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無機物と有機体の狭間で設計する

先日、金子勉建築設計事務所の金子勉さんが手掛けた住宅が完成したとの事で、見学に伺ってきました。

昨年には金子さんの自邸にも訪れて、色々とお話したり、今回実際に手掛けられた建物を見学させて頂いて、構造や温熱はもちろん金子さんの建築に対する姿勢、哲学などを感じられたので、頑張って言語化してみる記事になっています。

それでは、どうぞ!
(写真の掲載は金子さんより許可を頂いております)


建築仕様、概要

金子さんのHPから転載します。

越後曽根の平屋

  • 木造平屋建て住宅

  • 延べ床面積:98.54㎡(29.80坪)

  • 耐震性能:耐震等級3(許容応力度計算による)

  • 断熱性能:断熱等級7(平均熱貫流率Ua値=0.25W/㎡K)

  • 空調方式:床下エアコン空調(暖房用)+壁掛けエアコン空調(冷房用)+第1種熱交換換気扇

  • 長期優良住宅認定取得

耐震性能、断熱性能は共に国内トップクラスの仕様で、更に長期優良住宅の認定も取得されています。

設計において考えたことに関しては、是非金子さんの言葉で綴られているので、HPでご覧ください。

敷地にそっと置かれたような佇まい

南側から
(外観を撮り忘れ、HPから拝借しました)

最初に感じたのは、まるでその敷地にそっと置かれたような建築だな、と思いました。
その要因としては
①ボリューム:建物の高さが低い
…そもそも平屋建てという事もあります。
写真の掃き出し窓の高さが規格サイズの約2.2mですから、それを起点に高さが設定されています。窓の高さに合わせて、梁の高さも決めているという事ですね。

②色味:周囲に馴染む素材を選定している
…杉板にウッドロングエコ塗布仕上げ。
杉板は素地のままならTHE・木という表情、色味をしていますが、外壁に用いると経年変化でどんどん色が抜けてきて、数年でシルバーグレーになります。
無塗装でその変化を楽しむのもアリですが、この建物では新築当初から築数年後のような佇まいを醸し出しています。
また、立地環境の観点としても周囲の建物も昔ながらの杉板が残る地域でもあり、余計に違和感を感じません。

③ノイズレス:構成要素が少ない
…極力必要のない部材を引き算して、非常に少ない要素で構成しています。通常なら軒先に雨樋を設置しますが、ない。
破風板と呼ばれる軒先の板もありません。
外壁と基礎の見切りに土台水切りという部材が用いられますが、それも見えません。実は見えないだけで、下から覗くとちゃんと設置してあります。

上記の事から、重心が低く、落ち着いた佇まいの印象を受けます。

教えて頂いた住所にナビしながら向かったのですが、それがなければ見過ごしてしまう所でした。
そのくらい、いい意味で目立たない建築。

外と内の明暗が逆

玄関を入ると、窓のない薄暗い土間空間と廊下を抜け、居間スペース。

廊下から居間を眺める
南からの全面採光に加え、北側キッチンにも窓がある

居間の空間は天井も高く、南北の両面採光によりとても明るい印象を受けます。
『あえて玄関スペースは窓を設けず暗くして、気持ちをリセットさせる意図もあります』と金子さん。
確かに、外から入って一旦暗い空間を通る事でより開放感や明るさを感じました。
そして、外部で受けた「低く、落ち着いた」印象だったのに対して、内部は「高く、開放的な」という真逆の印象でした。
普通は外に出た時の方が開放的で、家の中に入った時には落ち着きを感じると思うのですが、全く逆の印象を受けたことで頭がやや混乱しました…

正直な所、こういった意図をこのように解説してしまうのは野暮なのですが(笑)
もし解説がなかったとしても、毎日玄関を通って建物を出入りする事で感じる事はあると思います。
金子さんは『人間の持つ五感全てで感じ取れるような、そんな建物を設計するように心掛けてます』と仰いましたが、この儀式のような、門のような、そんな外と内の境界として玄関が設計されている事が良く理解できます。

有機物を作り出す事への憧れ

これは今回の記事のメインテーマです。
この建物の見学を通じて一番強く感じたのは、金子さんは建物の中に【有機的な痕跡を残したい】というような思いがあるのではないか、という事です。

唯一無二、穴あき天板は無垢の一枚板

これは私自身が常々心掛けている事でもあるのですが、均一な物よりもムラがあるもの、例えば左官職人の手仕事が感じられる塗り壁だったり、元々は有機物であった無垢の木を多用する事。

キッチンカウンターをはじめ、至る所に木の表面をそのまま生かした無垢の板を多用

それは大部分が直線や直角や平らな面や正方形によって構成される建物の中に、せめて有機的な要素を入れる事でより自然な空間を作りたい、という想いから来ているような気がしています。

丸太の痕跡が分かるように加工された梁をあえて用いている

簡単に言うと、有機物を作りたいという願望。
でも、それは簡単には叶いませんし、制御や管理のしにくい物は時間も手間もかかりますから、現代社会では敬遠されがちな物事だと思っています。

