稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――22回

前回はこちらです。ちょっと修正。


22. 稲田ぬきの演劇、新しい交際

 さて、随分久しぶりの更新となってしまった。何しろ、憧れのアーティストのネトウヨ化に衝撃を受けたり色々あって、稲田どころではなかった。彼女の家に夕飯を食べに行っていた彼氏が彼女一家にコロナ感染させたというニュースを聞いたときに、ああ、稲田と付き合ってる頃だったらうちもそうなっていたかもなーなんて考えた位である。まあ、流石に私も、持病持ちだし、今は無理だよ……と断る勇気はあったはずだと思いたいが。

 ともかく、私は稲田とちゃんと別れたつもりであったし、稲田も一応、やり直そう!とかそんなみっともない連絡をとってきたりすることはなかった。気まずい機会は時々あって、例えばサークルの冬の本公演で、四年生の私はとある公演日の受付を引き受けたのだが、ダブルキャストなどで大変だった時のOさんも受付を担当しており、彼女に「稲田さん元気ですか?」と訊かれた時はその一つだ。私は、稲田との交際期間中でも私の顔を見て「稲田さん元気?」と訊かれるのを不快に思っていたから、別れたというのにまだ訊かれることに頭に血でも上ったのだろう。「え、私、稲田さんと別れたから知らないよ?!」的な、結構噛みつくような受け答えをしてしまったらしく、Oさんは少し困ったように「いえ、知ってますけど…」という感じだった。彼女にしてみれば、別れたからといって、嫌い合っていると思わなかっただけで、友人として交流が続いていると考えていたのかも知れないし、実際のところ、私も友人としてやっていければという甘い考えを持ってはいたはずなのだが、兎に角自分と稲田と結び付けられることにアレルギー反応があった。
 さて、そんなこんなだったが、その年は確かゴーゴリ特集かなにかだったと思うのだが、私も一度は観劇に回った。そして、そこでとある新人の後輩が目に留まった――彼女は、とても印象深い子だった。演技の才能があったのだと思う。実際、その子は今は働きながら役者もしているらしく、心底から演技が好きな子だったのである。同時に、私は、卒業してしまう前に、最後に自分が牽引して、自分が好きなようなささやかな卒業公演をやりたいという欲望がむくむくと沸き上がってきていた――まさかそれが、3.11に直面するなどとは予想もしていなかったが、その子を見ていて、私はなんだかすごく創造意欲が活気づくのを感じていた。詳細は省くが、なんやかんやあって、私は卒業公演をやりたいということを同期や後輩たちに伝え、主演をその子に直接頼み、無事にOKを貰えたのだ。かなり強引だったが、彼女も私がやりたいという内容に強い興味を示してくれた。幸いだったのは、彼女が私の家の滅茶苦茶近くに住んでいたという点で、個人的に練習することが可能だったことだ。兎に角、時間がない中で、どうにかこうにか公演の準備を進めていった。余裕は全然なかった。そこに、3.11の打撃だ。公演をやめるべきか、続けるべきか……放射能はどうだろう。分からない。だが、どうしてもやりたかった私の中にはやめるという選択肢はなく、ただ、誰かやめたい人がいれば抜けてもらうしかないかと思い、結果的に公演ができなくなる覚悟もしたが、誰もやめたいとはいわなかったので、練習は続けることになった。
 そんな中で、稲田と連絡をとる機会があった――複数あったのか、一度しかなかったのかはもう忘れてしまった。兎に角、稲田は、私が公演の舵を切っていることを一応応援してくれている様子で、色々と書いたメールを送ってきたから、私は隠すこともないので色々と答えていたと記憶しているのだが、稲田は、自分ができることがあれば手伝いたいと言ってきた。お得意の、頼られたい特性の発揮である。前からそうなのだが、稲田は一見人助けが好きで、力になることを厭わないように見えるので、そのせいで稲田が特別優しい人に思えてしまうのである。実際は、自分が良い人に思われたいとか、何か評価が上がるとか、そういった結果がついてくる場合限定なのだが……兎に角、この時の私はそういう稲田の性格を警戒したのではなく、また「ああ、なんとか私に影響力を持っていたいんだ」という気配を感じ取ると同時に、この公演を稲田と無関係にやり遂げることで、稲田を自分から本当に切り離せるという直感もあったのだろう――はっきりと、失礼ではないように心がけてだが、彼の助力を断った。正直なところ、参加者を纏めるのは楽ではなく、苦しい所もあったのは事実だ。しかし、もしここで、ほんの少しでも彼の手を掴んだら、すべては水の泡だと私は感じていた。彼は私に成り代わるだろうし、七年もサークルで最前線にいた場数を生かして、私の不慣れや不手際を浮彫にして、自分が素晴らしい演出の先輩であるのだと確認する場にしてしまうのだろうと、薄らイメージしてさえいたかも知れない。兎に角、絶対に力を借りるのは嫌だったのだ。
 すると、彼は突然、態度を変えたのだ。秋の空以上に変わりやすいのは、乙女心()とかいうあるのかないのか分からない代物ではなく、モラのご機嫌である。実をいうと、後々にネトゲで関わったモラっけたっぷりの中年男性も、此方があちらの親切を断ると突然態度を変えたということがあったので、多分モラあるある現象である。
 一般論は兎も角、彼がどのように態度を変えたのかというと、飽くまでもメールだから、突然鬼の表情になったとかそういうのではない。突然、先ほどまで「手助けしたい」と、まるで応援でもしている素振りであった彼は、こう言い出したのだ。
「本当は、N先生(ベラルーシ出身、チェルノブイリを知っている芸術顧問の先生)が、ソラリスに公演をやらないように言ってくれって頼んできたんだ。だからメールした」と、まあ、そんなようなことだ。私は唖然としたし、また、「私のやりたいことはいつも誰にも望まれていない!」の絶望の響きを聞いたし、悲しかったし、当惑したし、まあ、兎に角、そこでどう返事をしたのかは忘れてしまった。突然そんなことを言えばショックを与えることを、稲田が予想していなかったとは思えない――彼が、N先生への義理も、私への礼儀も通すのならば、話をさんざん聞いて手伝いたいとかいって油断させた後にそんなことを突き付けるはずはない。最初から用件を言うべきだったのだ。ところが、稲田は、彼の手を借りない、つまり彼への従属を徹底的に拒む私への憎悪をぶつける手札として、N先生という後ろ盾をとっておいたのである。なんという卑怯者だろう。書いていて腹が立ってきたので、実名と実家の場所でも晒し上げたいくらいだが、理性があるし、訴えられたら困るので我慢する。
 ともかく、稲田とはここで激しく喧嘩したわけではないのは確かだ。何しろ、彼は結局公演を見に来てはくれたのだから。

