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阿蘇の五岳は東側より根子岳から高岳そして火口の有る中岳に烏帽子岳に往生岳からなります。こちらを全貌出来る大観峰と云うベストスポットからの眺望はまるで阿蘇の五岳は涅槃像に映り高い神秘性の姿は実証済みで信仰心さえ生まれそうです。霧など掛かると涅槃像がポッカリ宙に俯瞰する

グレタ トゥーンベリと云うスエーデンの少女が国連の環境問題にたいして強いメッセージを投じました。ある意味では神の声に感じながら大なり小なり的を得ているメッセージには間違い無いだろうとかんじていました。

さて人間は神では無いし益々その位置から遠ざかる選択を推進している。オリンピックにカジノにGDPにグローバリゼーションと株式投資などなど実態経済からかき離れたスロットルを全開にし加速している様に思うこの頃です

そこで私は豊かさって何だろう⁈に付いて考えて見る事にしました。それは世界史に残る2020年カオスと云う事態が起きました。そのカオスは政治経済や流通や文化芸術のあらゆる分野に打撃を与えました。

地球を俯瞰しながら覗き見ると小さく萎縮して行く地球に見えたり感じたりしました。

私はカルデラ盆地の閉鎖的な環境下で育ちましたがそれでも家の斜向いにある超絶な湧水は冷たくて特に夏の季節にはフルーツやジュースにとって最適化された温度の天然の冷蔵庫でした。夜になると「ホォーホォー」と鳴く「森の番人の梟」が住んでいて真夜中の鳴き声は幻想的でファンタジックだった事を今になって強く感じています



田舎に住む私は「リリリリリーン」と古ぼけたネジ巻きの赤い目覚まし時計で一日が始まります。長年愛用しているレトロタイプゼンマイ式は中々です。アナログな目覚まし時計の知らせには波長が合い素直に反応出来ます

夢から目を覚ました私は小さな窓を開けるとレースのカーテンが初夏の爽やかな風で揺れている。ジャスミンの香りを包み込むように旬を運んで来てくれた

その香りや小鳥達の鳴き声に魅了され自然との共生が大切だなと改めて考える様になっている

時の流れと共にガラパゴス携帯からiPhoneデビューとなりそのタイミングにnoteも始めました。最初の頃は写真ファイルの事さえも...カチャカチャ...

その後だんだん成る程となって行きます。それは順序だてられ暗黙の説明を理解しながら失敗の連続でした。しかしその失敗を生かした逆の選択肢から栞に至りました

そうやって偶然に助けられ前進し徐々に慣れて行く日々を過ごしていると犬も歩けば棒に当たるとは言い得て妙なりと繋がりが限りなく楽しくなります

序でに欲張ってTwitterの古いアカウントに手付かずな状態があり幾度と為してみてもサッパリ解りませんでした。進路を妨げられ問題の解答が中々得られずの日々は頭を抱えこんで終いには放置したくなった時もありました。明らかにシステムが違う分野に意味があり議論し裏付けファイルを貼り付けたりした。

それは時には饒舌ぶったりして見ても相手は傷つくし同時に私も傷つきました。マナーの無い私は多少の問題を抱えながらも継続は一つの課題であり力なりを信じて続けています

私は未知の新しい世界にチャレンジし少しずつ疑問をクリアーにするとまた次の疑問が湧いてくるのを楽しんでい様です。更にそれぞれを自由にこなし自己研鑽を積みあげ社会的立場や世界的立場と話が大きくなったり又地域や身近な事の繊細なセンシティブな話題に視点を持つ大切さに気付かされたりします。時間や空間や自然環境や初夏の新樹の風や光など自然と共に生きている事を自覚して進みたいと想います 

先日SNSのフォローワーさんから真っ赤に熟した旬の苺の紹介がありそこに感動しました。勿論自然栽培の情熱を持って提供するエネルギーも重ねてその豊かさが伝わってきました


iPhoneが持つポテンシャルは限りなく広がり始まります。Windows95の記憶からすると計り知れない進化に驚きは隠せません。そのiPhoneの能力は概ね好評化の位置付けにある事を改めて私は想い知りました

自粛と云う言葉に対する違和感は最初からさほど無かった一人です。それは以前から無意識に自粛していた立場からすると一般論とは可なり乖離していた私でした


今は自粛から一歩進みたいと云う私と云う自分と僕と云う私。そしてnoteについて課題は自由と謙虚さに寛容をベースにしたいとおもいます

自分は現在の自分の私で僕は少し時代を遡る自分の私ですと云う独り言から始めます。私の現在進行形と僕の過去完了の最低キャストが揃いました。私は今ここに居て僕の時代の流れは何十年と月日に遡る事になります

さて豊かさと云うワードに付いて考えてみると豊かさを感じる僕の記憶から呼び出して見ようとおもいます。その豊かさの尺度は個人個人でまるで違う場合があります。その違いは一回りしてしまえば最先端だったりする様におもえます。

