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私のアーユルヴェーダ的部屋のアトリエ化計画

昔からファンタジーが好きで、ダンジョン攻略するヒーローよりも、
魔術師や書架にいる賢者とかが好きだった。
なので知の宝庫のような、天井まで繋がる壁一面の書棚というものにことのほか憧れがある。

さて、今回息子の独り立ちで一部屋空いたので
自分のアトリエ兼寝室にしようと画策している。
いつでも帰って来れるように、部屋をそのままにしておかないのが、私らしくて良い。

部屋を片付けるという事は、物を捨てるという事でもある。

「断捨離」という言葉も慣れ親しんできた昨今。
そもそも「断捨離」とは、ヨーガ指導者の沖正弘氏が提唱したヨーガ思想らしい。
断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
離:物への執着から離れる。

一般的に「捨」ができれば断捨離完了みたいな風潮だが、
本当は、「断」と「離」が重要なのだろう。
何故なら、「断」と「離」には、人間の欲と長い間かけて構築されてきた価値観が大きく関わっているものだから、
なかなか簡単には断ったり離れたり出来るものではない。
なので、物にあふれて暮らす事を肯定的に捉えていく人達も一定数出てくる。

多くが片付けられない何かしらの器質的、精神的障害を持つゴミ屋敷の方々や、
ゴミ屋敷のようになってるアトリエで制作するアーティストなどがその人達にあたる。

彼らは、それをゴミと称しない。
自分があるべき姿でいるための必要な要素として考え、
自分にとってかけがえのない大切な物だと言う。
物への執着が命綱、生き様となっているのだろう。

だから好きにすれば良いのである。
近隣からの苦情と偏見の目と動線のない部屋とセットで過ごすのも、
ゴミ屋敷の住人らとっては想定内なのであるのだから。
それぞれの尊厳は大切にしてあげようと思う。
病気にならない程度に、彼らにとっては大切なモノと共生すれば良い。

そんな事はともかく、片付けである。
今回の部屋の改造計画で、とにかく物を減らそうと。
いわゆる「捨」だけはまず徹底してやってみようと思ったわけだ。
家中の収納部分をひっくり返して中身を出し、1年以上使わなかったものは、どんなに素敵な物に見えても捨てる。
「離」との戦いである。
欲深い自分と向き合いながら、身を切るように手離す。
考える、手離す、考える、手離す。
不思議な事に、その苦しみを繰り返していくうちに考える時間が短くなり、何でもかんでも捨てられるようになっていくのだ。
「離」が自分の中に発生したのを感じる。
まるで便秘が解消した時のお腹の具合のように、
ムカムカしてる時我慢せず嘔吐し終わった時のように、
皮膚の下に刺さってて見えない棘が取れた時のように、
体の中の汚物を吐き出せたような、
アーユルヴェーダ感が半端ない状態となったのだ。
こんなにスッキリするならば、もうこれ以上物は増やしたくない。
「断」の意識の発生である。
断捨離ってすごい。

そして、先週は選別された物たちを収納するための
本棚ラックを4台作った。
これからは、これ以上増やさないための修行が始まるのである。

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