 さて、ここでもう一つある出来事に触れなければならない。
 この頃の少し前くらいだったと思う。劇団から私に、ある人からソラリスさんと昔の知り合いなので連絡をとってほしいということを頼まれたというメールがあった。その人の名前には、確かに心当たりがあった。私が、K県に住んでいた頃の幼馴染だ。K県であることとは関係ないが、彼の名前のイニシャルをとってK君と呼ぶことにする。で、そのK君もアマチュアで演劇をやっていたりするそうで、何かのきっかけでネット上の公演広告かなにかを見て、私の名前を見て、嬉しくて連絡したということだった。とはいえ、K君とは多少仲が良かった気はするが、深い付き合いがあったわけではないし、私は当時住んでいたK県のK市(Kばっかりだ今気づいたけど!)が大嫌いだったので、引っ越し&転校を経験しているが、もう東京に引っ越すのはウキウキで、K県には一ミリの未練もなかった。お別れ会みたいなのからも、そこそこに急いで引き上げた程である。冷たい?結構である。しかし、K君にはここにわざわざ書きたいほど嫌な思い出はない。
 それで、折角なので彼とは会ってみることになった。それで、まあ、一月だったか二月だったかもう忘れてしまったが、彼とは一年間お付き合いをすることになる。いや、そうはならんだろぉおお!というほどの展開ではなく、要は、「実は初恋の相手だった」と言われて、彼がなかなかイケメンで紳士だったのでちょっとクラッときたし、激しい恋心を感じたわけではないのだけれど、稲田とは全く異なって堅実そうな人柄に、こういう人を愛せればきっと心穏やかで幸福であろう、付き合ってみれば好きになるだろう……と思ってしまったし、実際、悪くはなかったのだ。ただ、後々感じたことは、私は恋愛を持続するのに消耗が激しく、よっっぽど強い愛情を抱いていないと、しょっちゅう会うとかこまめに連絡するとかそういうのがきつく、そこまでは燃え上がらない感じになってしまったので一年ほどでお別れになったのだが、円満のお別れである。彼は全くモラハラ系ではなかったし、今となっては彼にちょっと申し訳なかった気はしているけれど、本当に良い人だったと思っている。
 それでまあ、この時点で付き合っていたかどうかはもう忘れてしまったのだが(多分、まだだったと思うが……)、結局彼には公演に来てもらったので、数少ない観劇者の中に、元彼・次の彼が同席してしまう状態にはなったのだが、お互い知り合いではないし、別に三者で話すこともなかったので、特にトラブルもなかった。トラブルがあったのは、もう少し後の、5月のことである。そのトラブルに、K君は直接巻き込まれていないが、そのことは次の回で書こうと思う。
 とにかく、なんやかんやで公演は無事に終わり、参加してくれた人たちのお陰で、私はずっとやりたかったことをやり遂げられたのである。それにはもう感謝しかない。
 感動していた私だったが、稲田とは終演後すぐに役者挨拶とか色々ある中で言葉を交わした。私は、この期に及んで自分も馬鹿だったと認めるしかない――先輩であり、3年もぶつかり合った男だ。彼から受けた影響だってないわけではない。演出のノウハウだって、多少は学んだはずだ。だから、彼になにか、肯定的な感想を言ってほしいという期待が少なからずあった……が、稲田は、労いの言葉を口にしたのと、他には「感想は、今度言うよ」と言っただけであった。

 その「今度」は、もう2度と訪れなかったのである。代わりに訪れたのは、稲田にとっての「本当の別れ」なのだが、次はそのことを書こうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?