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黒潮が運ぶもの

「日本人離れした顔してますね」と、よく言われる。

確かに、映画「テルマエ・ロマエ」でタイムスリップしてきた阿部寛が、日本人を見て、「平たい顔」と思わず言った顔とは違って、私の顔は何か凸凹している。
彫りが深いという表現の欧米人とも違って、何かそれよりバタ臭い。
そんな時、私は、いつも、
「おそらく先祖が黒潮に乗って、南の方から流れてきたんだと思う」
と、受けもしないのに、そう言う。
それを聞いた相手もしょうがなしに追従笑いだが、「ああ、やっぱり」と、どことなくお互いに納得している風があるから、不思議だ。

民俗学者、谷川健一の著書に、「黒潮の民俗学・神々のいる風景」という本があって、経緯は覚えていないが、若い頃、私はそれを買っている。
よほど黒潮には思入れがあるらしい。
その本にこう書いてある。

フィリピンや台湾の東方に発し、琉球列島や薩南諸島を北上する暖流は十島灘で分かれて、主流は九州の東部、四国、紀伊半島の沖をかすめ伊豆七島の間をとおり関東地方の東岸を洗う。他方は九州の西海岸から壱岐対馬の間を抜け、山陰、北陸の海にむかう。日本列島は表も裏もこの黒潮にはさみ打ちされたかっこうになっている。始原の文化の時代から、日本列島と黒潮との関係は絶対的なものであり、海の大動脈としての黒潮は、日本列島に南方の文化をはこぶ海のベルトコンベヤーとしての役割をもっていた。黒潮のベルトにのせられて南方の植物や動物、または人間の眼に見える文化や眼に見えない文化がはこばれてきた。そうしてそれらが何万何千年とかかって日本の文化の基層を形成した。(中略)
おそらく日本の民俗学は、こうした海からの漂着物や漂着者の文化をぬきにすれば、成立することは困難である。日本民俗学はそうした意味で「黒潮の民俗学」と呼んでもよいものである。

このことを、別の観点から考えてみる。

若い頃、沖縄を放浪していた時期がある。
沖縄本島近くに慶良間諸島があって、そこのひとつに座間味島がある。
たまたまその島で島の祭りに出くわした事がある。
夜、暗くなった海の見える場所で、たくさんの島の人たちが、三線の音色に合わせて、踊り続けるのである。
私もそこに混じって、踊った。
ここの別の投稿でも既に述べているように、子どもの時から、私は、楽器なるものが、おに、できない。
人には必ず備わっている「リズム感」なるものが欠如しているのだ、ずっと、思っていた。
ところが、その日は島の多くの人から、踊りが上手い、まるで地元の人間のようだ、と絶賛されたのである。
言わずもがな、私は有頂天になってその晩踊り続けた。それから事あるごとに、カチャーシーに興じたりもした。
特に変わったことをしたわけでもないが、私には、生来、南のリズムが刻み込まれていたのかもしれない。
冗談のつもりが、本当に、遠い先祖が黒潮に乗って流れてきたのではなどと、思った。

さて、もう一つ、別の話をしよう。

先日、久しぶりに、高橋竹山の津軽三味線をCDで聴いた。
晩年、竹山の奏でる音は洗練されている。
代表作のひとつ、岩木即興曲などを、聴いていると、欧米のクラッシック音楽を聴いているように、明快である。
そこに、門付け芸としての土着的なにおいはもうないが、それが、エンターテイナーとしての、高橋竹山の歴史でもある。

ただいつも不思議に思っていたのだが、南国生まれの私が、竹山の演奏を聴いていると、何故か懐かしさのようなものを、感じるのは、何故だろう?
その理由が、黒潮に思いをはせていることで、少しだけわかるような気がした。

九州、天草半島の付け根に、牛深という町があって、そこに伝わる「牛深ハイヤ節」がある。それは全国に伝わるはいや節のルーツであるとも言われる。ハイヤとははえ(南風)のこと。
牛深は昔から天然の良港で、各地から海運船が立ち寄っていたという。
特に南から来た船乗りたちが、毎晩開く酒宴の席で、踊って盛り上がったという。

今は便利な時代で、YouTubeで「牛深ハイヤ節」についても、挙げられている。
それを見ると、まさに、沖縄のカチャーシーとも酷似している。
その中での説明で、それが、全国に運ばれて、その土地で根付いて、独特の文化になったのだという。
たとえば、徳島では有名な阿波踊りになった。
船乗りたちに踊られたハイヤ節がちょうど、船上での動きのように激しく動くのに対して、農耕文化の徳島では下半身はどっしりとあまり動かず踊るのだという、その説明にははたと感心してしまった。
それが新潟では情緒あふれる佐渡おけさになる。さらには津軽へ、北海道へ、と。

かつて活躍した北前船もまた様々な物資を運ぶ傍らで、船員たちもまた立ち寄った港の懐かしい思い出を、次の港へ、また次の港へと伝えていったに違いない。

新潟で三味線を弾き、門付けをしていた「ごぜ」と呼ばれる盲目の女性たちの歌が、やがては青森に伝わり津軽民謡のルーツになり、それは後に貧しい高橋竹山少年の音になる。
それはきっと、まさに、黒潮が運ぶ雄大なストーリーである。

名も知らぬ 遠き島より 流れ来る 椰子の実 ひとつ

詩人ならずとも、黒潮の漂流物に、自分の漂泊する魂を乗せて、いつまでも自由な夢を描いていたい。

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