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春を待つ人

「ふきのとうが出ていたよ」
「ふきのとうが出ているねぇ」
「え!もう?」
「そうそう、今年は早いらしいよ」
「寒い寒いと言ってても、春は何処かで芽生えてるんですねぇ」

クランボンが笑ったよ、という出だしの宮沢賢治の童話「やまなし」は好きだけど、その一節ではない。

オジイとオバァ3人のダベリである。

「今年はふきみそでも作ろうかな」
「いいね」
「ふきみそをピザに入れると美味しいんですよ」
「苦そうやん」
「それがいいんじゃない、大人の味・・・」
「そうか、アンチョビだって、その原理か?」
「原理て」
「ピザの生地は硬め派、柔め派?」
「一択!」
「やっぱり硬め派ですか?」
「歯が立つ方!」
「年寄はもう歯が立たない方は選択肢にない」
「行きつけの歯医者がコロナになって、後遺症で味覚障害になったらしい」
「それは可哀そう」
「食べる楽しみ無くなるんは、ちょっと」
「あなたは夕方になると必ず昼ご飯何食べたっけッて聞くよねえ」
「それと話はちがうやろ」

花をのみ待つらんひとに山里の雪間の草の春をみせばや

「おう、風流!」
「こちらは今年は雪が少なかったけど、日本海側は大変だった」
「その歌を届けてあげたいですね」
「そういえばそろそろ梅の便りも」
梅一輪一輪ほどの暖かさ、この句もええなぁ」
「この、ほど、と言うのがいいらしいですよ」
花は半開、という言葉もある」
「ど、どういう意味?」
「あなたみたいな人のことを言うんですよ」
「ど、どういう意味?」
「完全でないほうが味わいがある」
「俺を使って落ちにすなよ」

「なるほど、咲こうとして咲く花、咲くまいとして咲く花、結局は咲くんだよな。まさに人生と一緒」
「禅問答みたいなこと言ってるけど、意味わかってます?」
「だてに年食ってへんよ」
「でも自然って凄いですね。どんなに厳しい冬に会っても、時期が来れば必ず花を咲かせる」
「若い頃京都に住んでて、銀閣寺の近くに真如堂というお寺があって、よく行ってた」
「京都はええとこや」
真如とは、あるがままの姿、という意味。自然はいつもあるがままだから素晴らしい」
「だから我々もあるがままに歳を取ればいいんやな」
「そういう結論ですか、では私もあるがままに、アンチエイジングやります」
「もう手遅れかも」
「あなたにだけには言われたくない」
「今度みんなで真如堂に行ってみようよ、もう少しすれば、きっと桜も綺麗なはず」
「おじい、おばあ、みんなありのままの姿でな」

誠に毒にも薬にもならない無駄話である。

しかしながら、春を待つ人の気持ちは、案外、そんなところかもしれない。


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