい」という根っこが現れる。

・プールで泳ぐ
・アーユルヴェーダのスパに行く
・高品質のマットレスを買う
・ブルーライトカットメガネを買う
・漢方内科で診てもらう

これなら、「自分の身体をメンテナンスして大切にしたい、癒やしたい」が本当の願いだ。

・クリスマスリースを飾る
・紫陽花を見に行く
・蛍狩りに行く

これはたぶん「季節感を大事にして暮らしたい」という願い。

・恐竜の化石を見に行く
・ミュージカル観劇
・トルコ語を始める
・ジブリパークに行く 

これも思い返せばリストアップしているそのものに強烈な興味があったというわけではなく、「新しいことに触れて好奇心を満たしたい」という願いが根底にある。

そして考えた。1年や一生をかけてそのかたち・・・・・で叶えようとするのではなくて、本質的に・・・・だったら。願いの根っこの部分なら、今すぐ叶えることができるのかも……!

本質的になら、今すぐ叶えられる!

同時に、「願いを叶えるためにはお金や時間がいる」「今の自分のままでは叶えられない。ちがう自分にならないとできない」と思い込んでいたことにも気がついた。だったら思いっきりハードルを下げて、抽象化した本当の願いを今すぐ叶えてみよう。

「自分の身体をメンテナンスして大切にしたい、癒やしたい」なら?
家にあるハーブティーを丁寧に淹れて飲み、くつろぐ
・近所のスーパーでいい香りのバスミルクを買ってゆっくりお風呂に入る
・Youtubeで癒やしのストレッチを見つけて実際にやってみる
「季節感を大事にして暮らしたい」なら?
帰り道に咲いている花に目を向けてみる
・スーパーで旬の野菜を選んで買って、料理してみる
「新しいことに触れて好奇心を満たしたい」なら?
休日に知らない街を散策してみる
・友達のはまってることについて、詳しく聞いてみる

これなら今日にでもできそう! 願いを叶えるのって実は簡単なことなのかもしれないと思えてきた。

替えが効かないのは結局「人」

ただ、抽象化しようとしても上手くできない願いもやっぱりある。たとえば「歌手の◯◯のライブに行きたい」、「◯◯さんの書いた本が読みたい」、「親戚の◯◯と一緒にごはんを食べたい」、そういった願いが自分にとっては抽象化できないものだった。

やっぱり「人」は替えが効かない。そして替えが効かないからこそ、たぶん叶えられそうなときに早めに叶えたほうがいい。

「引退した◯◯のライブに行きたい」とか「亡くなった親戚とごはんが食べたい」になってしまうと、もうそれは決して叶わない。仮定法でしか表せない願いになってしまうのだ。

推し活に励む友人たちが口にする「推しは推せるときに推せ」という言葉の意味が、わかったような気がする。

やりたいことが頭に浮かんだときは、これからも今すぐ叶えられないか考えてみることにしよう。

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