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自分はそれでも「才能」を信じる。

ダーツ界隈である話題について、最近激論がなされていた。

「才能」「センス」は存在するのか。

才能なんてない、努力次第ですべてなんとかなる、という考えもある。

自分は、これは信じない。

才能は100%存在すると思っている。

なぜこう思ったかを話す前に

「才能」の定義についてコトバンクを調べてみた。

才能:物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」「才能教育」

(出典:コトバンク「才能」 URL:https://kotobank.jp/word/%E6%89%8D%E8%83%BD-508270

自分はこの説に近いかもしれない。ただ、定義がこうだから「才能」ってあるんだよと言いたいわけでもない。

なので、自分なりの考え方を書きます。

◆才能があると感じる自分なりの「根拠」

いきなりこんな質問をしてみたい。

「あなたは努力を積み重ねれば羽生結弦になれますか?イチローになれますか?明石家さんまになれますか?」と、または「彼らと同じ、またはそれに近いレベルの舞台で争うことができますか」と。

問われた方が「できない」理由を述べた時点で、自分はその人が

「才能の存在を否定しきってない」し、「才能はあると感じている」

と思う。

意地悪な質問で恐縮だが、自分は才能を単純にこう定義している。

「その分野で『結果』を出せる力」

自分はどんなに努力を重ねても「才能」がなければMLBやPDCの舞台には立てないと思っている。というかあの世界を「誰でも行ける」なんて思いたくないというのもある。

PDCでいえばファロン・シャーロックという女性ダーツプレイヤーが予想外の勝利を躍進を重ねてきたが、じゃあそれがほかの選手全員にできるかと信じれますか?と言われたら信じきれないのが本音だ。

◆それでも自分は「才能否定」は否定したくない

たとえば日本ハム・斎藤佑樹投手がMLBに行く「才能」があったか。そしてその「才能」はケガによって傷ついている。

この現状、日本のプロであるNPBにおいても結果を残せていない斎藤投手が、今後MLBに行く見込みが立つとは正直思えない。NPBで結果を残せるわけはない、と彼を「才能はない」と見捨てている人もいるくらいだ。

しかし、それでも斎藤投手は努力を重ねて、再びNPB一軍の舞台で「勝つ」べく励んでいる。

これを、100%「できる」「できない」と言い切れる人はこの世にいないとも思う。

先日亡くなられた球界の「知」である野村克也氏が仮に言ったとして、それが100%当たるとは限らない。

「才能」は人が見ててもわからないものだ、とも筆者は思う。

変な話、これがわかるんであれば「馬の才能」を見抜いて競馬解説者の井崎先生は競馬でトランプ並みに稼いでないとおかしいはずだ(笑)

そして、プロ野球選手になる、活躍するにあたって「何の才能が必要か」というのも明確に決まっているわけではない。

たとえば強豪・ソフトバンクの周東は足の速さ、甲斐は肩の強さで主力に肩を並べている。

◆努力しなければわからない。覚悟があるなら努力するしかない。そして努力はすべて無駄ではない。

結局努力しなければ才能はわからないし、努力してこそ才能を「舞台」で輝かせることができるのは否定しない。

トレーニングなしで結果は出ないのが通常で、そのトレーニングなどで差をつけていくのが才能だと自分は思う。

漫画「左ききのエレン」(著:かっぴー)があるが、そこに出てくる山下エレンは才能にあふれ、一方主人公の朝倉光一は「才能がない」。

https://cakes.mu/series/3659

(以下、多少ネタバレかも御免)

高校時代にその事実を突きつけられて、お互いの道が始まる。

しかし、朝倉は広告代理店でチームの中で自分の居場所を見つけ、エレンは逆に絵の才能だけで他のことはまるでできなかったが、周囲のサポートで支えられ、ほかの天才画家との出会いでさらに技巧を磨いていく

これらは「努力による結果」といえるのではないだろうか。

朝倉やエレンが自分が思い描いていた「結果」は、高校時代のそれとは、もしかしたら違ったかもしれない。

でも、それでも様々な状況を努力で乗り切った先に、それぞれのキャラクターなりの満足を得られたのではないだろうか、と思ったりもする。

現実も同じで、部活で全国に行けなくても、仕事で失敗を重ねても、努力したことに対してなんらかのものを「得ている」ものだと思っている。

サッカーの本田圭佑選手はブラジルワールドカップで結果が出なかったときに「これまでの自分の積み重ねを否定しないといけない」と語っていた。

でも、否定できる努力があるのはこれまでの努力があったからともいえ、じゃあ本田選手が努力しないとそもそも日本代表としてブラジルの地に足を踏み入れることもできない

ガンバユースを落第して、努力しなければ本田選手はJリーグの選手にすらなれないだろう。

なので、世に出る天才は当たり前のように「努力」しているものだと思う。

だから、才能がないからやめろ、才能がある奴だけがやれ、という考えはおろかだと思う。努力しなければ、才能があるかないかすらわからないじゃないか。

その「覚悟」があるなら、努力してその道を極めに行く以外の選択肢があるだろうか?

絶対に夢はかなうなんて言わないけど、それで夢がかなわなくても、きっと何かを得られると思うし、得られないならあきらめるまで、やり切ったらいいと思う。

才能なんてわかりにくいの極みみたいなものを神が作ったのは残酷かと思うかもしれないけど、仮にデータですべて「わかってしまう」社会が幸せかと考えるとそうも思えない。

世の中、わからないほうがいい、面白いと思えることがある。

だから努力は面白い。ココココ・・・

長くなったが、やっぱり

才能はある

と思う。

いじょ。



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