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イタリア:トリノ1(2023年4月)

やっとキプロスの旅行記を完成させたので、次の旅行記を作り始める前に、4月の連休で行った小旅行について書こうと思う(3回の予定)。

トリノは私がイタリアで仕事をするようになってから、よく訪れる町の一つであった。様々なイベントだけでなく、イタリアを代表する産業に関連する企業も多いため、北イタリアではミラノの次に重要な都市と言える。
2006年には冬季オリンピックも開催され、その名を知っている人も多いだろう。あの時もトリノに行ったが、懐かしい思い出である。

さて、今回のトリノ行きは、実に15年ぶりであった。しかも観光としては2回目。ほぼ毎年数回行っていたにもかかわらず、仕事なので、リンゴットなど、その仕事場の近くにしか行っていないのである。
なので、今回は中心地にホテルを取り、思う存分観光を楽しんだ。

サン・カルロ広場

マストドンティコ MASTODONTICO

これはイタリア語の形容詞で「巨人のような、巨大な」というような意味の言葉である。もちろん"enorme"など同意の言葉はあるが、私はトリノに行くと、いつもこの言葉が思い浮かぶ。なんだかとにかく全てが”バカでかい”のだ。
通りが広い、広場がでかい、建物がでかい。。。

サン・カルロ広場。サヴォイア家のエマヌエレ・フィリベルトの騎馬像。
ソルフェリーノ広場。こんな彫像がドカンドカンと各所にあるのも、トリノならでは。
トリノ市内を流れるイタリアで一番大きな川であるポー川。
ポー川対岸にあるグラン・マードレ・ディ・ディオ教会。

王家とフランス REALE E FRANCESE

こうやって幾つかのモニュメントを見るだけでも、トリノがちょっと他の有名なイタリアの街とは違うのが感じられるのではないだろうか。

夜のヴィットーリオ・ヴェネト広場。

トリノは元々11世紀ごろからフランスのブルゴーニュのあたりで勢力を持っていたサヴォイア家の支配下にあった町であった。しかし、このサヴォイア家がサルデーニャ王国の王位を持つことになったため、一時期はその王都の首都でもあった町である。

そんなわけで、他のイタリアの街にはあまりみられない、王家とフランスの影響が、建物や街づくりなどに反映されているのである。

夜のポー川。

しかし、実はトリノの歴史は古代ローマ時代にまで遡り、
町の中心地には遺跡まで残されている。

パラティーナ門。すぐ近くには古代ローマ劇場跡もある。

市場も大きい PORTA PALAZZO

パラティーナ門を抜けると、とても人で賑わってくる。
ポルタ・パラッツォの名で知られるヨーロッパで最も大きいと言われる市場があるのだ。

青空市場ではトマトの赤が眩しいくらい。
現在屋内市場となっている、「古時計の天蓋」という意味のアンティーカ・テットーイヤ・デルオロロージョ」(L'antica tettoia dell'orologio)
屋内市場のハムやサラミの専門店。
トリノ中央市場(Mercato Centrale)という洋品を扱う屋台が多かったこの建物は、2019年にリフォーム&再開発され、フードコートに。
様々なイタリア各地の料理などが揃うこのようなフードコートは、最近イタリア各地で見られる。

ビチェリン  BICERIN

お天気にも恵まれ、とにかく久しぶりにあちこち歩き回った。一休みには、もちろんトリノ名物のビチェリン!
「ビッキエリーノ」(bicchierino)という「小さなグラス」という意味の言葉のをトリノのあたりの方言であるが、何もかもが大きいトリノにおいて、唯一小さい名物とも言えるのが、このチョコレートとエスプレッソコーヒーをブレンドした飲み物の上に生クリームを入れたものである。

このドリンク誕生のお店で、オリジナルのクッキーと一緒に。

(続く)

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