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リズムを失った人類

There is no movement without rhythm.
イノチのリズムを取り戻せ。

いま全人類が一同に失ったものがなにかといわれれば、

わたしは「リズム」だとおもう。

「生活リズム」的なイメージがもっともわかりやすいが・・コトはもっと深刻だ。

曜日がわからない人が続出。
各種儀式、行事、イベントも中止や延期。
祭りもない、花火もない。

日本には、たとえば神道では、「ハレ」と「ケ」というリズムがあった。
ハレの日にむけて、ケを過ごす。

ハレがマツリゴトである。
ハレノヒ、ハレギ、ハレ舞台。
ケは、捧げるもの。世のため人のために働き奉仕する時間。ハレの日に美味しいものをたべ酒をのみ歌い踊るために、ケの日々は慎ましく過ごし、頑張るのだ。
ケを過ごす氣が失われてしまうことを、ケガレ、氣枯れ、穢れともいう。

村の神社を中心に、そんなハレとケのリズムがその土地土地にあり、生活にメリハリがあった。

それがすっかり、失われてしまっている。

まぁそれでも、
日は昇りまた沈み、
月は欠けまた満ちる。
地軸の傾きによって四季がかわるのだが。

コロナ騒動でわたしたちは、
奇妙な社会的リズムにに乗せられコントロールされていたことに気づけた。

それらをとっぱらい、
人間本来のあるべきリズムを取り戻していくこと、への大チャンスでもあるのだ。

後発的宗教的儀式ではなく、それよりももっと古い、農耕における1日、1年、
もっと突き詰めれば、つまり、この星の、そして大宇宙のリズムによって、わたしたちは生かされているのだ。

もとの、コントロール目的で課せられた不自然なリズムにまた戻らないためにも、

それに気づいた人が、すこしづく、ゆるやかに、本来のリズムを取りもどしていくことが、
大切なんじゃなかろうか。

自分か心地よいリズムって、どんなだろう。
そしてそれは、ナゼだろう。
いまこそ、それを突き詰める必要あり。

※きのうのオンライン飲みでの気づき。
「Rhythm」って母音がないよ。
ほんとだー!ふしぎなことば。
主軸となる母音がない分、生活のすみずみにいたるまで、リズムは必要なのだろうな、という解釈をした。

問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部でありたいと思っています。