例えばドラム缶風呂にバケツで水を運びルーティンを繰り返しやっとドラム缶風呂に満たされる水を何人かでリレー式にバトンを渡すような行為は社会的意識向上にも繋がります

ドラム缶風呂を沸かすエネルギー源は森や河原や海岸で拾いながら探せば簡単に集められ且つ環境整備にも一躍を担うサバイバルです

拾い集めた枯れ木や流木を燃やしドラム缶風呂を沸かしそれを頂く事を想像するだけでも楽しくなるしドラム缶風呂から流れ星など見れたらこんな豊かな瞬間は無い


微笑む三日月のクロアッサンのブランコ


僕がまだ小学生頃だった頃近くの神社祭りが始りました。御田祭と云う稲の豊作を願う為の奉納祭りです。僕にとっては普段着と使い分けするお出掛け用の外着のこだわりがありました。お祭りと云う特別な日には勿論の事僕流の外着です

桧の柾目材で出来たタライにバケツの水を注ぎ洗濯板でゴシゴシ洗います。家の隣には豊かな湧水がありました。そこで手で濯ぎますがヒャッとする冷たい水で愛用している木綿のシャツがそこで蘇りキリッとしてきます。

それに飯粒を晒し布で濾して水に溶かし愛用のシャツに糊付けします。

天気が良いと真竹の竿に袖を通してパタパタとシワを伸ばして干すと風通しが良くすぐ乾きます

乾いたら自分でアイロン掛けする不思議な少年の気持ちは既にお祭り気分です。

タライの洗濯板で洗う

湧水で濯ぎ

飯粒を晒し布で濾し

それを水でうすめた糊付け

真竹の竿に袖を通し干す

自分でアイロン掛け

祭りの準備です

儀式準備

大体一人で出掛けていました。アイロン掛けした綿シャツは糊が効いていパリッと気持が引き締まり袖を二つ三つ折り曲げて着ます。そのセンスはクラスメイトから学んだ模倣でオリジナルでは無い

当時はアメリカの進駐軍の払い下げの洋服が映画休館内に山積みしてありました。長いズボンを母が半ズボンリメイクしてくれて得意げな履き心地は通気性の良いウールでした気持ちは「お洒落」な僕

祭りは子供にとって楽しいのです。年間通して希少な祭りは子供の僕にとってやはり心の祭りでした。

自分でアイロン掛けしたシャツを着て袖を通して折り重ねるスタイルは真似でしたがそんな自分が祭りの賑やかな場所に出掛ける。それだけで僕のこころは幸せ過ぎてワクワク気分でした

サーカス団は毎年の人気者でしたね。中でも空中ブランコや象使いやバイクの球体の中で走り回るアクロバットなど僕の心を揺さぶりました

後とっても不思議な異次元の見世物小屋がありましたがとっても怖いのでここでは端折ります

綿菓子やスルメイカの蒲焼きに金魚すくいは恒例の出し物たちでした。何というのか⁈人混みは非日常性ですからそれがこころの祭りだったんです。神楽踊りは真剣を使って踊っている姿は勇ましくは感じましたが子供の僕には解釈する力が無く良く解りませんでした

出し物はテント張りでそこで商いしている大人達が妙に逞しく映ります。それにいい具合の貪欲さが子供の僕には刺激的でした。多分想って見るに父がサラリーマンだった事が理由でそこに逆に自由をかんじたのかもしれません

人混みや雑踏の中は子供の僕には新鮮な神様の祭り事として新鮮に満ち溢れていたに違いありません

子供時代の僕は木綿のシャツを自分で洗うのは日常の事でした。タライにバケツで水を汲みいれゴシゴシと固形石鹸をつけて洗い湧水が流れる元で濯ぐ光景を鮮明に覚えています

更に晒し布でご飯粒を濾して水で薄め糊付けし真竹の竿に袖をを通してパタパタと皺とりしながら乾かし更にアイロン掛けする時の匂いが昨日の様な記憶の蘇りは良いものです

ぼくの家の近くのおばちゃんが毎年スルメイカの蒲焼きの出し物をやっているのも楽しみでした。おばちゃんの旦那様が大工さんで暇さえ有れば酒に酔っている日常は子供也に傷ついたり心配したりしていました

おばちゃんは冬になると「石窯の焼き芋」で生計を立てていてそんな季節を追いかける生き方が素敵だと思っていました。さらに年末の餅つきは正に先頭に立ち杵つき餅は最高で正に温故知新ですね

後記:湧水は孟宗竹の10センチ程の2本の筒から湧き上がっていました。その敷地内には天神様が祭ってあり境内の風物詩では夏になると梟がフォーフォーと鳴声がどこからとも無く聴こえてきていました。実際は境内の森の高い木に住んでいて巣作りに励んでいました。今想いだすと中々幻想的でロマンチックな雰囲気だった事を想いだしました


下記のリンクは祭り時代の少し後の時代のものです。

https://www.instagram.com/p/B4O5sFcgo5X/?utm_source=ig_web_copy_link







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