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双眼鏡を覗く男

狩猟をやっている友人と、鴨撃ちに連れて行ってもらう約束をしているが、なかなか実現しないまま、今年も猟期は終わってしまった。         別にボジョレーヌーボーを片手に鴨鍋をつついて、「いやあ、今年のワインも結構なもんで」と貴族ぶるつもりもない。              その鴨が群れている池が人間の背丈よりも高い葦に覆われていて、そこに入り込むと迷路みたいになっている、とその友人から聞いたからだ。    背丈よりも高い葦が密生して迷路みたいになっている(何故二度繰り返す?)しかも足元はぬかるんでいて、池のほとりに近づくのに苦労するらしい。鴨肉の濃厚な味にも興味をひかれたが、何とも、背丈よりも高い葦が密生して迷路みたいになっている(三度目)場所が面白そうで、体験したくなったのだ。

約束した直後、私は双眼鏡を買った。来るべき鴨撃ちのためである。  Kowa YFⅡ30-8。ネットで検索し、バードウォッチングの初心者用を選んだ。¥13500。専門家には安いだろうが、素人の私にはそこそこの値段である。                               それでも家に発送されてきたときには、子供に戻ったように、はしゃいだ。いとおしむように本体を撫でながら、感慨にふける。           これで、バードウォッチングの専門家で時折ローカルラジオに出て、この地域の野鳥について解説している知人のKさんを見返してやる。と、理不尽な競争心で鼻息荒く、双眼鏡を首からぶら下げて林の中を散策し、ちらと見えた鳥影に慌てて双眼鏡を向けるが、私の場合、大抵はシジュウカラか、ヤマガラぐらいで、首も次第に疲れてきて、すぐに戦意喪失である。         そればかりか、双眼鏡を首に下げた怪し気な大男が、急に眼を輝かせたかと思うと、すぐに深いため息をついたり、また思い直してギラギラと辺りを見回す様は、人から見ればちょっとした変質者で、通報される前に慌てて家に戻ってきた。     

双眼鏡を覗く男といえば、ヒッチコックの映画「裏窓」の主人公がそうだった。                                有名な映画だから皆さんもよくご存知だろうが、簡単に説明すると、ジェームズスチュアート演じる主人公はカメラマンだが不慮の事故で足を骨折し、今は自宅のアパートに閉じこもり車椅子生活である。療養中の彼はそのうち、双眼鏡や望遠カメラを使って、アパートの住人たちの生活を覗き見るようになる。アパートには様々な人物が住み様々な生活があった。     映画は全編を通して部屋からレンズ越しにみる男の目線で進んでいくが、男が覗く世界は妙に生々しいが、それでいて架空のもののように思え、遠いようですぐ近くのようで、何とも不思議な感じがする。それがまたミステリー感を助長していた。                         やがてカメラマンはアパートの住人の中に怪しい男を見つける。彼の妄想も絡んで、その男が妻を殺したのではないかと思うようになる。ここまでくると、虚構と現実がまぜこぜになって、不思議なリアリティが生まれ、「虚実皮膜」のまさに極上のミステリー映画になっている。          双眼鏡やカメラを使い、そいう世界を描き出した、さすがヒッチコックだと、偽映画評論家はえらそうにも感心する。本当は主人公の恋人役のグレースケリーの美しさに目がくらみ、その上品で高貴な彼女に花壇を掘らせたり、殺人犯かもしれない男の部屋に大胆にも忍び込ませたり、少しばかりSの気の強い演出をするヒッチコック監督に羨望の目を向けていたくせに。 

さらにこの映画は最後に貴重な教訓を残している。           結局、覗いていた男は殺人者かもしれない男に覗きを発見され、襲われ、恐ろしい思いをする。しかも再び大怪我を負ってしまう。これは戒めである。バードウォッチングの専門家で時折ローカルラジオに出て、この地域の野鳥について解説している知人のKさん(これも二度目)ならそんなことはないが、善人ぶってはいるが、どこか心の片隅にピーピングトム的な不埒で破廉恥な考えを持っている人は、双眼鏡を覗くときは取り扱い注意である。決して私の事ではない、断じて。

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