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ふたりの将棋指しは「命」(めい)に殉じたのか?

「いのち」と呼ばず、「めい」と呼ぶ。

東洋の思想に「天命」「知命」「立命」というものがある。

人は誰しも生まれながらにして天から与えられた素質能力「天命」がある。それを知るのが「知命」
知ってそれを完全に発揮していき、その人生の中で自分を尽くすのが「立命」である。

そうすることが己の存在意義にもかなうものでもある。
しかし、これがなかなか難しい。
「命」を知ることなく漫然として終える人生が多い。
私も同じだ。まだ、「命」を知らず、迷ってばかりの人生だ。


ふたりの将棋指しの話をしようと思う。

将棋なんて古臭いゲームは知らない。
そんな世界は私とは関係ない、とは言わないで欲しい。
ここで取り上げる「命」にフォーカスしたとき、ふたりの将棋指しは果たして「命」に生きたのか、私は、皆さんに訊いてみたいのだ。

「村山 聖」(むらやまさとし)という棋士がいる。

正確に言えばいたというべきか?
村山聖は平成10年に29歳の若さで死んでいる。
東の羽生、西の村山と並び称されるような天才棋士であった。
だが、その短い一生は壮絶だった。
幼い頃発症した腎臓病との戦いでもあった。

入院している病院で彼は幼い頃から同世代の子どもの死を身近に感じて生きてきた。いつもおのれの死と向き合っていた。
そんな中、出会ったのが将棋だった。

たかが将棋というなかれ。

彼は短い一生を将棋の世界に賭けたのだ。まさにその命を削って。
その一生が大崎善生著「聖の青春」に描かれている。
圧巻である。


村山はその中で森信雄という師匠に恵まれた。村山と森との交流はなんの飾り気もなく素朴であった。
幼い頃からの病気でその道しか選べなかったとはいえ、家族や師匠に恵まれて、村山は将棋の世界に生きて、そして、死んだ。
彼は、果たして、「命」に生きたのか?


それから、「命」に生きたのかどうか、きいてみたいもうひとりの将棋指しがいる。

その名は、小池重明(こいけしげあき)

棋士と呼ばずに、将棋指しと言うのには理由がある。
小池はプロの棋士ではなく、アマチュアである。

しかも、将棋の勝負にお金を賭ける、「真剣師」と呼ばれる男である。
その破天荒な人生は、晩年、彼を支えた作家、団鬼六により書籍となった。


小池の生い立ちは複雑である

晩年、遺書として書いたという、「流浪記」の冒頭には、自分の少年時代をこう記している。

昭和22年12月24日、私は名古屋市中村区牧野町で生まれた。・・・父、杉田重次、母、玉置馨の間に生まれたが、物心ついたときにはもう父はいなかった。後に小池信春が私の新しい父になっていた・・・住まいは木造二階建ての一軒家をベニヤでいくつもの部屋に仕切った六畳間だった。その半ば朽ち果てたようなおんぼろアパートには五世帯ほどが部屋の狭さと汚さに喘ぐようにして住んでいた。
全員が世帯持ちだが、亭主といえばチンピラやくざか、遊び人、女房はといえば例外なく夜の女だった。私の親父の仕事は物もらいだった・・・。


人間は生まれながらにして、運命が決められているなどと言えば元も子もない。

小池がそのような家庭環境に生まれたのは事実であり、その上で小池自身は明るくそれを受け入れている。

その後の人生で、就いた職業は無数、人妻との駆け落ちは3回。寸借詐欺を繰り返し、新聞沙汰にもなった。
人を裏切り、逃亡と放浪を続ける、人の手本にはならない人生だが、将棋だけには破格の才能を持ち、プロの棋士を次々と倒した。

小池重明ははたして、「命」に生きたのか?

平成四年五月一日、入院先の病院で、生命源であったパイプ管を自分で引きちぎって小池は死んだ。

作家団鬼六はそんな破天荒な小池の人生を人の一つの生き方として書かずにはいられなかった。


将棋の一局を記録する、棋譜というものがある。

7六歩、3四歩、というような符号のようなものだが、大げさに言えば、その一つ一つが、棋士の人生を体現しているともいえる。

ここにひとつの美しい棋譜ともいえる、人生の相関関係がある。

昭和57年、村山聖は中学生名人戦に参加するために上京している。
その際、小池重明と将棋を指している。
全国優勝の夢破れ全国の厚い壁に自信を失いかけていた村山にその日の出会いは明るい希望をもたらした。


現在、将棋の世界では、藤井聡太という天才が席巻している。

既に6冠を制し、今、渡辺明名人に挑戦中だが、天才の名を欲しいままに圧倒的な力を発揮している。

そんな藤井聡太は、村山聖の生まれ変わりではないか、という噂が先ごろネット上で拡がった。

また、愛知県出身の藤井は同じ愛知県出身の小池重明の棋譜を徹底的に研究したとも言われている。
全ての出会いが繋がっていく不思議だ。

冒頭で述べたように、「命」は何も才能豊かな人のみならず、この世に生きる誰にでもに与えられているに違いない。

それは、当然ながら、決して人に自慢出来るような人生を送ってこなかった私にも。

村山聖の死後、その遺品の中から見つかったという、ひとつのメモが愚かな私の人生をすら励ましてくれる。

人間は悲しみ、苦しむために生まれた。
それが人間の宿命であり、幸せだ。
僕は死んでももう一度人間に生まれたい。

村山が二十二歳の頃のものらしい。

私もそうありたい。







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