お風呂はユニットバスではなく、ヒノキの壁とモルタル浴槽

とは言え我々人間も動物の中の1種でしかなく、地球に生きる単なる1種の有機集合体です。
山に行けば平らな地面などなく、斑に生えた植物に囲まれて鳥の声に耳を澄ませ、気持ちが落ち着くといった事もあります。
海に行けば絶えず寄せては返す波音と潮風を感じながら、穏やかな時間を過ごす事もあるでしょう。
それが全てではないのですが、そんな穏やかで特別な日常の風景を作りたい、そんな哲学や価値観を基に金子さんも設計に向き合っているのではないのかな、と勝手に共感しております。

無機的 vs 有機的ではなく、無機的 with 有機的

無機的と有機的。
厳密な定義ではないと思いますが、何となくイメージ共有できるように私なりに頑張って定義してみます。

無機的
・分かりやすく統合されている
・真っすぐや平ら、正方形や真四角、まん丸等の整形物
・硬い、固い、個体
・変化しない、静体
・人工的

有機的
・まとまりがなく分かりにくい
・でこぼこ、ふにゃふにゃ、不整物
・柔らかい、液体、気体
・常に動いている、動体
・自然的

あえて対比するように真逆な事柄を挙げましたが、重なる部分もあるかもしれません。人工的だけど柔らかい、とか逆もまた然り。それは一旦横に置いておいて…(笑)
私が感じる無機的と有機的な事象の大きな違いは、制御と管理がしやすいかどうか、だと捉えています。無機的はしやすい、有機的はしにくい。
とても人間中心的な捉え方ですね。

私たちが暮らす社会においては無機的な物、キレイに成形された物やカタチ等の数値が同じで管理しやすい物が好まれる、というのは皆さんも理解できると思います。
大量に生産しても、同じであればあるほど扱いやすいです。
逆に、農作物などは人間が制御できる範囲も限られますから、形がいびつな物や大きすぎたり小さすぎる農作物は農協やスーパーでは取り扱ってもらえない、という事は良く耳にしますよね。
これは社会的に管理しづらい、という事が大きい要因だと考えます。

これは建築にも全く同じ事が言えて、より無機的な方が社会として管理もしやすいし、作りやすい方が好まれるし、数値としてハッキリ表せる方が行政としても統計を取りまとめたりしやすい訳です。

制御のしやすさ、管理のしやすさという観点から見ると、現在の建築物の立ち位置は当然であると考えます。

どちらかというと自然的、有機的な方が好ましいという個人的な感情に基づいて書いていますが、一方でこれまでの人間の歴史は地球環境、自然との戦い、都度適応してきた歴史とも言えますよね。
自然の事象というのは人間の制御できる範疇を遥かに超えていますから、暖かで優しい時もあれば、冷たくも厳しい時も両方あります。

そんな中で生き残る為に我々人類は【建築】という手段を用いて来た訳です。
人類がなるべく穏やかに、外敵からも身を守り厳しい自然環境の中でも生存していけるように知恵を絞りながら、現代の我々へと営みを続けてきました。
そういった観点から言えば、制御不能な地球の自然環境の中で、せめて人間が制御できる範囲としての【建築】行為をするという事は生存戦略として当然の事ですよね。

ただ、ここ数十年の社会変化に伴い、より制御や管理のしやすさに重きを置くようになり過ぎてしまったのではないでしょうか。
その反動として、私や金子さんの様に有機的な物への回帰というような事象が起こっている。
そんな気がしています。

そして、本来ならば対立する事なく、無機的な物も有機的な物もバランスの取れている均衡状態。対立ではなく、共生のような関係性。
そんな理想を掲げて、精進していきたいものです。

おまけの考察

ここからは記事を書いていて感じた事なのですが、これって男性的と女性的、という物差しでも同じような捉え方が出来るかもしれないな、と感じました。
ジェンダーに関わる内容なので、あまり決めつけるような明言は避けたいですし、特定の誰かの事を示している訳でもありません。
あくまでも私が捉えている生物としてのオス的、メス的というお話なので、予めご了承下さい。
(オスとメスという言い方に変えたら人間の事っぽくなくて良いと思ったので、ここからそう呼びます笑)

上記に書いたように、無機的な概念と有機的な概念は
無機的=オス的
有機的=メス的
とも言えるような気がします。
生物の特徴としてオスは筋肉質で角ばっていて、メスは柔らかで丸みのある体つきをしています。(何度も言いますが例外は当然あります)
決定的な違いは、やはり子孫を生みだすという能力がメスにはある、という事です。
逆立ちしても子孫を生み出せないオスは、群れを率いるリーダーとして統制、管理しやすいという観点から権力を重視するようになったのかもしれません。
でも心のどこかでは、子孫(有機体)を生み出す事の出来るメスに対しての羨望や憧れがあるようにも思えます。

長らく日本の社会構造もオス優位的な社会と言われていますが、現代の縦割り行政機構なんかを見るといかにも統制、管理のしやすさを重視するオス的思考が元になっているように思えます。

どちらの方が良いとか、優れているとかいう話ではなくて、やはりこれもバランスとっていかないと上手く行かないのは当然だな、と思うに至った訳です。

後半は思いもよらない内容になってしまいましたが(笑)それも見学会を開催し、きっかけを与えて下さった金子さんのお陰です。
改めて、お礼申し上げます。

それでは、また!

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