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八ヶ岳紀行

夏の終わりに咲く花は、ことさら、人の心を惹きつける。
晩夏に咲く花と言って、私が思い起こすのは、まず、百日紅の花だ。
中でも紅色の種は、華やかだった夏の名残をのこしたまま、移行する季節へ向かう、緊張も感じられて、好きだ。

ところで、この時期の八ヶ岳周辺に目立つのは、畑一面に拡がる蕎麦の白い花である。
それはまさに季節を感じさせる、春の菜の花畑の白バージョンというところだ。

季節にも色があるという。

古代中国の五行思想では、玄冬、青春、朱夏、白秋。
著名な歌人を持ち出すまでもなく、秋は白。
人生にたとえれば、晩年。それも私に相応しい。

「八ヶ岳紀行」
って、当地に住んでいながら、可笑しな言い方とお思いかもしれないが、極めて個人的な事情で、この地が終の棲家、死ぬべき場所とならない可能性が出てきたので、時候がよくなったこの季節、もう一度、一期一会のつもりでこの地を散策しようと、考えたのである。

全く不徳の致すところで、情けない話だが、まあ、愚か者の末路は知れていて、どこにいたって、行き倒れ、見知らぬ人の通報で病院に運ばれて、身元不明で公共機関に迷惑をかけるのが、想像できて、まことに申し訳ない。


雪の日の浴身一指一趾愛し(よくしんいっしいっしかなし)
                           橋本多佳子


人はみないつこの世界から立ち去ってしまうのかはわからない。
老境を迎えた身ではなおさらだ。
今ここにある自分の身体の全てをいとおしみ、残された時間をいとおしみ、巡り合える人々を、いとおしみ、癒してくれる自然をいとおしむ。

私は今住む八ヶ岳周辺の自然が大好きだ。
その素晴らしさを、せめて誰かとその一部でも共有できればと思い、時折、ここでの投稿にそれを書いていきたいと思っている。

今週は、蕎麦の花を車窓に見て、トウモロコシ畑とレタス畑を抜けて、深い林の中にある、清里フォトアートミュージアムを訪れた。

その話は長くなるので、また次回。

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